VKsturm’s blog

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カニバリズムとその意味─栄養摂取と食の魔術

 

 

1.はじめに

「ネーコってコーモリ食べる? ネーコって、コーモリ、食べる?」そのうちどっちがどっち食べるのかわからなくなって。まあほらどちらにしても答えはわからないから、どっちになっても大して変わりないけど。*1

猫はコウモリを、あるいはコウモリは猫を食べないかもしれないが、人は人を食べる。中世末から今に至るまで我々は「食人(カニバリズム)」*2に強い興味を持っている。ウィキペディアに項目があり、事象が列挙されているのもその一例であるし、現代でも食人が絡んだ事件が有ると大騒ぎになる。また、フィクションでも食人にフォーカスされた作品は多い。マルキ・ド・サドエドガー・アラン・ポーなどがこのような作品を残している。では食人とはいったいなんだったのであろうか。また、食人の意義とはなんなのだろうか。ここでは簡潔に食人について考察したい。

 

2.四種類の食人

食人と一言に言ってもその内容は単一ではない。具体的には四種類の食事があるだろう。

a.食人をする者たちが組織的に動き、システムとして食人を行う。集団として敵の村などを襲い(戦争を起こし)、その結果「戦利品」としてその肉を食べる。積極的カニバリズムであり、戦争カニバリズムである。具体例としてはアステカ文明における食人が挙げられる。この場合、食人はその民族の文化に組み込まれているといえるだろう。

b.病死した親族などの死体を儀礼的に食べる。この場合、敵の村を襲うなどの積極的な行動は見られずに受動的・平和的なカニバリズムであるといえるし、社会的慣習であり、文化体系の一部分である。

c.特殊状態─飢餓状態─などに陥った場合、発作的にカニバリズムを起こす。具体例ではウルグアイ空軍機571便遭難事故*3が挙げられる。

d.個人がカニバリズムという行為そのものに性的快感を覚え、または人肉を美味しいものと考え、実効する。佐川一政によるパリ人肉事件*4が挙げられる。

 

この四種類のうち、cとdは考察から省きたい。なぜならcは飢餓状態という特殊状態で突発的に食人を行ったのであり、一回きりの特殊的な行為であり、そこに「文化」はないからだ。彼らにあったのは飢餓感を満たそうとする動物的本能だけであり、個別具体的な検証はできても、総体としての食人文化に迫れるものではない。dも同じく個別的検証は可能であろうが、個人の行った行為であり、文化体系の中の一行為でなく、文化の中の行動として行われた食人としての実態に迫れるものではない。

ここで扱うaとbであるが、これは文化に組み込まれた社会的慣習による行動である。個人の意志ではなく、集団が何回にも渡って行ってきた食人なのである。そこには一定の儀式や儀礼が存在し、集団はそれに則って行う。いわば統制された食人であり、だからこそ探求が可能になるのである。

 

3.戦争におけるカニバリズム(aの場合)とその消失

先に上げたaのような場合におけるカニバリズムを探求する。戦争において勝利した場合得られるのは捕虜である。この捕虜を食人する文化は数多く有る。トゥビナンバ族*5では、捕虜の肉は余禄の動物性食物として尊ばれた。これらの民族では特に「戦士」となる男と違って動物性食物の分配が少なかった女性にとって食人は重要な栄養摂取源であったことが伺われる。

然れども、戦争カニバリズムにおいて重要なのは食人は第一目的でなかったことだ。つまり、食人を積極的に行うものの、それは第二目的であってあくまで戦争が第一目的であった。これらのカニバリズムマーヴィン・ハリスによれば「戦争カニバリズムをおこなうひとびとは、人肉を目的とする狩人ではない。かれらは戦士であり、集団間の政治の一表現として、同類の人間を追跡し、殺し、虐待する一連の行為にかかわるのである」。とのことだ。

イロコイ族*6やヒューロン族*7は戦争は男女の捕虜を得るという利益以外に、彼らを村へ連れ帰って虐待するという利益を齎していた。虐待行為は政治的な意味もあるが、実利的な意味もあった。若者の「戦闘訓練」に捕虜を利用したのである。つまり、槍や剣の訓練の標的として彼らを利用していたのだ。木や革でできた「的」とちがって、生きた人間を的に使う訓練はどれほど効率的であったかは想像に難くない。また、もし戦争で捕虜になったら、相手に自分が施したような「仕打ち」を受けることを想像させて戦士としての強度を高めた。捕虜になれば死ぬと教えられた日本兵と同じ構造である。

イロコイ族やヒューロン族が村に連れ帰って拷問し、食人した数はあまりわかっていないが、マーヴィンによれば「それほど多くはなかった」という。理由は、彼らの住んでいた地域は大型狩猟動物が豊富におり、動物性食物に困っていなかったと考えられる身からだ。一方、トゥビナンバ族は状況が間逆であり、動物性食物は不足しており、重要な栄養源の一つであった。しかし動物性食物が不足する状況に置かれれば─つまり遠征して戦っている場合など─イロコイ族やヒューロン族も旺盛な食人欲求を示した。1693年1月19日にスケネクタディー近郊で行われたフランス軍との戦いの後、アルバニー市長のピーター・スカイラーは、味方のイロコイ族が「かれらのもって生まれた野蛮さのゆえに、敵の死体を細切れにして食べた」と報告している。わざわざ味方の野蛮な振る舞いをでっちあげて、ことさらに嘘をつく必要がないため、これは少なくとも部分的に事実であると考えられる。この報告は、事件についてスカイラーにインタビューした、歴史家でニューヨーク州知事キャドワラダー・コルデンによって確認され、文章化されている。

インディアンたちはみつけたフランス兵の死骸を食べた……スカイラーがその時彼らの中に入っていくと、一緒に肉スープを飲まないかと誘われた。何人かが煮ていた。彼は飲んだ。しかし、インディアンが、おかわりを掬おうとして鍋に柄杓を入れると、フランス人の腕が出てきた。その途端、彼の食欲はなくなった。*8

戦死した敵兵を戦地糧食に使うことは、世界各地の村落社会でよく行われていたとマーヴィンは言う。例えばニュージランドのマオリ族の事例から、重要部分について詳しく知ることができる。マオリ族の戦士隊は機動性を高めるために行軍中に人肉を利用した。マオリ族は戦闘が終わるとすぐに、戦死者と、捕まえた捕虜の大部分の両方を(少なからず)食べた。マオリ族の場合、食人は「普段」(非戦争時)はほとんど活用していなかったかもしれないが、戦争中においては貴重な栄養摂取とされていたのは確かだ。

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(1577年に描かれたブラジル地域における食人の様子)

さて、ここで述べていた戦争カニバリズムであるが、この実態というのは戦死者を食べる以外には小規模の部族が小規模の部族を襲うにとどまっていた。*9なぜなら彼らは輜重が貧弱で大量の捕虜(あるいは大量の人肉)を拠点まで連れ帰るのは容易ではなかったと考えられるからである。当たり前であるが捕虜の輸送には莫大なコストがかかるのである。大規模な会戦などで敵を打倒した場合などは安心してその場で「調理」を始められるかもしれないが、実際のところ小規模な部族であった彼らの戦争様式というのは村を奇襲で襲い、そして襲われた村の部族は一目散に森へ─おそらく避難地点や結集地点があったのだろう─逃げ込むことだった。うかうかしていれば、このように結集して兵力を立て直した敵部族に反撃される可能性があった。大量の捕虜や人肉は機動力を活かしてヒットアンドアウェイをするに従って最も大事となる機動力を大幅に削ぐことになる。そのため獲得できる捕虜=人肉としても少量であったことが伺われる。

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(16世紀に描かれたネイティブ・アメリカンによる食人行為)

この考えで行けば大規模な会戦を行えるだけの兵力を持つ「国家」は食人を更に推し進めるかもしれない、と考えられる。しかし食人行動は国家が大規模になるほど現れなくなってくるのは世界史を学んだ諸君らにはわかるだろう。これはどういうことだろうか。

これらに関してマーヴィンはある予想をしている。それによれば部族社会は大量の余剰生産物を生産できないため、捕虜を養えない。また、環境から捕虜を活かせる労働などがない。国家の人口が多くなればなるほど、余剰生産物は増え、捕虜を活かせる労働が─例えば大規模な農業など─発生してくる。部族社会では得た捕虜(活用のしようがない)を殺して食べるのは合理的である。しかし国家ともなれば、得た捕虜を労働させて生産物を生み出し、それを消費するほうが長期的に利益となる……彼はそう予想している。また、食料の補給に関しても、「戦闘に勝って初めてできる食人」より、一定の水準を必ず確保できる後方からの輸送・豊かな村での徴発に頼るのが当然効果的である。これらの要因から国家が大きくなればなるほど食人行動は─儀礼的な意味を大きく持つ食人を除いて─減ったのだと考えられる。

また、食人を禁止することは別のベネフィットを生み出した。敵国家に降伏しても食人されないという安心である。「お前たちを食うためにやってきた」と自称する国家よりも「お前たちを文明化するためにやってきた」と自称する国家のほうが大義名分として帝国主義的な政策は取りやすいし支配地域にも受け入れられやすい。ローマ帝国がそうだが、文明化の旗印の下、蛮族を討つのである。このような図式は野蛮な民族を教化するという大正義の下行われるのであり、兵士たちの士気も「食人のため」より高まることとなった。そうとなれば、この「食人をしない」という大前提を守るために食人を禁止に追いやることの意味がわかるだろう。なぜ今の我々は近親者の死体でも食人をしないか。

人肉食の禁止から外れることは、どんなことでもあろうと、国家の戦争カニバリズム撲滅の公約をあやうくするものとのなる。国家は、人民に死んだ敵を食べるのを禁じながら、死んだ近親者を食べるのは許すなど、どうしてできよう。旧世界では、馬がそうであるように、人間はそれが生きていようと死んでいようと、味方であろうと敵であろうと、どんなに殺すに良いものであっても、食べるにはよくないものとみなされるようになったのである。*10

つまり、総体的に見れば、我々は食人をするより、食人をしないほうが利益を得られるようになった、ということになる。捕虜の肉を食べるより、その捕虜を納税者・農民・労働者としたほうが価値があるようになったのであり、また国家のモラルと言った面でも食人をしないのが有利となったのである。

逆に言えば、国家が政治的・経済的に捕虜を取るより食人に回したほうがベネフィットを得られると判断したらその国では食人が行われる可能性がある。強大な帝国を築いていながらも、食人を行ったアステカ文明がこの例である。「(アステカ文明の)一人あたりの獣肉、魚、鶏肉摂取量は、一日に数グラムにもならなかった」。極度の動物性食物の不足はより強い食人欲求を生み出し、国家の司令官が部下に食人をやめるようにいうのは、大型狩猟動物や家畜がいた旧世界よりも遥かに困難だっただろう。このような状況では、食人は直接的に「栄養摂取」の欲求を満たすただひとつの解決方法だったのである。このような場合、食人を禁止する政治的利点は薄れ、結果としてトゥビナンバ族やイロコイ族のような社会に近い結果となった。これと似たようなものとして「海の慣習」がある。遭難したり難破した際に乗組員の死体を食べて良いとする慣習であり、1710年にノッティンガム・ガレー号の遭難では実際に食人は行われた。船といういわば「小国家」の中では食人を禁止して政治的利点─モラルの崩壊を防ぐ─より実利的な栄養摂取の利点が勝ったということである。

ただし、アステカ文明の食人は後述する「儀礼的な意味」を他の部族より遥かに多く残していたのは考慮すべきである。約言すれば、彼らは肉がないから人を食べた、と一言で言うことはできない。もちろんそれも一つの要因であるのだが、そこには魔術的・儀礼的意味も多分に含まれていたのである。

 

4.平和的なカニバリズム(bの場合)と食の魔術

パプア高地のギミ族の女性はかつて、男たちが死ぬとその死体を食べていた。この風習は1960年代までつづき、いまでも人形を死体に見立てて食べるふりをすることで再現されている。また、南アメリカオリノコ川に村を作るギアカ族でも死者を火葬し、その骨、半ば炭化した骨を集めて木製の臼でひき、それを近親者がバナナのスープに入れて、儀式の際に飲むとされている。

さて、これらのカニバリズムは栄養摂取以外の目的があるのが明らかだ。炭化した骨で動物性食物を摂取したことにならない。なにか別の目的が有るのだ。ここで出てくるのが私が先にブログで書いた「食の魔術」である(詳しくは下記参照のこと)

peoplesstorm.hatenablog.com

食の魔術とは食べ物に栄養摂取以外の目的を求めることだ。例えば水素水は合理的に考えれば、水分摂取以外の「栄養学的意味」を持たない。しかし人々は健康を願って飲む。そこに科学的なものは存在しない。あるのは食に栄養摂取以外の─しばしば非科学的な─意味を求めるという行為である。食とは生きるためだけに食べているのではない。食べることは魔術的な意味を持つのである。それは水素水の謳う科学的ではない効果を見ればわかるだろう。食とは多くの(ともすれば魔術的な)意味を秘めているのである。

