VKsturm’s blog

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行動経済学からみる東京オリンピックボランティア問題について

1.はじめに

2020年の東京オリンピックが近づく中、オリンピックボランティアが話題になっている。大金をかけたオリンピックで、無給で働けというのだから批判が出るのは当然である。また、大学に働きかけてオリンピックボランティアを単位として認めさせようという動きがあるなどまさしく「カオス」の一言である。このようなカオスの結果、ボランティアに日給を少額払うという動きも出てきている。

ところで、このような状況の東京オリンピックだが、行動経済学の視点から見ると無給のオリンピックボランティアは必ずしも「悪手」とは言えないのである。今回のブログはダン・アエリー(行動経済学の第一人者でデューク大学教授)の著書『予想どおりに不合理』をもとに説明していきたい。

 

2.社会規範と市場規範

この話題を語る前に社会規範と市場規範を前提として知っていなければならない。少し長いが引用しよう

・社会規範:「社会規範には友達同士の頼み事が含まれる。ソファーを運ぶから手伝ってくれない?タイヤ交換をするから手伝ってくれない?社会規範はわたしたちの社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある。たいていほのぼのしている。即座にお返しをする必要はない。あなたが隣人のソファーを運ぶのを手伝ったとしても、ただちに隣人がやってきてあなたのソファーを運ばなければならないわけではない。ちょうど他人のためにドアを開けるようなものだ。どちらもいい気分になり、すぐにお返しをする必要はない。」つまり、社会的なつながりを基にした価値判断である。

・市場規範:「市場規範に支配された世界は(社会規範と)全くちがう。賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ。このような市場のかかわりあいが必ずしも悪いとか卑劣だというわけではない。市場規範には、独立独歩、独創性、個人主義も含まれるが、対等な利益や迅速な支払いという意味合いもある。市場規範の中にはいるときは、支払った分に見合うものが手に入る。そういうものだ。」つまり、金銭的なつながりを基にした価値判断である。

この社会規範と市場規範に関して著者は実験を行っている。コンピュータを使った実験である。コンピュータのモニタの左側に円が表示され、右側に四角が表示される。マウスを使って、円を四角までドラッグする。四角までドラッグすると、画面から円が消えて、最初の位置にまた新しい円が現れる。それをまた四角までドラッグして・・・というのを繰り返す。

この実験が社会規範と市場規範の解明にどう役立つのか。実験協力者の一部はこの短い実験に参加して5ドルを受け取った。実験協力者が実験室に入ってきた時点でお金をわたし、5分後にコンピュータが課題の終わりを告げたらかえっていいと伝えた。労力に対してお金が支払われるため、実験協力者がこの状況に市場規範を適用し、それに沿って行動するだろうと予測した。

次のグループにも基本的には同じ指示と課題を与えたが、報酬は遥かに少なくした(ひとつの実験では5セント、別の実験では10セントだった)。この場合も実験協力者は市場規範を適用し、それに沿って行動するだろうと予測した。

最後に、三番目のグループには、社会的な頼みごととして課題を提示した。このグループの実験協力者には何も具体的な見返りを渡さず、お金の話もしなかった。力を貸してくれないかと頼んだだけだ。私達は実験協力者がこの状況に社会規範を適用し、それに沿って行動するだろうと予測した。

結果として、

・一番目のグループ(5ドル受け取ったグループ):平均195個の円をドラッグした

・二番目のグループ(50セント受け取ったグループ):平均101個の円をドラッグした

・三番目のグループ(無償のグループ):平均168個の円をドラッグした

ということになった。

つまり、お金を受け取っていないにもかかわらず、無償のグループは50セントのグループよりも熱心に働いたと言える。

この実験結果を補強する例がある。

例えば数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間あたり30ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかしその後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引き受けると答えた。

どういうことだろうか、無償(0ドル)のほうが30ドルより魅力的だと言うのだろうか。実はお金の話が出たとき、弁護士たちは市場規範を適用したため、市場の収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが、お金の話抜きで頼まれると、社会規範を適用し、進んで自分の時間を割く気になった。30ドルもらってするボランティアと考えてもよかったはずなのに、なぜ30ドルでは承知しなかったのだろう。それは考えのなかに一旦市場規範が入り込むと、社会規範が消えてしまうからだ。

