VKsturm’s blog

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「イキる」ことに対するエッセイ─村社会でのイキりの重要性

インターネットではイキリという言葉がある。

ねとらぼの記事によれば意味は「イキるとは、調子に乗ったりえらぶっていることを表します。」とのことで、実際にそのようにネットでは使われているようだ。

イキるという行為が叩かれるのは、いくつかの理由がある。態度が大きかったり、調子に乗っていたり。これらをまとめると、特に自分の身の程を知らずに「イキる」のが一番叩かれていると思う。

 

例えば、テレビで見るモデルなどと比べて相対的に顔が良くないのにイケメンだとイキって自撮りを上げる。せいぜい偏差値60程度の学力なのに頭が良いとイキって東大卒のインテリに負けるなど、だ。(偏差値と「頭の良さ」の関係は、地頭などの概念と合わさって諸説あるがここでは偏差値=頭が良いと仮定している)

 

なるほど、確かに上には上がいる。それなのに自信満々とイキるのでは好感が得られない。「身の程を知れ」という言葉が似合いそうである。

 

しかし、私はガンガンイキってもいいと思う。みんな自信に満ちあふれてイキるのもいいではないか。

 

そもそも、人間は誕生当時から小規模な集落で暮らしてきたのがわかっている。それが時代が進み、「村」というべき単位となりこれが長年続き、産業革命などで都市の集積化が進み、近代において人々は大勢からなる「群衆」「大衆」となった。

このように時代を振り返ればわかるように、人は小さな単位で暮らしてきた。ダンバー数という「人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限」というものがある。ここでいう関係とは、ある個人が、各人の事を知っていて、各人が社会的な関係を保てるという意味である。このダンバー数は150程度である。つまり人間は150人程度が社会関係を築ける数なのである。これらは村や部族の単位として文化人類学的に一定の信頼が得られている。

つまり、人間は150人程度の社会関係を築き、その中で生きてきた。その(今から見れば小さな)単位で長年活動を行ってきた。そこで比べられるのは(比較対象になるのは)もちろん村の他の仲間である。そこでは数が少ないために、人間全体から見ればちょっと頭がいいだけでも、「村の天才」と褒め称えられたであろう。ちょっとでも顔が整っていれば「村の美男」として称賛されたであろう。つまりヒトという種族をマクロに見れば「身の程知らずのイキリ」でも許されたのだ。

だが都市化や情報革命はこれを破壊した。都市は人口が多く、比較対象は大勢となった。そこでは村の天才も村の美男もただの凡人になってしまった。ここで個人的経験を話すと、私の高校の同級生は高校一の秀才として東大に進学したが、そこでは日本全国の秀才が集まり、留年はしないものの単位数がギリギリのよくいる落ちこぼれ大学生となってしまった。また同様に顔の良かった同級生は都会の大学(どこかは失念してしまった)に行ったものの、そこで自分以上の美貌を持つ学生を発見し、自分の驕り高ぶりがなくなったという。このように比較対象が多くなれば、村で優れた人でも都市では凡人となってしまう。

情報革命もそうだ。たとえばツイッターはユーザー数が(特に本は)とても多い。この中で、自身が中学校でいくら優秀と称されていようが、上には上がいるのである。そこで彼の「俺は中学校で学年一位だった!天才!」というツイートはイキリとして叩かれ、ネットの別の中学校のより成績の良い生徒に馬鹿にされるだろう。このような現象が常に起こっている。

しかし、繰り返すように人間はそもそも村の中という狭い範囲で比較してきたのだ。そのようにできている。自分を客観視して自分の立ち位置を判断するのは重要だが、かつて人間が、村の中で少しのことでイキったようにイキってもいいではないか。イキるのは自己尊厳を高める効果もある。マズローの欲求五段解説にしても「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)が挙げられている。人間にとってイキることは大切だ。 他者から認められることで安寧を得られる。それこそがメンタルヘルスの不調者が社会問題になるほど増えている中で、心の健康に大事なのだ。…と私は思う。

ということで若者よ、私は大いにイキるといいと思う。もちろんイキる過程で他者をばかにしたり、法に触れたり、迷惑をかけたりするのはご法度だが、そうでない範囲ならば存分に調子に乗るべきだ。それで心の平穏が訪れるならば大いに結構。少なくとも上には上がいる理論で萎縮するよりも有意義だ。

 

…とここまで語ってきたが、このような考えにたどり着いたのは私の加齢があるのだと思う。私ももうアラサーで、大人になった。かつては「イキってるやつきもw」などと思っていたが、今では微笑ましく思える。今イキってるやつを気持ち悪く感じる若者は。アラサーになれば自然と許容できるようになる。もちろん今大学生の若者はこれに納得出来ないかもしれない。イキってるやつはきもいだろ!と。しかし繰り返すが、自然と受容できるようになる。それまではどうかツイッターでイキる「無害な」中学生などには優しくしてあげてほしい。それが私の願いであるし、闇雲にイキリオタクを叩いてきた自分への反省である。

 

参考サイト

books.google.co.jp