食人はこの食の魔術に大きく影響を受けている。例えば、パプアのオロカイバ族は、食人は死んだ戦士の代償として霊魂を捉える方法だとされている。オナバスル族にとって食人対象は魔女とされた人間だけであった。先に述べたアステカ文明では食人は栄養摂取以外に、「勇敢な敵戦士の魂を得る」方法とされていた。フィジーでも食人は行われ、食べた分だけその記録として石をおいていった。だがそうやって石をおいて「記念する」という行為自体が、カニバリズムが通常の家畜を食べる行為と一線を画す行為なのがわかる。フィジーでは食人は支配を象徴するものであって、食べることで自らの地位を誇っていたのだ。また、フィクションでは食人種の食べ物(人肉)を味見したシンドバッドの仲間たちは(食人によって)狂ったのである。これも非科学的な、魔術的な食の魔術の存在を感じさせる。

食人とは栄養摂取の意味だけではなかった。そこに食の魔術があったのだ。死んだ戦士の力を取り入れ、悪魔を遠ざけ、肉をみんなで食らうことで絆を作り、また自らの支配体系を示す。これは今の食事にも当てはまることだ。フェリペ・フェルナンデス=アルメストによれば「食人種からホメオパシー支持者や健康食品愛好家に至るまで、みな自分の人格を磨き、力を伸ばし、寿命を伸ばすのに役立つと思われる食べ物を食べているのである」。戦争カニバリズムにおいてもこれらは変わらない。敵兵士の肉を食べるのは魂を取り入れる儀礼・儀式でもあったのだ。これらは表裏一体で切り離すことができない。一方ではタンパク質摂取のためであり、一方では食の魔術のためであった。これらを切り離して一方的な考えで物事を見ることはできない。

 

5.終わりに

これまで述べてきたように、カニバリズムとは動物性食物の摂取と食の魔術の二本柱によって成り立っていた行為であった。現代の我々から見ると食人行為はおぞましく、大変恐ろしいものに思える。しかし、食人種が恐れをなすほどの大戦争を繰り広げ、食人種が食べてきた人間より多くの人間を砲弾・銃弾・爆弾で殺してきた我々と比べてどこがおぞましいのだろうか。捕虜の首を切り落とすのと、WW2東部戦線でよく見られたように捕虜をその場で銃殺したり、または収容所でおぞましく餓死・病死させる行為のどちらが恐ろしいのだろうか。カニバリズムは確かに実在した。しかしそれをことさら大げさに取り扱って、我々「近代人」がその近代に何をしてきたかを考えないのは語るに落ちるのである。

ここまで著述した食人に関する考察はかなり断片的で曖昧なものだというのをご容赦していただきたい。もっと食人を行っていた部族は存在するし(例えばニューギニアにおける食人などが有名である)、その意味(食の魔術)も様々である。しかし私の知識不足でかなり限定的な考察になったのは否めない。誰か知識の有る方がこのテーマについてもっと詳しく研究してくださるといいのだが……。

余談になるが、イラク戦争において米軍兵士が食人を行ったと『History Today』においてリチャード・サッグ氏は述べている。これによれば敵兵士の死体を食べることは「復讐」として行われたそうだが、これも食の魔術の一環と言えるだろう。死体を食べて復讐をするという意味を食人に見出していたのだから。これと似た事例で中国の文化大革命において復讐として(政治的な)敵の死体を食べた事例もあげられるのである。現在でも我々は食の魔術とその極地たる食人から逃れることはできなそうだ……。

 

参考文献

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト著『食べる人類誌』

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

・同上『ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源』

*1:ルイス・キャロル著『ふしぎの国のアリス

*2:ここで先に述べておきたいのだが、カニバリズムは実在した。しかしその実態というのは多くが誇張されているということだ。植民地拡大期に未開の国の部族を全て食人種にすることは多々あった。Man Eating Mythとも言うがとにかくその時代に書かれたのは虚偽だらけの文献も多い。

*3:ウルグアイ空軍571便が墜落し生存者たちが飢えを満たすために食人を行った事件

*4:1981年、パリに留学していた佐川一政が友人の女性を射殺し、死姦した上で食した事件

*5:南アメリカ、ブラジルのアマゾン河口からサン・パウロ州までの海岸部と内陸部に広く住んでいたトゥピ系の先住民

*6:1570年頃、現在のニューヨーク州中央部に住んでいた5つのインディアンの民族が結成した連盟組織の部族を指す言葉

*7:北アメリカ,五大湖の一つヒューロン湖周辺に居住するアメリカインディアンの一民族。ヒューロンはフランス語で剛毛の頭,ないし悪漢の意。自称ベンダットまたはワンダット

*8:マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』より

*9:これらの戦争形態は当時の状況に依存する。当時、彼らは村単位の小規模部族であり、狩猟に生活を頼っていた。このような状況で最も多くの「食」を得られるのは狩猟場における人口圧をなるべく削減することであった。競争者がいなくなれば、その分多くの食料を得られるのである。そのために相手の人口圧を減らすことができる小規模な戦争は実利的な意味合いを持っていた

*10:同上

現代の菜食主義の根源─肉食は悪!とする主張について

 

1.はじめに

最近、ネット上でにわかにベジタリアニズムやヴィーガニズム*1についての話題が盛り上がっている。例を上げれば下記のまとめがあろう。このまとめでは猫にまで菜食主義を強要することが非難の的になっていた。

togetter.com

「肉食禁止」という言葉を聞くと人々は古典的な宗教のタブーを思い出すだろう。しかし現在の─西洋的な─菜食主義(それがベジタリアンであれヴィーガンであれ)の根底は実は近代に入ってからのものなのである。この記事では簡潔にこれを書いていきたい。

 

2.食の魔術性

 食に対する問題を論じる前に「食の魔術性」について述べる必要がある。これはフェリペ・フェルナンデス=アルメストが詳しく論じているが、要するに食事をする際に栄養摂取以上の意味を食に見出すことである。日本で言えば戦国武将たちが勝ち栗や打ち鮑などで験担ぎをしていたのを思い出すことができるだろう。食に栄養摂取以上の意味を求めることは世界中で行われており、何かの儀式の際の食事などで普遍的に見ることができる。食事に自己の変容、力の獲得、品行を良くする、縁起を良くする、身体を清浄にする…これらの意味を我々は求めている。この思想が極限に達したのが、現代の「健康食品」であり、効果不明な水素水や効果不明な薬草を溶いたペーストなどが今でも大量に消費されている。これは、明らかに食事に栄養摂取以上の意味を求めている。西洋ではトリュフは性欲を高める(媚薬)というフォークロアがある。マンナやナツメヤシにも媚薬の効果があるとされてきた。ピタゴラスは豆を食べると身体が崩壊すると信じていて豆を食べなかった。このように根拠不明の「食の魔術性」を我々は持ち続けてきたのであり、それが今の健康食品にもつながっている。

 また、食はアイデンティティにもなっている。「米を食べるのは日本人の特徴」「日本人は米を食う」などの文脈で語られる米は明らかにアイデンティティの一部をになっている。菜食主義も「私は菜食主義であり、他の人とは違う」というアイデンティティ形成の一部分になっているのは間違いない。またこれらの食は味方と敵を分ける作用にもなる。戦時中、パンは敵性食とされた地域があるが、これはパン=西洋=敵という図式であり、これはまた米=日本=味方という作用が含まれている。

 食の魔術性は栄養学的にも根拠不明なものが多いが、次第に洗練化された。有名なのが壊血病と新鮮や野菜・果実の関係である。フェリペによると「壊血病の治療に成功したことで、食べ物の役割を見直して、単に栄養を与えるものというだけでなく、治療効果のあるものという位置づけに格上げしてもいいのではないかという考えが強まった。食べ物による健康が探求され始めると、新興の科学が永遠の宗教と出会うことになった」とのことである。食べ物による健康は、エセ科学であると同時に神秘主義的でもあった。古代の学者たちは、根拠不明にある物を食べると精神が汚れるなどと言ったが、身体の影響は精神への影響という理論を振りかざして、新たな食の魔術を説くものたちが現れたということだ。ここで菜食主義が再び登場することになる。

 

3.菜食主義の再誕

 フェリペは前提として「夢物語の世界を除けば、菜食主義が社会全体あるいは宗教の伝統全体に浸透したのは、宗教的制裁によってうながされるタブーの体系の一部にすぎなかった」としている。現代の菜食主義とは違うのである。

 現代の菜食主義運動は、その起源を18世紀末に求めることができる。その着想の根源の一つは古代ギリシャ・ローマ時代と中世につくられた菜食主義を訴える小冊子の積もり積もった影響が、次第に活発になる出版業によって広まり、その結果18世紀と19世紀のヨーロッパで菜食主義の作家の作品が次々と出版されるようになっていったのである。新しい菜食主義を提唱した人の多くは、現実主義者ではなかった。ジョン・オズワルドは自ら改宗しヒンドゥー教徒になった後、『自然の叫び』(1791年)を出版。動物の領域を侵してはならぬと主張した。ジョージ・ニコルソンは肉が「堕落の時代」の象徴だと主張した。

 初期の頃の菜食主義の信奉者たちは、食べ物は人格を養うと信じていた。イギリスの菜食主義の最初の聖典の一つである『道徳的義務として動物性食品を食べないことについての小論』(1802年)のなかで、ジョセフ・リットリトンは肉を食べる人は怒りっぽくて残忍で気難しいと主張した。この聖典の信奉者達は戦争、奴隷制度、あらゆる負の側面は肉食から来ていると盛んに述べ立てた。ツイッターヴィーガンの中には未だにこれを信奉している者もいるが、それはさておき、菜食主義は道徳分野の中では一画を占めることはできなかった。19世紀には伝統的な宗教(肉食を許可する)と張り合っていたのだから無理だった。だが善行を売ることは無理でも、健康を売ることはできた。

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ジョセフ・リットリトン著『An essay on abstinence from animal food, as a moral duty(道徳的義務として動物性食品を食べないことについての小論)』復刻版

 道徳と市場性が結びついたのは、1830年代に聖職者シルベスター・グレアムが全粒粉ブームを興したときだった。グレアムは肉を食べる人は横暴で気性が激しく、短気であるという前時代の菜食主義戦士の主張に同意するとともに、セックスを菜食主義と結びつけ、性的逸脱行為は肉食によって起こるのだから、肉食と最も無縁な全粒粉を食べるように指導した。またグレアムは当時進展していた工業主義に反対する田園主義─「鋤に帰る」─ことを主張した。この菜食主義と反セックス、そして反工業主義は多くの時代精神に訴えることに成功した。グレアムの信奉者らが作った製品のなかには「グラニューラ」と名付けられた朝食用シリアルもあった。

 グレアムの信奉者らの勢いは凄まじいものだった。熱狂的に低たんぱく食を勧める人たちである。彼らの素朴な、それでいてまちがいだらけの哲学は科学を駆逐し、一世紀に渡って栄養に関する思想の主流を占めることになる。1890年代にはグレアムの信奉者たちと、それにあやかったイカサマ師たちがシリアル食品の利権を巡って争った。有名な「ケロッグ」のJ.H.ケロッグの最初のシリアルは丸パクリの「グラニューラ」という名前だった。彼は肉を食べると数億個の細菌が結腸に入ると考え、なんとかその退治をしたいと思っていた。考えられる方法はヨーグルトで撲滅するか、食物繊維で排出するかだった。最終的にこの誤りだらけの主張で生産された「ケロッグ」は朝食用シリアルの頂点に立つことになった。

 菜食主義は次第に「哲学」から「エセ科学」としての側面を強めていった。意味不明な「一見科学的だがよく考えると非科学的理論」を盾に菜食主義は世界を席巻した。そしてエセ科学と結びついた「現代的菜食主義」は今に至っている。

 菜食主義達が科学を振りかざして言うように、心臓病の発生率は脂肪の消費量が多い文化ほど高い。しかしエスキモーの食事は100%肉と魚であり、そのほとんどは脂肪である。ブッシュマンやピグミーの食事の三分の一が脂身の肉である。にも関わらず彼らの血圧やコレステロール値、心臓病発生率は正常の範囲である。マーヴィン・ハリスも肉食に関する科学的データの杜撰さに苦言を呈しており、「肉食が原因」というゴールが決まった上で取られたデータであると述べている。「現代の健康ブームが生み出した先入観は、科学的であると同時に─おそらくは科学的というよりも─社会的なものである。そうした先入観がアイデンティティの輪郭をつくり、共通の信条となっている」。

 「食べものにまつわる強迫観念は文化の歴史のうねりであり、現代病であって、どんな健康食品でも治すことはできない」。フェリペが言うように、我々が食に関して「魔術性」を意識する限り、あらゆる食に関する問題は本質的には解決しない。食には馬の合う人を結びつけ、絆を強くし、またタブーを無視するものを排斥する…つまり敵と味方に分別する作用を持つ。我々が菜食主義者にいくら彼らの行いは非科学的だと述べ立てても溝が深まるだけである。我々が分かり合える日はおそらく…来ないであろう。

 

4.まとめ

 現代の菜食主義ブームは近代的なものであり、古典的な宗教タブーとは違うものである。それ自体が「新興宗教」の衣を被っていても、だ。ツイッターなどを見ていると、未だにジョセフ・リットリトンのような菜食主義者の伝統が受け継がれているのをみると驚くばかりである。彼らの大半はこれらの菜食主義の流れを理解せずに、「スピリチュアル」にハマった人たちであろうが、彼らがそれでも18世紀末からの菜食主義の流れを受け継いでいることには感動を覚えるのである。しかし、忘れてはならない。我々も食の魔術性の中に生きていることを。

 

参考文献

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト著『食べる人類誌』

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

・キトレイカ著『食の冒険』

 

 

*1:ベジタリアニズムは菜食主義を、ヴィーガニズムは動物の殺生禁止を説くが両者が肉食を避けることは同様である

戦争の中の覚醒剤─ドイツ軍における覚醒剤

一応、この記事の続きです。

peoplesstorm.hatenablog.com

 

 

1.はじめに

前回の記事では1950年代にまで市販されていた麻薬含有商品を紹介したが、今回の記事では戦争中に多用された覚醒剤*1を取り扱いたい。現在の軍隊でも「痛み止め」としてモルヒネは一部使用されるが、この他に覚醒剤(主にメタンフェタミンアンフェタミン)は士気高揚やその他の目的で各国で乱用されていた。それらを断片的にであるが紹介していきたい。

 

2.ドイツ軍における覚醒剤の概要

ドイツにおける覚醒剤の代表例がペルビチンである。

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1930年代末、ベルリンのTemmler製薬会社によって開発されたメタンフェタミン*2薬「ペルビチン(Pervitin)」は、すぐにドイツの市販覚醒剤の中でトップの売上となった。『Klinische Wochenschrift(「週刊臨床」)』のレポートによると、アンフェタミンメタンフェタミンの効果は体内で生成されるアドレナリンと同様とのことである。ほとんどの場合、覚醒剤は自信の向上、痛み、飢えと渇きに対して辛抱強さを増すことができ、睡眠の必要性を低減しながら、リスクを取る意欲を向上させるとのことだ。1939年9月には、Temmler製薬会社と軍部らは90の大学の学生に薬を配布し、ペルビチンはドイツが戦争に勝つのに役立つ可能性があると結論付けた。最初ペルビチンの配布は、ポーランド侵攻に参加した軍の運転手・操縦手らでテストされた。そして、犯罪学者ウルフ・ケンパーによれば、それは「無節操に前線で戦う部隊に配布。」され、大きな効果をもたらした。この効果というのは長時間の操縦に耐えうる集中力を運転手らに齎したという「わかりやすい効果」以外にも、戦意の高揚などの間接的効果もあったとされる。

1940年の4月から7月の短い期間の間に、ペルビチンとイソファン(Isophan)─ノール製薬会社によって生成されるペルビチンを僅かに修正した覚醒剤─は3500万錠剤、ドイツ陸軍と空軍に出荷された。錠剤はメタンフェタミン3mgを含んでいたという。これらの覚醒剤はコード名「OBM」の下、国防軍の医療部門に送られ、その後部隊に直接的に分配され、緊急に必要とされた場合には将校らは催促することもできた。パッケージには「覚醒剤」と標識され、指揮官の命令のもと、1〜2錠の用量を推奨した。当時の命令によるとこうだ─「眠らないために、必要なときにだけ摂取せよ。」

その後、覚醒剤の悪影響が頻繁に確認され始めた。孤立した症例では、使用者は過度の発汗や循環障害などの健康上の問題を経験し、さらにいくつかの死亡例があった。レオナルド・コンティ─健康と禁欲主義でアドルフ・ヒトラー政権下の医療部門の親玉─は覚醒剤の使用を制限しようとしたが、それはある程度は成功した。ペルビチンは1941年7月1日に「制限物質」と分類されたが、アヘン法の下で、1000万もの錠剤は同じ年に軍隊に出荷されていた。

ここまで覚醒剤が乱用されたのは効果が軍隊にとって魅惑的だったからだ。1942年1月には東部戦線に駐留した500人のドイツ兵が赤軍の包囲から脱出しようとした。気温はマイナス30度。部隊に割り当てられた軍医は真夜中に「より多くの兵士が、もう雪の上で横になり倒れ始めるほど疲れていた」ことを報告書で書いている。

「部隊の指揮官は部隊にペルビチンを与えることにしました!…半時間後、彼ら(兵士)は再び整然と行進し始めました!彼らが自身の体調について『より良い』と感じていることを報告し、彼らはより良い警戒状態に移行できたのです!」

報告書は、軍の上級医療指導部に到達するまでにほぼ6ヶ月かかった。しかし、その応答は、ペルビチンの新しいガイドラインが発行されるにとどまった。「一度摂取した2個の錠剤(=6mgのメタンフェタミン)は、通常3〜8時間眠る必要性を排除する」とのことだ。

戦争の終わりに向けて、ナチスも自分の軍隊のための「奇跡の丸薬」に取り組んでいた。北ドイツの港町キールでは1944年3月16日にヘルムート・ハイエの下で新しい薬剤が開発されていた。「(新しい薬に求められることは)兵士の自尊心を高めながら、兵士らが正常考えられる時間を超えて長時間戦い続けることだ」。

短い期間の後に、キールの薬理博士ゲルハルト・オジェホフスキーはコードネーム「D-IX」を発表した。これは、コカイン5mg、ペルビチン3mgとEukodal 5mg(モルヒネベースの鎮痛剤)を含有していた。今日では、この強力な薬の劣化コピーを乱用して刑務所送りになることが多いが、当時では薬物は、海軍の潜水艦乗組員でテストされて好成績を収めた。戦争中、覚醒剤はドイツにおいて次々と改良されていったが、結局は敗戦の後、ドイツが保有していた大量の覚醒剤のデータは散逸し、ドイツ軍における覚醒剤の歴史に(表向き)終止符が打たれたのであった。しかし、実際は東西ドイツ融合まで、西ドイツも東ドイツ覚醒剤を保有していたのが最近の暴露文書により明らかになっている。それほど覚醒剤というのは軍隊にとって魅力的なのである。

ドイツ軍における覚醒剤の歴史はこのようなものであるが、次は具体的な「製品」を紹介していきたい。

 

3.具体的覚醒剤製品

a.Panzerschokolade

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Panzerschokolade(戦車チョコレート)と名付けられたこのメタンフェタミン含有チョコレートは大戦中戦車兵、そしてそれ以外のあらゆる兵種に大量に配布された。戦車搭乗員はペルビチンの最初期の配布テストにも選ばれたように、非常に多くの苦痛を味わう。唸るエンジン音、嫌な音を立てる車体、乗り心地の悪さ、敵と接敵する緊張、主砲の発射音・ガス、着弾時の衝撃、死の恐怖…。これらを軽減するために盛んにメタンフェタミンは使用された。長時間の戦車戦においてこれらのメタンフェタミン含有チョコレートはかなりの成果を残した。「異常」とも言える戦車内のあの環境で戦車兵が勇ましく長時間戦えた要因の一つとして、これらのメタンフェタミンの効果があったのは忘れてはならない。もちろん、これらの処置はドイツ軍だけではなく、連合国側でも取られていた。

 

b.Stuka-Tabletten

メタンフェタミンの持つ集中力の増強は空軍兵士にも大きな利益をもたらす。長時間、空のあらゆる範囲に注意をめぐらし、緊張感を持って操縦を行わねばならないパイロットにとってメタンフェタミンの効果は望ましいものだった。ドイツにおいては「スツーカ錠剤」、英語圏では「パイロットの塩」とあだ名されるメタンフェタミン含有製品はあらゆる場面において兵士の心強い味方であった。戦車チョコレートと同じように、これらの処置は連合国側でも同様であり、連合国側では主にアンフェタミンが使用されていた。

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アンフェタミンを摂取せよ!』と述べ立てる連合国側のポスター

 

4.終わりに

メタンフェタミンアンフェタミンが軍隊で乱用されたのはその望ましい効果によるものだった。集中力を長時間維持させ、気分は高揚し、食事を必要としなくなり、眠らなくても精強に戦える…そのような夢のような効果が覚醒剤にはあった。もちろんその副作用は非常に重い。脳は萎縮し、死に至ることさえある。しかし、戦争中の兵士たちにとって、覚醒剤による「未来の死」より、「10分後の敵弾」のが怖かったのだろう。今回はドイツを取り上げたが、これらの覚醒剤はドイツ以外でもアメリカ、ソ連、日本…等でも大々的に使用されており、その後遺症は深い傷を残した。我々が第二次世界大戦を語るとき、軽視されがちな覚醒剤であるが、たまには思い出すのもいいだろう。風化させてはならない戦争の要素の一つだからである。戦争に覚醒剤がつきものなのは今も変わらない。アフリカの内戦地域では今も覚醒剤は軍公式で大量に使用されている。我々人類が覚醒剤を根絶できるのは戦争を根絶できたときなのかもしれない。それがいつくるかは誰もわからない…。

 

おまけ:覚醒剤の作用と副作用

覚せい剤アンフェタミン類)の作用機序は, シナプス前部でのモノアミン類(ドパミンノルアドレナリン)の放出を促進し、再取り込みを抑制することによって、神経伝達物質であるドパミンやノルエピネフリンの脳内シナプス間隙における濃度を上昇させ、その結果中枢神経系を興奮させると考えられている。

覚醒剤を使用すると、目が眩むような強烈な快感を体験し、やがてそれが、多幸感や高揚した気分に変わってゆく。摂取してから30分位は強烈な興奮と快感を覚えますが、その後は3時間から12時間位にわたって覚醒状態が持続し、その間、多くの場合、使用者は眠ることも物を食べることもできない(食べても吐いてしまう)。覚醒剤使用者は、多くの場合は、中枢神経興奮作用により一時的には気分が高揚し、自信が増し、疲労感がとれるように感じるが、効果が切れると激しい抑うつ、疲労倦怠感、焦燥感に襲われる。

また連用により、脳のドパミンニューロンが賦活され、幻覚や妄想などの精神病症状が出現します。覚醒剤は乱用によって攻撃的、暴力的傾向を起こしやすく、依存性が強く、長期の後遺症を残しやすいために、もっとも危険な薬物とされている。ツイッターで砂鉄と名乗るアルファが覚醒剤は危険ではないと述べたが大嘘で、多くは脳に回復不可能な損傷をもたらすのである。みんなは絶対にやめよう。覚醒剤と類似の効果をもたらす物質にリタリンエフェドリンがあるが、これらも脳に損傷をもたらす。

 

 

*1:覚醒剤とはドイツ語のWeckamin=覚醒アミンから来ているとされる

*2:メタンフェタミン覚醒剤の親玉と言っていい。現在でも「クリスタルメス」などと称されて各国で非合法に大量に乱用されている。日本において報道される覚醒剤の殆どはこのメタンフェタミンである。

「青学サンバゲーム」の民俗学的考察

 

1.はじめに

みなさんは今年の初夏にネットを騒がせたこの動画をご存知だろうか。

この動画に対するネットの反応はまさしく「炎上」というに等しかった。瞬く間に青山学院大学(青学)とこのサンバゲーム(通称「青学サンバ」)、そしてそれを踊ったAmiなるサークルが特定され、大学側が見解を述べる事態にまで発展した。

しかし、私はこの騒動を見ていて不満を持った。誰もこの「青学サンバ」に対する真面目な論考をしていないのである。彼らは青学に入れるだけの知能がある。ただ狂信的に踊り狂ったわけがない。何か理由があって、意図があって踊ったのだと考えるのが自然であり、むしろ必然ではないか。この記事では青学サンバに対する一つの考察を提供したい。

 

 2.動画より理解できること

このサンバゲームの動画に対して理解できることは2つである。

 

a)なにか規則があり、それに則って踊り狂うこと。

b)SEIYU店内で、しかも営業時間内に行っていること

 

まずaに対しては明確に何らかのルールがあることが読み取れる。すなわちこの踊りはただ闇雲に踊り食っているわけではなく、何か絶対の基準となるものが存在し、全員はそれに従って踊っているのである。加えてメンバーは赤色の服3人・黒色2人・白色1人であり、男女比は3:3で計6名である。この人数や男女比、服装の色も考慮する必要があるのは、先に上げたように彼らが明確なルールに従って踊っている以上当然であろう。

bに対してわかることは少ない。SEIYUは低価格路線のスーパーであり、ありふれたものだ。そして営業時間内に客が通行する通路で踊っている。動画からわかることはこの程度にすぎない。

 

以上わかったことを元に考察を進め、彼らの神聖な青学サンバの神秘に一歩でも近づくよう努力したい。

 

3.青学サンバの考察I─踊ることの意味

青学サンバは何か明確な規則に厳密に基づいて踊る行為だというのは2で述べたとおりだが、それを更に進めていく。

まず「踊る」ことは何を意味するのだろうか。柳田國男はこう述べている

祭に音楽を奏し又おもしろい舞を舞ふのは、大昔からの事であつた。その為には臨時に莚を敷き幕を張りめぐらし、又は社殿の傍に常設の舞台を建て、或は祭に奉仕する人の住宅を清めて使ふこともあるが、それは皆何処にその日の神を御迎へ申すかによつてきまることであつた。たゞその舞台を人が舁き、又は車を附けて曳きあるくやうになつたのは、昼間の御幸みゆきの路を賑はしくしようとした為で、是に氏子の者が出演するやうになつたのと共に、新らしい出来事と云つてよい。つまりはぢつとして神を御迎へ申す、小さな祭の方が古いのである。

柳田國男著『祭の様々』

ここで注目して欲しいのは祭で踊るのは昔からのことであり、神様をお迎えする場所で踊ることで、神様を歓迎していたということである。また、祭に付き物の「山車」などは実は後に出来たもので、少人数でごく簡素に踊ることこそが祭の原点だったということがわかる。ただし、柳田は「神様を歓迎」と一つに絞っているが、正確には神様を歓迎するような、つまり霊的な、呪術的な側面が踊りには備わっていたということである。踊りの呪術的な側面は世界共通であり、ネイティブ・アメリカンのゴーストダン*1も例として上げることができるだろう。

また、踊りといえば「歌垣(うたがき)」がある。これは日本古来の農民の間で行われてきた儀式的な集会である。地域差や解釈の違いはあるが、多くの場合、農民たちはこの場で歌い、踊り、食べ、飲み、アニミズム的な神様へ信仰を捧げ、豊穣を祈った。これらはもともといわゆる「収穫の儀式」「収穫の祈り」に密接に関連付けられており、これから派生して子宝祈願や男女の逢引の場にもなった。*2そして彼らは当時お酒を飲んでいたそうだが、これも古来からの儀式との関係性を伺わせる。古来から呪術的なものと酒による酩酊は切っても切れないものであったのだ。

なぜ踊ることがこのような呪術的な側面を持つかといえば、多くの学者が様々な解釈を述べているが、一心不乱に踊ることで一種のトランス状態に到達し─ランナーズ・ハイのようなものだ─それが霊的経験と結びついたのではないかと言われている。それが段々と儀礼化・洗練化されて(専門用語ではこれを「風流化」と呼ぶ)今の華やかなダンスに至るわけである。

さて、ここで青学サンバをもう一度見てみよう。男女が同数(3:3)で赤・黒・白の服で踊っている。この踊りが豊穣の儀式(作物の意味でも子宝的意味でも)なのは明白だ。*3が同数なのもそれを裏付けている。彼らはある程度儀礼化(ルール決め)された踊りを踊ることでアニミズム的神に祈りを捧げ豊穣を祈っているのである。

また、3:3にも意味がある。カバラ数秘術では3は子供を指す数字である。好奇心・行動力を示すとともに、軽率な行動・浅はかな考えも表す。そして3+3=6は美を示す数字だ。つまり子供のような好奇心と行動を踊りとその人数によって示すと共に、それを合わせることで6となり、美的なものまで昇華させているのである。この場合の好奇心や行動は豊穣の意味から見ても、男女同数な点から見てもセックスへ繋がることは明白であり、彼ら・彼女らは─もし神がいるとするならば─子宝に恵まれることは間違いない。

服装についても面白いことがわかる。赤3、黒2、白1であるが、カバラ数秘術において1は父、2は母なのである。つまりこの3:2:1という人数比自体が一種の家庭(父1人・母2人・子3人)を示している。母が2人?と疑問に思うかもしれないが古代社会においては一夫多妻制は広く見られたもので、彼らの踊りが呪術的な側面を重視した古代的なものである以上、ここまで配慮していたのだと思われる。彼らはサークルに属していたそうだが、サークルも部長が部員を指揮する一種の父系家族制度的なものであって、そうしたサークルという擬似家族で更に擬似的な集団(3:2:1)を作り、豊穣の踊りをするのは、よほど子宝を望んでいたのがわかる。なぜそこまで子宝を望んでいたのかはわからないが、とにかく彼らの豊穣への情熱は誰が見ても伝わってくるだろう。

 

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(参考画像:現在も残る豊穣祈願の踊り。ガーナにて)

ここまでを約言すれば踊りの持つ呪術的な側面を、彼らは豊穣へ振り向け、一種の擬似家族を形作り、カバラ数秘術の原理も利用し、酒と踊りでトランス状態に達することで、その祈りの強度を極度にさせているのである。彼らの踊りはおそらくサークル内で儀礼化・儀式化された豊穣の踊りであるのだろうが、ここまで数々の理論を取り入れて、洗練化された踊りはなかなか珍しい。

次の章ではなぜSEIYUで踊りを踊ったのかを考察したい。

 

4.青学サンバの考察II─SEIYUの意味

SEIYUで踊ったことに対して私はいくつかの仮説を立てているが、どれも決定打に乏しい。その中でもある程度受け入れられそうなものをここで取り上げたい。それは「SEIYU=豊穣の象徴であるとともに到達点である」という説だ。

先に引用した柳田の論のように、呪術的な側面を持つ踊りは神様をお迎えする場所で行った。つまりSEIYUのあの場所に神様をお迎えするような要素があった、または神様がいると考えられていたということになる。SEIYUはスーパーであり、多くの食品に溢れている。動画を見る限り精肉コーナーの前の通路で行ったとみられる。精肉コーナーには多数の肉が陳列されている…。

SEIYUは食品に満ち溢れた豊穣の象徴ではないか。SEIYUに行けば色とりどりの野菜や様々な魚や肉が置いてある。まさしく資本主義の極地であり食の豊かさの象徴だ。彼らはSEIYUを一種の霊場とみなして、豊穣の神様がいるところに見立てたのかもしれない。

また、精肉コーナーというのも意味がある。古来より儀式では「生け贄」が必要だった。旧約聖書のカインとアベルもそうだ。神には捧げ物をしなければならぬ。彼らは精肉コーナーで踊ることで、精肉コーナー全体にある大量の肉を神に捧げたのかもしれない。お墓にお酒や花を供えるように、現実で消費されていなくとも、神や霊は受け取ってくれているというのが世界共通の概念だ。イデア論や形而上学的な話のようだが、我々は普段お墓に故人が好きだったお酒を供えるなどの行為でかかる概念を実践しているのだ。彼らは精肉コーナー全体の肉を供物としたのであり、繰り返しになるがよほど強烈に豊穣(子宝)を祈っていたのがわかる。サークルで代々受け継がれている踊りらしいので、もしかしたらあのSEIYUの精肉コーナーも代々青学サンバという名の呪術的な踊りで使われる「霊場」なのかもしれない。

 

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(参考画像:SEIYUの精肉コーナー。様々な「生け贄」が並ぶ)

とにかく、私はこのようにSEIYUの意味を考えた。だが「スーパーなら他にもある。なぜSEIYUなのか?」という疑問に答えられはしない。これは本人たち、あるいはサークルOBに直接聞いてみるしかないと思われる。彼らの中では何か明白な、それでいて秩序だった規則があり、それがSEIYUにつながっているのだろう。

 

5.まとめ

今まで述べてきたように青学サンバとは高度に洗練・儀礼化された豊穣の祈りの「儀式」である。彼らは様々な要素を駆使し、SEIYUで踊ることでアニミズム的神に祈りを捧げているのだろう。彼らに祈り通りの、子宝が現れんことを。

彼らの世界観は「はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの のりのみちをば しる人ぞしる」*4のままであり、それ自体は悪いことではない。しかし、実際問題として精肉コーナーで踊られるのは店としても客としても厄介だ。

私は青学サンバは民俗学的に興味深いものであり、Amiというサークル含めて保護すべきだと考えている。彼らの踊りは伝統があるのだろうし、そこに豊穣の祈りがある。具体的にどうすればいい、とはいえないが、彼らの誇りある青学サンバという子宝祈願の文化は残っていてほしい。もう今では踊ることが祈りであることをみんな忘れてしまった。民俗学をやる学生が知るだけだ。そんな中、あのような踊りで祈りを現役で行う集団がいることは、しかも日本にいることは奇跡なのだ。どこか彼ら専用の霊場─青学サンバ専用のSEIYU─などができればいいのだが…。

そして、私は青学サンバについてもっと本格的に研究してみたい。もし青学に通う学生がいたらぜひ私に青学サンバについて教えを請いたい。かかる民俗学的事象は軽く扱ってはならない。そこには深い意味と伝統、そして豊穣の祈りが込められているのだから。教えてくれる方はツイッター(@teslamk2t)まで連絡をお願いします。(請願)

 

ザポロージェ人といえば、実に素晴らしいものでな! 立ちあがってシャンと身体を伸ばすと、雄々しい口髭を捻って、靴の踵鉄の音も勇ましく踊りだしたものだ!そのまた踊り方といつたら、両脚がまるで、女の手に廻される紡錘そっくりで、旋風のような速さでバンドゥーラの絃を掻き鳴らすかと思うと、直ぐさまその手を腰にあてがって、しゃがみ、踊りに移る、歌をうたう――心もそぞろに浮き立つばかりだ……ところが今ではもう時勢が変って、そうしたザポロージェ人の姿も滅多には見られなくなった……

ニコライ・ゴーゴリ著『ディカーニカ近郷夜話 紛失した国書』

 

ああ、青学サンバよ、ザポーロジェ人のように消えゆくことなかれ!

参考文献

柳田國男著『祭の様々』

・エルンスト・ミュラー著『ゾーハル―カバラーの聖典

日本学術会議文化人類学民俗学研究連絡委員会著『舞踊と身体表現』

・青学サンバの動画(URL前掲)

 

 

 

最後に一言

 

これはネタ記事です(一応言っとかないと誤解されそうなので…)ただし考察自体は文献読んでまじめにしてあります…

 

 

 

*1:精霊に祈りを捧げれば不死の肉体を手に入れ白人を駆逐できるとする信仰。しばしば名前の通りダンス=踊りによって祈りが捧げられた

*2:作物の豊穣と子宝が同様に結び付けられるのは世界各地にある概念で、男根崇拝=ファルスという形でしばしば現れる

*3:英語の豊穣=fertilityはラテン語由来だが、この言葉は土地の肥沃さと子宝、どちらも示す言葉なのである

*4:一遍聖絵

市販されていた麻薬含有商品たち─欧米の「大麻薬時代」─

1.はじめに

今日禁止されている薬物の多くは、かつて合法的に入手可能だった。 この記事では、19世紀末〜20世紀半ばの間に広く利用可能だった多くの「向精神作用」を持つ薬物を紹介したいと思う。お気楽に読んでください。

 

2.背景

 かつてほとんどの製薬会社、複数のスパイス(香辛料)生産会社はアヘンのような強力な麻薬を含む製品を生産していた。 これらの麻薬生産会社は、今日よく知られている企業である。 かかる企業の商品展開において強力な精神作用を持つ物質を取り入れるのは、19世紀〜20世紀初頭の間に一般的だった(「大麻薬時代」とも呼ぶ)。 これらの物質の中毒性や依存性が認識されていなかったからだ。

 向精神物質の禁止は、米国および欧州で徐々に進化してきた。 アヘン含有製剤のアヘンチンキ*1は、 18世紀以来広く利用されていた。 モルヒネ、コカイン…これらはあらゆる病気を治す奇跡の治療法と考えられていた。 19世紀後半の間に、多くのメーカーが誇らしげに、「我社の製品にはコカインやアヘンが含まれている!」と喧伝した。 これから紹介する『ミセスウィンズローのスージング(なだめかし)シロップ』などはモルヒネを含有していたが、これは乳幼児に盛んに使用された。 20世紀の初めになってやっと。コカインやアヘンの常習的な使用の弊害に人々は気づき始めた。 これは、製品からコカインやアヘンの除去(例えば コカ・コーラ )につながった。また、製品ラベルに成分表を表示することを定めたThe Pure Food and Drug Act (1906) =1906年度純粋食品医薬品法の導入につながった。 それにもかかわらず相変わらずアヘンのような標準的な麻薬鎮痛剤は容易に入手可能なままであった。ベンゼドリン吸入器*2は1950年代初めまで処方箋なしで販売されていた。 またアメリカではコデイン─ブロンに含まれているといったらわかるだろう─は1980年代初めまでは、ほとんどの市販鎮咳剤に含まれていた。

 

3.コカイン含有商品

 コカインは歯痛や頭痛用の薬、各種カタルを緩和するための薬に使われていた。コカインの数多くの有益な効果(鎮痛等)を見込んだ薬と同時に、完全に娯楽用途に振り切ったコカイン含有ワインなども存在した。また医療従事者向けを狙ったコカインを主成分とする局所麻酔薬などもあった。

 

『C.F. Boehringer & Soehne (ドイツ)の文鎮広告。』

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「世界最大のキニーネとコカインの生産工場を持っています」と書かれている。この会社はコカインを生産していることに誇りを持っていたようだ。

コカ・コーラシロップ』

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20世紀の早いうちに、コカ・コーラからは明確にコカの葉または、コカの葉の主要成分のコカインは除去されるようになるが、それ以前は含有されていた。

 

 コカインは有効な局所麻酔薬である。コカインの最も初期の用途のいくつかは、その局所麻酔特性のためであった。 今日使われるリドカインとプロカインのような局所麻酔用の化合物コカインで発生する、多幸感を引き起こすような「副作用」を発生させない。以下は麻酔作用を狙った市販製品たちである。

『コカイン歯痛ドロップ』

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これは当時子供を持つ親に大変人気があった。麻酔作用だけでなく、ぐずる子供を「より良い」気分にさせ、なだめかすことができたからだ。子育ての必需品とまで言われた。

『コカイン含有のど飴 』

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「歌手、教師、演説者には欠かせません。」とある。 酷使した喉の痛みを静めるのもそうだが、それよりもコカインの多幸感がより良い演説や歌唱を提供したと思われる。この当時、各地にある薬局は、先に紹介したようなコカイン生産会社などから製品を買い付け、独自のラベルを貼り付けたり調合したりして、その地方の消費者にあった商品としてそれらをパッケージングして売っていた。

 

『メトカーフのコカ・ワイン』

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これは市民が普通に入手可能なコカイン含有ワインの一つだった。 これらは間違いなく娯楽目的に消費されたが、あくまでメーカーと消費者は薬効を主張していた。

 

『ヴィン・マリアーニ』

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ヴィン・マリアーニは大手コカワインだ。この広告ではローマ法王レオ13世までもが愛用者だったことがわかる。この他、このワインは文字通りあらゆる人々が気軽に多幸感を得るために飲んでいた。

 

マルティン・コカワイン』

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このコカワインはMaltine社 (アメリカ) によって生産された。記録によると虚弱体質の改善や食欲増進に使われたという。

 

『ワイン・オブ・コカ』

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今まで上げてきたようなコカワインの効果の他に、ブラード&シェッド社は、船酔いを和らげるのに有効であると主張した。 また、同社はこう宣伝している「アヘンやアルコールの習慣を(持ちましょう)」。

 

『バーネットのCOCOAINE』

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COCOAINEとは造語でココナッツ(COCONUT)とコカイン(COCAINE)を組み合わせた語である。つまり、これは頭髪用品だが主要成分としてコカインが含まれている…のではない。実はココナッツオイルが主成分でコカインは含まれていないのである。つまり如何にもコカインが含まれている風の名前をつけて消費者に誤認させて買わせるという、今でもありそうな手法の商品である。バーネットとは製作者のジョセフ・バーネットの名前である。 逆説的に言えばこれは消費者がそれだけコカインを望んでいた、万能薬だと思っていた証明にもなる。つまり、コカインのニーズがあったのだ。

 

4.アヘン含有商品

 アヘンベースの製剤は、コカインを含有するものよりも更に多く採用されていた。 アヘンチンキは、2世紀以上に渡り広範に使用されていたのである。19世紀初頭におけるアヘンからのモルヒネの単離およびヘロインの「開発」(1898年)は、アヘンより効果的な治療薬が発見された!と賞賛されていたくらいだ。

 現代人にとって、アヘンの乱用は「19世紀の重大な健康問題である。」としか捉えられない。 しかし、これは誤っている。アヘン剤の使用に関しては当時の状況をも考慮する必要がある。 当時コレラマラリア赤痢の死亡率は非常に高く、アヘン剤は、これらの病気に対していくつかの治療法を提供していたのである。(現代でもアヘンは赤痢の最も効果的な治療法の一つである。)。

 一部の論者は、当時のアヘンベースの医薬品の入手の容易さに関して、その副作用や中毒性が奪ったよりも多くの命を救ったことを示唆している。 慢性的なアヘン剤使用の有害な影響は、19世紀後半の間に段々と認知されるようになった。この要因は、アヘン剤の必要性の減少…つまり19世紀後半の公衆衛生の改善は、コレラ赤痢を減少させた。更に湿地の土壌改善はマラリアの減少を齎し、アセチルサリチル酸の導入(アスピリン。1899年)は、中等度の疼痛緩和のためのアヘン剤に代わる代替医療を提供したのだった。この効果を無視し、安易に当時を批判することは許されない。もちろん賛成もできないが。

 

『スティックニーアンド・プアーズ・パレゴリック』

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これはMcCormick & Company(現在も存在する超有名スパイス会社)の看板商品として配布されていた。 この商品はアヘンとアルコールの混合物である鎮痛剤であった。 ラベルによると幼児、子供、そして大人のための用量がご親切に書いてある。 46%のアルコールを含み、加えてアヘンの効果もあり相当な鎮痛作用を発揮しただろう。

 

バイエルン社のヘロイン』

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バイエルン社はアスピリンで有名だが、図にあるようにヘロインも同社の看板商品であった。鎮咳剤として1900年から販売されていたという。

 

『グリコ・ヘロイン』 

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この雑誌広告はマーティンH.スミス・カンパニー製のグリコヘロインのものである。 ヘロインは鎮痛剤としてだけでなく、喘息、咳、肺炎治療薬として使用されていた旨がわかる。 同社はグリセリン(多くの場合、砂糖やスパイスを加える)とヘロインを混合させ(=グリコ・ヘロイン)、経口摂取用の口当たりのよいアヘン剤を作り、大儲けした。

 

『Antiasmatico No.4(第四号対喘息薬)』

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フレイザータブレット社製のこのチンキ(水剤)はヘロインが主成分であり、喘息に対する「特効薬」として重宝されていた。

 

『Vapor-OL (opium) Treatment no. 6(第六号アヘン蒸気治療薬)』

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このアルコール入りアヘン含有喘息治療薬は喫煙用の薬である。アルコールを含んだ揮発性液体は、小型灯油式気化器(下記を参照せよ)によって加熱されて気化し、吸引された。アヘン以外の他の物質も同様に気化器で使用されていたが、この混合物は、おそらく効力・即効性どちらも強いものであり多くのリピーターを確保しただろう。

 

『VAPO-Cresolene』と『Cresolene』

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Vapoとはラテン語のVapor(蒸気)から取られた語で、後半のCresolene示すようにこのランプはCresolene*3をベースとした医薬品を気化させるために使われた。 しかし、これはまた、上記に示したアヘン系喘息薬などの他の製品にも広く使用された。19世紀は喉の痛みの治療や喘息の治療といえばこのような気化器で何か薬剤を吸うのが主流で、ベッドサイドなどに常に置かれていた。

 

『ミセスウィンズローのスージング(なだめかし)シロップ』

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ミセスウィンズローのスージングシロップは、母親や保育従事者に不可欠な薬だった。当時の激務に追われる労働者階級が「子育て」するにはこのようなものを使わなければ不可能だったのだ。1オンスあたりモルヒネ65 mg相当を含み、それが騒がしい幼児を静かになだめつかせた(スージング)。 これは労働に追われる母親を大いに助けただろう。 この会社は、1887年からレシピブック、カレンダー、およびトレーディングカードのような様々な販促グッズを使用し、一大ブームを巻き起こしたのであった。この薬の悪質な点は、これらのスージング効果の源泉がモルヒネだと明記しなかったことだ。

 

『納税印紙2セント─アヘン用』

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1906年度純粋食品医薬品法が導入されるまで薬などの成分をラベルに表示する義務はなかったが、アヘンやその他の麻薬を含む製品は1ボトルにつき特別な税を支払うこと、この納税印紙で封することによって税が支払われたこととを証明する必要があった。つまり政府公認であったわけであるし、税収源でもあったのだ。納税印紙に子供が書かれているのがなんとも皮肉である。当時は先に紹介したように子供にも大量にアヘンベースの医薬品が使用されていた。

 

『アヘンパイプ』

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アヘンパイプによるアヘン喫煙はアヘン戦争などもあり中国の印象が強いが欧州でも盛んに行われていた。写真は1900年に撮られたハイデルベルク大学の学生達である。アヘンの喫煙はアヘン摂取の一般的手法で、大学生、医者、弁護士等のインテリに特に人気があった。主に娯楽目的だっただろう。

 

5.アンフェタミン含有商品

 アンフェタミンは、コカインやアヘン以降の製品である。 一般的にイライラの解消、気力の増強などのメンタルヘルス用途、酔い止め、活力剤として使用されていた。 アンフェタミンは1970年代まで大変人気があった。アンフェタミンうつ病治療、統合失調症治療、無気力症、酔い覚まし、筋力増強剤などとして大々的に用いられていた。*4

 

『ベンゼドリン(ラセミアンフェタミン)吸入器』

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この商品は1950年代初めまでは店頭入手可能だった。*51930年代末FDAの規制によってアンフェタミン製剤の医師の処方箋が必要となった時、世の中のジャンキーたちはベンゼドリンに目をつけた。この薬は処方箋なしに買えた「鎮咳薬」であったためだ。1930年代末〜1960年代までの間、つまり幻覚剤全盛期を迎えるまでのアメリカのジャンキー文化のメインストリームがこのベンゼドリンだった。 この薬はいくつかの航空会社でも飛行機の離着陸時の不快感を最小限にするために乗客に提供していた。 パンアメリカン航空のパンフレット等ではCAへのオーダーメニューの中にベンゼドリン吸入器の記載がある。日本におけるヒロポンメタンフェタミン)のように兎にも角にも乱用され、夜勤、激務、試験勉強、夜遊び等で大々的に使用されていた。

 

6.おわりに

 このようにかつて多くの麻薬製品が大体的に使われていたのである。代替医療がなかったとはいえ、恐ろしいものであったのは事実だ。

 アンフェタミンなどに関してはWW2中に軍用として大量生産・大量消費された事実があるがこれは後に簡素に記事にしたいと思っている。ヒロポンメタンフェタミン)等もね。

 この記事で「へ〜そういう時代もあったんだなあ」と軽く思っていただければ幸いである。なにかご意見等あったらツイッターまでお願いします。

 

 

 

*1:アヘンをエタノールなどに溶いたチンキ=水剤。鎮痛に使われたが、娯楽のために乱用された。これらの娯楽用途では主に気化させて吸引していた。愛用者に米国大統領リンカーンの妻などがいる

*2:アンフェタミンを含有する薬剤。アンフェタミンの末梢血管収縮作用を利用し、鼻や喉の鬱血や腫れを収めるのに使われた

*3:19世紀に存在したコールタールをベースにした薬。現存せず

*4:現在、アンフェタミン関係の薬はADHDナルコレプシーの治療の最終手段として用いられている。中枢神経系を興奮させるために効果があるのだ。Evekeoというアンフェタミンベースの新薬が治験されていたことは記憶に新しい。

*5:現在アメリカでこの薬の持つ中枢神経系興奮作用による強力な減量効果にあやかってベンゼドリンという薬があるが、これにはアンフェタミンは含まれていない。興味があったらオオサ◯堂等で調べてみるといいだろう

高校生のあなたに向けて─選挙にあたって知っておいてほしい「民主主義」のあれこれ

まえがき 

これから書く文は高校生に、つまりこれから選挙権を獲得し、投票活動、その他政治活動に本格参加する権利を得るあなた達に書くものである。なるべく、簡潔に、民主主義という「理想」に参入するための心構えや知っておいてほしいことを書きたいと思う。そのために、かなり端折って、ある意味では極論じみた記事になることと思う。かかる文で出た疑問点等はツイッターの垢(@teslamk2t)などで質問していただけると幸いである。

 

 

 

1.投票は本当に「あなたの意思」なのか?─扇動に気をつけろ!

各国の歴史を紐解くと、個人の場合と同様、国全体が浮かれ、常軌を逸し、興奮に身を委ね、分別を失うという事例にぶつかります。共同体の全ての構成員が狂ったように一つの目標に向かって猛進したり、何百万という人間が集団幻想にとらわれたりすることがあります。血や感嘆の涙をながすことがなく、軍事的栄光や、狂信的な宗教的禁忌の呪縛から理性を取り戻すことができないのです。(・・・)悪名高い幻想は長い間、滅びることがなかったばかりか、ますます広く文明国の人の心を捉えています。例えば、知識の進歩によっても、決闘・オーメン・占いといった野蛮な慣習が人々の心から駆逐されることはありません。お金もまたしばしば集団幻想の原因となりました。平和な国が投機に夢中になり、国の存在を一片の紙切れのために危うくしました。  byチャールズ・マッケイ

 誤解を恐れずに民主主義を言うならば、それは投票活動などの政治活動を通して国民の意見を代弁する代議士(国会議員)を国会に送り出し、彼らに我々の意見の体現者となってもらうものである。代議士の意味の通り、国会議員は君たちの意見を「代理で議論する者」だ。

さて、この国会議員であるが、「一般人」が国会議員になったことは少ない。親が政治家(いわゆる二世)だとか元タレントだとかが多いのはなんとなく知っているだろう。しかし別に一般人が─例えばそこら辺で働いている非常に利発で高潔な精神を持つサラリーマンが─国会議員になっていけないわけではない。だが実際なれない。なぜだろうか。

それは投票活動が国民の「自由意志」だけではなく、外部要因でも決定されていること、そしてもはや国民が投票活動に何らかの精力的エネルギーをつぎ込んで、「熟考」することが不可能になっているからだ。

君たち高校生はネットを使いこなしているだろう。「マスゴミは糞」「テレビは扇動ばかり」・・・こういった言説を聞いたことがあると思う。そしてそれは部分的に正しい。例えばテレビで何度も何度も好意的に取り上げられ、それがまるで国民の総意のように扱われるとき、人はその人に好意を持ち─もっといえば「持たされる」─、結果として彼に投票してしまうのだ。*1

とはいえ、私は今の高校生がテレビで真に影響を受けると私は思っていない。そして、よく批判される「まとめブログ」からも影響を受けるとは思っていない。むしろラインやツイッターなどで君たちは印象操作されてしまうだろう。ツイッターの偉そうで、さも学がありそうなアルファを見たことがあるか?君はフォローしてないか?奴らは政治の話題に敏感で、マスゴミやまとめブログを批判し、更に毎日何らかの政治的ツイートで左翼or右翼を批判し、そして「私は良識派である」という顔をしてるだろう。そして多くの取り巻きは、彼らの「ありがたい説法」を聞き、影響を受けている。ここで重要なのは、彼らが全く正しいことはなく、彼らを信じれば「俺は情強」という態度はやめなければならないことだ。

つまり、君は政治に関して、いやもっと言えばこの世のあらゆる物事に対して「自分の意見」を持つことが大事なのだ。君たちの親世代はテレビに親しみを持ち、テレビである候補者が絶賛されれば、彼らに思考停止状態のまま投票するかもしれない。マスコミ全体が持ち上げて、そのとおりに選挙結果が進んだ民主党政権の例を上げれば容易いだろうし、自民党55年体制のもとで長期政権を保てたのも「自民党に入れてきたのだから今回も自民党で…」という思考停止状態の君の親、いやもっとそれより上の世代がいたからという事情がある。*2君はテレビで、ネットで、多くの情報を目にするだろう。しかもそれらの情報は多くが相互に矛盾・反発しており、「完全に正しい情報」などというものはこの世に存在しないと理解せねばならない。多くの情報は扇動するのを狙っている。さも自分は良識派だという顔をしたあらゆるメディアが扇動に躍起になっている。まとめブログなどもその一つだし、ツイッターにおいても数多く見られる。だから、「テレビを批判し、ネットを信じる」だとか「ネットに真実がある」だとかはやめて、「テレビもネットも一部にしか真実はない。俺はテレビもネットもやって、その中から真実を探りだしてやる」という意気込みが重要なのだ。*3

さて、私は多くの情報から真実だと自分で判断しうるものを探り出せ、といった。しかしこれができる「オトナ」は実に少ない。多くの理由がある。ラズウェルという政治学者が政治的無関心を研究した。その結果の幾つかをかいつまんでいうと、現代の国民には「政治に注ぎこむリソースが残っていない」のである。長時間労働、介護問題、その他数多くの問題が国民を蝕み、もはや息も絶え絶えだ。そんな状況で政治なるものに対して精力を注げるだろうか?毎日深夜まで残業しているおじさんが、あらゆる候補者のマニフェストを読み、人柄を調べ、その人が出した論文などで思想をチェック、そのうえで日本が置かれている各種問題と政治家の主張を比べ合わせて比較衡量する…本当にそんな時間はあるのだろうか?

もちろん、そんな時間はない。よって国民は政治家を調べることはできず、政治家を選ぶ基準は「知名度」*4になってしまうか、投票に行く元気すらなく、無投票になってしまうかだ。この知名度はメディアの露出時間などで左右されるだろう。昔はテレビが、今はネットで。私は20年後にはSNSの知名度を活かし、政治家になるものが出ると予想している。人はテレビ・マスコミで扇動され、労働でくたくたになり、ろくに考える間もないまま投票せざるを得ない。

これが君たちの教師が偉そうに語る「民主主義」の置かれた状況である。理想では、合理的な者たちが国の将来や社会的弱者などをも見据えて合理的な投票を行うのが良い。*5だがそうでないのが現実だ。君も気を抜けば即座に、君が嫌うような「オトナ」になってしまうだろう。ぜひとも投票する際、そして投票のために情報を集める際は注意してもらいたい。君たち世代がもし「理想」のように投票できれば、国は変わるはずだ。我々「オトナ」は合理的ではない。水素水に踊らされ、放射能に踊らされ…他にも多くのデマを発信し続けているのだ。私は君たちが合理性を持って投票することを願っている。扇動に負けてはならない。自分の投票活動を外部要因に左右されてはならない。自分の意志で、自分の利益を代弁してくれる投票者に投票するんだ。長時間労働に苦しむ労働者が、大企業が支持母体の自民党を支持するという皮肉な状況を見てみろ、こんな有様はいやだろう?

 

2.民主主義における「責任」について─民主主義は完璧な制度ではない!

さて、一章ではひたすら扇動に気をつけろという旨を話してきた。よし、君が合理性を持って、自分の利益を代表してくれる代議士(国会議員や知事)を選出したとしよう。例えば選挙前に「埋蔵金があるので増税せずに社会保障は充実できる」と唱えていた代議士が国会議員になった。君は社会保障の充実を期待する。しかし、実は埋蔵金などは存在せず、社会保障充実は叶わなかった。けれどもその代議士はのうのうと国会議員をやっている…。

逆に君は「派遣労働を推進する」と唱える代議士に投票した。彼は見事国会議員になり、派遣労働拡大政策を推し進めた。非正規雇用は増え、低所得者は増え、国は大混乱に陥った。格差は拡大し、低所得者は子供が産めず、労働は過酷になった。数十年後、この政策は誤りだったと多くの学者が批判し、今では派遣労働拡大政策は悪政だったとされている…。

これは誇張や予測も含んでいるが、事実を元にしている。このことからわかることは、代議士は君がせっかく選出したのに期待通りの活躍をしてくれないこと、そして国民が選んだ代議士がもし悪政を行っても国民自体はなんの責任を負わないということだ。

かつて、例えば近代以前、悪政を行った王は武装蜂起した民衆に、悪政の責任を取らされて罰を受けた。親族全員処刑されたり、監禁されたり、国外追放されたり…等々だ(革命である)。これらの王は民衆により選ばれたものではなく、多くが世襲制であった。

今の我々の「王」は─代議士や知事は─我々が選んでいる。先に述べたように扇動があろうが、プロセスは実に合法的で彼の地位にケチを付けられるものはいない。例えばいま話題の舛添(元)都知事も合法的なプロセスで、都民の信任を得てその職についたのだ。

彼は政治資金に関するゴタゴタで結果として辞任することになった。*6彼は辞任することで責任を取ったのだ。だが、彼を選んだ都民はなんの責任も負わない。

極端な例を出そう。例えば「障害者と高齢者は役立たずである。彼らに医療や社会保障を提供するのは国にとってよくない。彼らはあらゆる制度の枠外に置くべきである」と唱える政治家が誕生し、彼はこの政策を実行した。会社の激務で鬱になった元会社員は精神医学による医療も受けられず自殺した。高齢者は医療保険が使えず病院に行けず病死した。しかしこれによって確かに国の赤字は減少した。これらの政策が批判されたのは数十年後であった。この政策を唱えた政治家はすでに死没していた…。

この場合、この悪質極まりない政策を実行した代議士は、国民の期待に答えただけである。なぜなら彼に投票さえしなかったならば、彼はその政策を実行できなかった。つまり、この政策を選んだ責任は投票した国民にもあるはずだ。しかし民主主義においてはこの責任を国民が負うことはない。多くの障害者を間接的に死に追いやった国民たちは今日も誰かに投票している…*7

この話は極端であるが、この超縮小版と言える現象は常に発生している。政府の規制緩和政策や派遣労働拡大政策などである。そしてそれらの責任を国民が負ったことはない。私がここで言いたいのは国民に責任を負わせろ、等ではない。それは民主主義ではない。自由な投票ができなくなる。ここで重要なのは代議士とはそもそも何をすべきか、なのだ。

代議士の立場は大雑把にわけて2つの学説がある。

1.代議士は国民によって選出されたのであり、その国民たちの意思を実行する義務を負う。

2.代議士は国民によっていわば抽象的観念的な権利の移譲によって誕生したのであり、必ずしも国民の意思を実行する義務を持たない。

1の場合、極端だが、国民が核戦争を望んで彼に投票したなら、代議士は核戦争へ至る政策を実行しなければならない。2の場合、この代議士が「核戦争なんて起こしてはならない」と思えば、その政策を実行しなくても良いだろう。

これらの代議士の立場が本質的にどうであるかは今でも明確な答えが出ていない。例えば「あまりにひどい政策は実行せず、それ以外では実行すべき」だとか「代議士は国民の意思に拘束されず、自身の信念によって行動すべき」だとかだ。学校や一部の「オトナ」は「あなたの意見を実現するために投票しましょう」というが、実際のところ、あなたの意見を代議士に投票しても実現できる保証は一切ないのである。

我々は代議士を選んだ責任を負わない。また代議士も、もし何かを追求されたならば「辞職」すれば責任の追求は放棄される。内閣総辞職などがその典型だ。では民主主義において「責任」だとかはどこにあるのだろうか?悪政に繋がるような政策をマニフェストで唱え、それを支持した国民を縛り首にでもすればいいのだろうか?いや、そんなことは許されないのは当たり前だ。

理想論で言えば、悪政を行った代議士を支持した国民は「自発的に」反省し、次の選挙では合理的な投票を行うべきだろう。(代議士が本当にそのマニフェストを実行できるか、するかも判断して)そしてもし代議士が、投票した者の利益に反するような行動を起こしたらデモ活動などを通して─つまりロックの言うところの抵抗権である─代議士に対抗せねばらない。もちろんデモ活動で収まらず、ウクライナのように指導者VS国民の暴動状態に、革命状態になったところもあるのだが。

君たちは代議士を選出しなければならないが、以上のように多くの矛盾や問題を含んでいるのである。この問題は非常に難しい。監査制度や監視制度を設けるなどが現実的話だし、実際各国は行っているが日本においては有効に活用しているとは言いがたいし、これも結局「民主主義の理想」と「現実」の大きな溝を多少埋め合わせてくれる効果しか持たない。君たちが教科書で習った「完全無欠な民主主義制度」と「現実の民主主義制度」の大きな溝を知っておくのは、いずれにしろ、君の人生で役に立つだろう。*8

 

3.まとめ─理性的な君が国を救う

民主主義は不完全な制度であり、大量の問題点や改善点があること、そしてそれなのに民主主義以外の政治制度は問題があり、民主主義を運用していかねばならない。扇動、政治的無関心、代議士と国民の責任の所在…多くの問題を抱えながらも、我々は民主主義に頼るしかない。君たち高校生は「オトナ」は馬鹿に見えるだろう。実際、民主主義と喉が潰れるまで叫ぶ割に民主主義の問題や矛盾について理解していない者もいる。だが、この記事を読んだならばそのような「オトナ」より君は理性的な投票活動が行えるだろう。(と私は勝手に思っている)君たちの一票が日本を変える。私は君たち若者に期待している。どうか、君たちでこの国を救ってくれ。

 

さて長々と書いてきたが…もちろんこの記事自体が悪質な扇動の可能性もある。この記事を読んで、どう判断するかは君が決めることなのはお忘れなく!判断の練習にでもつかってください。

 

この記事の参考文献(と君たちが大学生になったら読んで欲しい本)

 ・政治学に関する包括的なもの(初学者におすすめ、これから読もう)

政治学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)

政治学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)

 

 

 

現代政治学 第4版 (有斐閣アルマ)

現代政治学 第4版 (有斐閣アルマ)

 

 

ロールズの正義論(無知のベール) /平等を実現するにはどうしたらいい?

正義論

正義論

 

 

 ・友敵理論について/政治の本質って何?「政治」ってなんだよ(哲学)

政治的なものの概念

政治的なものの概念

 

 

・マスコミ、ネットの扇動に対する深い考察(注:大学4年くらいになったらでいいです、ちょっと難解なので) 

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

 

他にもたくさんあるけども、ツイッターで聞いてください。そして …あなたがもし大学生ならこんな記事読まないでさっさと教養の単位でもいいから政治学の教授の講義をとるんだ!てすらの話よりはるかにいいぞ!

*1:詳しく話すと古典的政治学における弾丸注射理論などが当てはまる

*2:自民党の長期政権は多くの「土俗的」利権や慣習も関わっているが、ここでは省略する

*3:真実なるものは相対的で絶対的ではないためこの世に存在しない。しかれども、君が扇動を退け、多くの情報から真実だと判断したものを信じるのは大事なことだ

*4:この知名度は「政党の知名度」も含まれる。例えば君は自民党と新参のよく知らない党だったならば、自民党に投票するだろう

*5:ロールズの無知のベールなどにつながっていく話である

*6:この政治資金に関するマスコミの報道、そして国民の受容態度は舛添氏の善悪をおいておいて、扇動そのものであったことは特筆に値する

*7:この話を詳しく説明するとカール・シュミットの議会制民主主義批判に繋がる

*8:この問題について政治学者ダールはポリアーキーという概念を提唱した。民主主義は現実に存在しない制度であり、ポリアーキーという「民主主義のようなもの」が存在するのみだというのだ。ダールによれば我々はポリアーキーを目指すべきだという。

社会学・政治学・哲学・精神分析学等小ネタまとめ

Twitterでいろいろ長文ツイートをしていたもの(3月末~4月末分)のまとめです。一部加筆修正していますが、フォロワーの方は一度見たことあるものだと思います。内容は思想・政治学・社会学、ごっちゃです。また各種本の引用で成り立っており、自分も詳細に何から引用したのか覚えていないところがあります。ご容赦ください。「この分野面白そうだし読んでみようかなぁ」と思えるようなものがあったら幸いです。

 

1.ミヘルス/寡頭制の鉄則

民主主義において数は力である。よって民主主義では意見を通すためには組織を持たざるを得ない。それらの組織が民主主義の実現を目指すからには、それらは言うまでもなく民主的に運営されなければならない。そして実際にもまた組織が、意識の高い少数者の同志的な結合であった段階であるならば、成員全体の参加の元に意思決定がなされ、代表その他の役職も輪番あるいは抽選で選ばれるなど、組織の民主的な運営がなされていた。

しかし民主主義の実現のためには、それらの組織は成員を増加させて社会における発言権を拡大させねばならず、この成員の増加による規模の拡大は、必然的に指導者を産む。

成員の増大は、組織の果たすべき課題を量的に増大させ質的に複雑化させ、組織運営の分業化と専門化を齎すと共に、組織の統一的な指導者を必要とし、ここに少数の指導者が生じることになる。なぜなら、多数の成員が絶えず直接に意思決定に参加することはもはや不可能であり、たとえ可能だとしても一般成員大衆には決定と指導に必要とされる知識と能力が備わっている保証はないからである。こうして組織の拡大は少数の指導者を一般成員から分化させ、特殊な指導的能力を持つ者が指導者的地位に着くことになるが、更に組織の一層の拡大は指導的任務の複雑化と特殊化を推し進め、指導的地位を一般成員には近づき難いものとして、ここに成員と指導者との間に分離が生じる。この分離と共に決定の権限は一般成員から離れ、名目的にはともかく実質的には、次第に少数の指導者に掌握されることになる。

指導者への権力のこの集中化を更に推進するのは、民主主義における大衆組織は、資本あるいは与党に対し、耐えざる政治的闘争に置かれ、そこに必要とされるのは、状況に応じた指導者の迅速な決定と、これに対する成員の正確な服従による統一行動であり、これのみが組織に民主主義的勝利を齎し、民主主義を実現するとすれば、「少数者の意志への多数者の服従は民主主義の最高の徳」と考えられ、民主主義の原則は民主主義の名のもとに破棄される。

このような組織の指導者は表向きは民主的に大衆に選ばれたことによって大衆の意志の体現者であり、彼に対する反抗は、主権者である大衆への反抗であり、したがって民主主義への反逆とされてしまう。

ミヘルスはこれを「投票箱から飛び出るや、選ばれた者は如何なる反抗も許さない」と表現する。我々の民主主義は矛盾の上に成り立つ、「成り立っているように見える」砂上の楼閣に過ぎないのである。

 

この文章の参考となる本

現代民主主義における政党の社会学

現代民主主義における政党の社会学

 

 てすら注:民主主義の矛盾を鋭くついたミヘルスの名著。図書館などにはおいてあるのでぜひ読んでいただきたい。古典的本で、いろいろ批判もあるのだが、読んでおいて損はない本です。民主主義はどうしてだめなんだ!と思ったらぜひ。

 

2.フーコー/狂気について

19世紀の医学は、病的領域の規範と呼べるものを確立したと考えていた。あらゆる場所、いかなる時にも病気と見なされるべきものを認識したと思っていた。病的と見極めるべきだったのに以前は無知故に異なった地位を与えられていたものを、遡って診断することが可能だと考えていた。

おそらく、今日の医学は正常性の相対性と、病的領域の境界がどれほど変化し得るかをよく認識するようになっている。その変化は、医学自体はもとより、その研究と処置の技術、国の医療体制の度合いによるが、人口の生活基準、価値体型、感受性の境界、死との関係、与えられた労働の形態、つまり経済的、社会的組織全体にもよっている。結局のところ病的とは、ある時代のある社会での医療措置─実際にであれ理論的にであれ─がなされるものなのだ。これは古代ギリシャで癲癇が神聖病と呼ばれ、治療のために神殿に括りつけられたのも含むのである。

17世紀の中頃まで病気─とりわけ狂気─は注目に値するほど寛容だった。狂気という「現象」は、幾つかの排除と拒絶のシステムによって明示されているが、それに関わらず、いわば社会や思考の織り目の中に受け入れられていた。狂人と狂気は社会の周縁に追いやられていたが、それでも社会の内部に広く分布し、かつ動き回っていた。周縁的存在であるが、完全に排除されていたわけでもなく、社会の機能の中に組み込まれていた。ところが17世紀以降というもの、一大断絶が起こり、一連の方式によって、周縁的存在としての狂人を完全に排除された存在に変えた。

この方式と言うのは、監禁、強制労働と言った警察力に基づくシステムである。警察の設置とか監禁方式の確率という現象を通して、その時西洋世界は最も重要な原理的選択の一つを行ったのだ。そういう場合には人間の本性や意識がどうなるかという問題ではないのである。

狂人が完全に社会から排除されたことで、逆に排除されたものの中から文学が発展してきた。フーコーによれば「サドは私の考えではある意味で現代文学の創始者の一人だと思います(…)サドの作品が牢獄内で、しかも内的な必然性に基づいて書かれたという意味で、彼は現代文学の創始者なのです。つまり、ある種の排除のシステムがあり、それがサドという人間全体を襲い、彼の人間を通して、性的なもの全て、性的異常、性的怪物性、要するに我々の文化から排除されているもの一切の上に襲いかかった」(『文学・狂気・社会』)サドと同じ時期のドイツの偉大な詩人ヘルダーリンは狂人だった。

我々が注目に値したいのは、ヘルダーリン、サド、マラルメ、あるいはレーモン・ルーセルにおいて、アルトーにおいて17世紀以来遠ざけられていた狂気の世界、祭りのような狂気の世界が文学の中に突如侵入してきたということなのである。共時的(サンクロニック)、通時的(デイアクロック)として。

つまり狂気は社会から排除されたが、排除されたがゆえに文学や芸術の中で生きる道を見出した。まさに聖/俗の境界をさまよったマレビトのように、我々の中で狂気は、存続している。しかし、その狂気はもはや一般には受容されず、監禁される対象であることは言うまでもない。

(マレビトの参考:)

peoplesstorm.hatenablog.com

この文章の参考となる本

狂気の歴史―古典主義時代における

狂気の歴史―古典主義時代における

 

 てすら注:フーコーの本ならばぜひとも抑えておきたい本。翻訳の問題もあり難解だが、もし狂気なるものを学びたいのならば読んでおくと大変役立ちます。ただし、万人におすすめできるものではない。

 

3.フロイト/抑圧と文化形成、そして「幻想」の誕生

フロイトによれば抑圧による文化の形成とは、性欲動の非性欲化(昇華)を通じて達成される。文明の拡大発展は当然ながら性欲抑圧と非性欲化の促進を要求する。(性的なものが社会から排除されるのは最近のエロ本などの規制を思い浮かべてもらいたい)文明の拡大発展が促進されるほど、行き場を失った死の本能による攻撃性は内攻化し、各人の超自我の内に蓄積される。

超自我の自我への攻撃、すなわち罪悪感はますます加重される。「文化が家族から人類への必然的な過程であるとするならば、罪悪感の増大は(…)文化とは切っても切れない関係にあり、ひょっとすると罪悪感の増大は、個人の人間には耐えきれない程度に達するかもしれない」。

このように文明の発展による人間の不快(罪悪感)の増大で、人は文化の中でより不幸を経験せざるを得ない。昨今の色々な議論を見ているとフロイトの抑圧による文化形成論とその文化により更に抑圧されるという論を思い出す。ポルノの議論しかり、社会に対する様々な議論然り。

フロイトは文化とは幻想(fantasy)だとしている(つまり文化なるものは叶えられない現実を代償的に補い、この形成された幻想の中で充足を得る)のだが、これとオタクの…より具体的に言えば東方の幻想郷という共同幻想を考えると面白い。まさにあれこそが、そして東方という一種広大な文化は、フロイトの言う幻想そのものなのだ。

東方アレンジの某曲に
「叶わない妄想を信じて 人は夢を見る髑髏 会いたいと願うなら 全てを捨てても手を伸ばせ」という歌詞があるけども、物事の本質をとらえた素晴らしい歌詞だ。叶わない妄想、つまり幻想=文化を求める近代人の本質を的確にとらえた素晴らしい曲だといえよう。

 

この文章の参考となる本

幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)

幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)

 

 てすら注:抑圧と文化の関係について述べた本で新訳で読みやすい。投薬治療と認知行動療法が実証された今、精神分析学を大真面目に学べとはいえないが、思想家としてのフロイトの著作は十分読む価値がある。本当に初学者は精神分析学入門 (中公文庫)から読みましょう。無意識や抑圧について大変わかり易く書かれています。

 

4.高田保馬/結合定量の法則

高田保馬の『社会学概論』によれば、人の持つ結合(結びつき)には定量がある。一方の結合が強まれば、他方の結合が弱まる。フロイトのナルシシズム論的に言えばリビドーが自己に向けられれば、他者へのリビドー配分は少なくなる。簡単に命題化すれば、社交関係が広ければ広いほどその交友関係の親密さは浅くなる。

この裏命題として、家族の親密さと組織への親密さがある。家族の家父長への親密さが減れば減るほど、国家への親密さが深まるとされる。これを研究したのがPEスレーターで、ナチの政策は当初国家=ナチ党=ヒトラーへの親密さを深めるために伝統的な親の権威を否定することを行った。

然れどもここにジレンマがある。もし子供に家庭で親の権威を学ばなかったならば、大人になった人々を政治的権威に服従させるのは容易ではない。そこでナチ党は途中から、国家への忠誠を確保するために子供の親への忠誠を許容し、更には奨励さえした。これが国家の家族政策のジレンマである。

かかるジレンマはいろいろな例がある。スレーターはアメリカにおけるピューリタンの教会への服従と親への服従を研究し、同じことを導き出した。保守層が家族制度を維持する方針に走るのも、かかる国家的忠誠を確保するためでもあるのだ。その意味では今の家族の様態は国家にとっては不都合なものだ。

我々の持つ結合(結びつき)のためのエネルギーは限度がある。一万人友達がいても全員と深い親交を築くのは不可能だ。その分浅い結合になる。狭いコミュニティはその分結びつきも強い。これは田舎の「不自由さ」の理由にもなるだろう。そして国家と家父長への忠誠はブラック企業と家族仲が悪い若者の関係など数多くの考察を得ることができるだろう。

 

この文章の参考となる本

社会学概論 (1971年)

社会学概論 (1971年)

 

 てすら注:高田保馬の有名な結合定量の法則の説明である。この命題はわかりやすいが、批判もあることは忘れてはならないが、人間のコミュニケーションとはなんなのか、絆とはなんなのかを考察するのによい文献であろう。私は確認してないですが、新しくまとめた本もでているらしいので、ぜひ。

 

5.モーゲンソー/帝国主義とはなんなのか

「どの国が強国によって抑圧されたがるであろう。あるいは、誰がその財産を不正に略奪されたがるだろう。しかし隣国を抑圧しなかった国が一国とてあろうか。あるいは、他人の財産を略奪しなかった民が世界のどこにあろうか。実際、どこに。」by 『死海写本』


国家の現状維持政策のような「現状(ステータス・クオ)」という概念は、戦争前の現状(status quo ante bellum)という言葉に由来する。この言葉は、一般に平和条約などの条項に見られる外交専門用語であり、領土から敵の軍隊を撤退させ、それを戦争前の主権下に戻すことをいう。

この具体例:ロカルノ条約第一条
「独逸国、白耳義国間及独逸国、仏蘭西国間ノ国境ヲ基礎トスル領土ノ現状(status quo)維持」

政治学で現状という言葉を使う場合、このステータス・クオの概念なんだけど、某政治家が政治学における軍隊=国家の暴力装置で炎上したように、一般的になってる語と専門用語が同じ語で別のことを指す場合、専門論文なら混同されないだろうがツイッターだと混同されて大変な事態になるかもしれない。

帝国主義も乱用されて本来の意味での、政治学的な意味をわからなくしている言葉であり、モーゲンソーが『国際政治』でわざわざ帝国主義の本来の定義を永遠語るくらいなのだ。その本来の定義とは以下のとおりだ。

 1.国力の増大を目指す対外政策を全てが帝国主義ではない。帝国主義とは、現状の打破、すなわち2国ないしそれ以上の国家間の力関係の逆転を目的とする政策である。力関係の本質を損なわず、その調整だけを追求する政策は、なお現状維持政策の一般的な枠組みの中で機能しているのである。

帝国主義と国力の意図的な増大が同じものであるという見解は主に2つの異なるグループに取られている。反米派のように、ある特定の国家とその政策に主義の上から反対する人は、自らが抱いている恐怖や嫌悪の対象の存在そのものを、世界に対する脅威と見なすのである。それゆえ、このように恐れられている国家が力を増大し始めるたびに、その国に恐れを感じている人びとは、この力の増大が世界征服への踏み台になるに違いなく、それは帝国主義政策の現れに他ならない、というわけである。他方、どんな積極的な対外政策であれ、これをいずれ消滅させなければならぬと悪だと、見なす人びとは、力の増大を求める対外政策を非難するだろう。19世紀の政治哲学の継承者達はそのような人びとであった。彼らは、このような対外政策と、彼らが悪の典型とみなした帝国主義とを同一視したのである。

2.既に存在する帝国の保持を目的とした対外政策は、必ずしも帝国主義ではない。ところが、イギリス、中国、あるいはアメリカなどの国家が、ある地域でその優越的立場を維持するために行動すれば、それらは何もかも帝国主義的だと一般に見られがちである。その結果、帝国主義は帝国が構築されるその動的過程よりも、むしろ既に存在する帝国の維持、防衛、安定と同一視されるようになってしまった。しかし「帝国主義」という言葉は本質的に静的で、保守的な性格の国際政策に適用することは、完全に誤っているのである。なぜならこれまで述べたように、国際政治学において、帝国主義とは現状維持政策と対照をなし、したがってそこに動的な意味が含まれているからである。いわゆる「イギリス帝国主義」の歴史は、この点で教訓的だと言えるだろう。イギリス帝国主義は本質的には帝国主義ではなかった。

ということでみんなが言う帝国主義者め!なども真面目に語るとこうなります。ちゃんと理解した上で使おう。

 

この文章の参考となる本

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)

 

 てすら注:「国際政治学」についてわかりやすく書かれたモーゲンソーの名著。内容も難しくないので高校生でも読めると思います。あれこれ難しい論文を読む前にまずはこの本を読んでみてはいかがでしょうか。

 

6.J.ピアジェ/道徳感情の発達、そして日本社会にはびこる「体育会系の弊害」

社会学者のJ・ピアジェは、子供の集団の研究から子供はまず義務と他律の「拘束の道徳(morale de la contrainte)」から次第に善と自律の「共同の道徳(morale de la cooprration)」へと進化していくことを発見した。

「拘束の道徳」の段階にある子どもは、規則を永続的で神聖なもの、それゆえ修正不可能なものとみなす。しかし「共同の道徳」段階にある子どもは相互的に尊敬し、相互の要求から他者を尊重する規則へと変更することが可能である。

日本のブラック企業、または政治が規則を永続的で神聖なものとみなし、労働者や国民のための改革を打ち出せない・打ち出さないのは夏目漱石が「日本の開化」でも言っているように日本の精神的発展段階が未だ「拘束の道徳」で止まっているからであり、「共同の道徳」段階に達しなければならない。

また、ピアジェ「道徳が社会関係に源泉を持つのなら、『一方的尊重』を特徴とするような上下関係では、善と自律を経験させることはできない」とも言っている。要するに日本の体育会系やあらゆる企業の体質(上がただ威張るだけで部下を省みない)である。日本の今の体質では相互理解や他者尊重の精神なんて身につくはずがないのだ。体育会系を優先する日本の企業をもしピアジェが見たら…苦笑するだろう。

この文章の参考となる本

J.ピアジェ著『児童道徳判断の発達』(はてなブログからの検索だとAmazonで見つかりませんでした…)

てすら注:この本は社会学というより教育心理学などに近いのだが、読む価値はある。ただし優先ではなく、気が向いたら、暇なら、程度でいいかと。

 

7.オリバー・サックス/『レナードの朝』より「病気で苦しむということ」

「私たちは誰もが心の中で、自分はかつて完全な存在だったと感じている。のんびりしてなにかに煩わされることもなく、ゆっくりと落ち着いていて、そんな私たちの存在そのものが完璧に調和を保っていた、と。

ところが、この最高で無垢な状態を失い、現在の病気や苦しみに陥ってしまった。かつては無限に美しく大切なものを持っていたのに、それを失ったのである。私たちは、失ったものを探して人生を送っている。そしてある日、おそらく突然に、それを見つけるのだ。これこそが奇跡であり、至福の時なのだ。

災難や病気、苦痛などにひどく苦しめられている人々こそ、こうした考えを激しく抱いているであろうことは想像にかたくない。そうした人々は自分が失ったり無駄にしたり何かについて考え続け、手遅れになる前にそれを取り戻そうと必死になっているからである。

一縷の望みを抱えて司祭や医師をおとずれるひと、あるいは患者は、悪化の阻止、救済、再起のためにはあらゆるものを信じる用意ができている。必死で救いを求めている彼らは他人のいうことを信じやすく、いかさま師や狂信者からも被害を受けやすいのである。

失われたものを見つけなければならないという思いは、基本的には抽象的である。もしぼんやりとした何かを探している患者に、望んでいる物や探している物は具体的になんであるのか尋ねても、返ってくるのは項目を並べたリストではなく、単に「幸福」「失った健康」「以前の健康状態」「現実感」「本当に生きていることの実感」などといった答えだけだ。具体的な何かが欲しいというのではなく、変質してしまったあらゆる物事が回復し、無傷のまま元の状態に戻ることを求めているのである。そして、痛々しいまでの危機感を持ってあちらこちらを探しているちょうどその時に、突然グロテスクな間違いに導かれてしまう。

それは(ダンの言葉によれば)「薬局」を「象徴的な神」と間違えることかもしれない。そして、それは薬剤師や医師が陥りやすい間違いでもあるのだ。この時点で、無邪気な患者、そしておそらく無邪気ではない薬剤師と医師は、手に手を取って現実から旅立つ。

それと同時に、はっきりとした形をもたない真実は突然ねじ曲がり、空想じみた無意識の腐敗と欺瞞に取って代わられる。そして真実という場所を占める架空の概念は、錯覚された生気論か物質論で語られ、「健康」「満足」「幸福」などの概念は、一定の「要素」や「基本物質」─成分、体液、薬などの計量可能な売り買いされるもの─にまで矮小化される。このような見地に立てば、健康とは機械的に定量したり引き上げたりできるものと同じだということになる。だが、抽象概念を論ずる場合には本来そのような矮小化は行われず、存在の構造や目的などが検討されるのみである。

詐欺まがいの矮小化を行うのは錬金術師や魔術師、そして現代のそうした人々、あるいはどんな代償を払ってでも回復したいと願う患者たちなのだ」by『レナードの朝

 

この文章の参考となる本

レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 てすら注:映画化までされた不朽の医学書にして名ドキュメンタリー。眠り病、脳炎によってパーキンソン病を患った患者にL-DOPAを投与した際の記録である。堅苦しくなく、ぜひ楽な気持ちで読んでいただきたい。人間が生きるということ、苦しむということへの答えが記されている。

 

8.シェーラー/「まなざし」と「羞恥」の関係

シェーラーは『羞恥と羞恥心』という論文を書いて、まなざしと羞恥の関係性を現象学的に追求した。シェーラーによれば、羞恥は、動物にもなければ、神にもない。人間にのみ特有の感情である。人間は、精神と身体、霊と肉、永遠と時間、本質と実存などの両界にまたがって、橋渡しをしている中間者である。

羞恥はそんな人間だけに固有の感情なのである。すなわち、羞恥とは精神的・人格的な存在としての人間が、情動的(リビドー的)・動物的な存在としての自分自身を振り返り、自己の内なる両者の不均衡と不調和に気づいた時に、必然的に生じぜざるをえない感情である。

人間は身体(肉体)に縛られているからこそ、恥じざるをえない。と同時に、精神的な存在であるからこそ、「恥じることができる」のである。羞恥が優れて人間的な有り様を示す感情なのである…加えてシェーラーは羞恥の日常的、具体的な発生を述べている。

羞恥が日常で起こる条件の一つは自己への振り返り(Zurückwenden auf ein Selbst)、要は自己意識にある。つまり自分自身への振り返りである。例えば火事でパニックになった女性が裸で外に飛び出た瞬間に羞恥はない。しかし落ち着いて自分の服装を見た時初めて羞恥が生じる。

シェーラーによれば、我々の自己意識は、常に普遍者との関連において与えられることを必要としている。自分が単なる個別者でも普遍者でも羞恥は存在しない。普遍者であるのに個別化され、個別者であるのに普遍化されるとき羞恥は発生するのである。

具体例を上げよう。世間では人に裸を見られるのは恥ずかしい。しかし患者は医者の前で裸に成ることには強い抵抗を感じないだろう。これは両者が「○○さん」という個別者ではなく「医者」「患者」という「普遍者」としてカテゴライズされるからである。

一方恋人同士で性行為を行う際も両者は全裸に成るだろう。ここでも羞恥を招きにくい。これは両者が「○○さん」「○○くん」と両者自身を個別者として捉えているからである。

簡単にいえば、人は「大勢の一人」でいたいのに「ある特定の人」としてクローズアップされた途端恥ずかしくなるといえるし、「ある特定の人」でいたいのに「大勢の一人」として捉えられても恥ずかしいのである。これらの経験は大学の大教室で教授に運悪く当てられてしまった時のあの恥ずかしさを味わったことがある者ならば理解できるだろう。

これらがシェーラーの論であるが、サルトルも『存在と無』でまなざしと羞恥の関係を指摘している。作田啓一によれば「日本人が羞恥心を感じやすい」というのは普遍者(社会)と個別者(個人)の分離が中途半端な日本の構造にあるという。

 この文章の参考となる本

シェーラー著作集 15 羞恥と羞恥心

シェーラー著作集 15 羞恥と羞恥心

 

 てすら注:シェーラーの著作は少々わかりにくいものが多いが、優れた論文を数多く残している。これもそのうちの一つだが、初学者の方は現代哲学の主潮流 1 ブレンターノ・フッサール・シェーラー・ハイデガー・ヤスパース (りぶらりあ選書)あたりから読むと良いと思います。こういうものを学ぶときに大事なのは、わからない箇所は飛ばすことだ。最後まで読むと最初の分からなかった部分がわかる、というようなことが数多くあるので…

 

この記事の全体のまとめ

3月末~4月末の長文ツイートをまとめました。自分でツイートしたのにツイートしたことを忘れていたものもあってびっくり。ツイートを元に書いているので色々おかしい部分もあるでしょうが勘弁して下さい…あとジャンルがばらばらでなんかもう何が主体の記事なのかよくわからないですね…なにか意見ありましたらツイッターの方(@teslamk2t)までお願いします。

 

大変関係ない文:この記事は1万文字超えなんですが、ここまで書くと、安ノートが、PentiumNが火を噴く。MacBook Airがほしい…(無職には買えない)