とすれば、先程の実験で50セントを受け取った人は当然、「これはいい。研究者の手助けもできるし、おまけにお金も稼げる」とは考えなかっただろうし、そう考えて報酬なしの人たちよりも熱心に働くこともなかったはずだ。市場規範に気持ちを切り替えて、50セントは少なすぎると判断し、気乗りもしないまま作業したのだろう。つまり市場規範が実験室に入り込んで。社会規範が押し出されたのだ。

ではお金ではなくプレゼントはどうだろう。著者はまたここで新しい実験を行った。先ほどと同じ実験で、お金の代わりにプレゼントを渡した。50セントの補修をスニッカーズのチョコバー(約50セント相当)に、5ドルの報酬をゴディバのチョコレート(約5ドル相当)に差し替えた。無償のグループはそのままだ。この際、実験協力者にはスニッカーズゴディバの値段を告げなかった。

この結果、

スニッカーズをもらったグループ:平均162個をドラッグした

ゴディバをもらったグループ:平均169個をドラッグした

・無償のグループ:平均168個をドラッグした

となった。つまりどのグループも特に変わらない結果だった。値段を提示しないプレゼントは社会規範に人を留め、金銭と違って市場規範を適用することはない、という結論となった。

では、2つの規範の合図(お金とプレゼント)を混同したらどうなるだろう。市場規範と社会規範を合わせると何が起こるのか。「50セントのスニッカーズ」や「5ドルのゴディバ」と値段を明かして渡したら実験協力者はどう振る舞うのだろう。

この結果、値段を明かした「50セントのスニッカーズ」を貰っても実験協力者のやる気は高まらないことがわかった。実験協力者が課題に費やした労力は、50セントが支払われたときと同じだった。値段を明かしたプレゼントに対する反応は、現金に対して示された反応と全く変わらず、値段の話が出た時点で、プレゼントは市場規範の領域へ移ってしまったのだ。

その後、著者たちは、通りすがりの人にトラックからソファーを降ろすのを手伝ってくれないかと依頼する再現実験を行った。結果はやはり同じだった。人々は無料でなら喜んで働くし、相応の賃金が出ても働く。ところが、ほんの少額支払うと申し出ると、そのまま立ち去ってしまう。このソファーの実験ではプレゼントも効果があった。プレゼントをわたすと、たとえたいしたものでなくとも十分に人々を手伝う気にさせられる。だが、そのプレゼントがいくらしたか口にした途端、相手はあっという間に立ち去っていく。

こうした結果から、市場規範が台頭するには、お金のことを口にするだけで(お金のやりとりがまったくなくても)十分なことがわかる。しかし、市場規範はもちろん労力のみの問題ではない。自律性、人助け、個人主義的なふるまいをはじめ、さまざまな行動にもかかわっている。

というわけで、私達は2つの世界に住んでいる。一方は社会的交流の特徴をもち、もう一方は市場的交流の特徴をもつ。これまで見てきたように、社会的交流に市場規範を導入すると、社会規範を逸脱し、人間関係を損ねることになる。

 

3.行動経済学東京オリンピックのボランティア募集に当てはめる

ここまで読んでいただいた諸君は勘付いたかもしれないが、東京オリンピックの無償ボランティアは社会規範に訴えかけるものである。十分な賃金を払えないならば、社会規範に訴えて無償でボランティアを採用するほうが彼らのやる気は増し、高い成果を残せるだろう。

だが、東京オリンピックの動向を追うと、とても少ない額だが賃金を出すと言っている。これでは市場規範が導入されることになり、多くの者はボランティアに参加しなくなるだろうし、参加したとしてもやる気は落ち、成果は減るだろう。

中途半端な給与を出すのは市場規範が適用されて非常にまずい。十分な給与を出すか、それが無理ならばボランティアの報酬は値段を明かさないプレゼントなどに留めておくのが正解だ。 このままボランティアに低い額を出すという選択肢を進めていくと、ボランティアがまったく集まらない事態も起こりうる。それが考える上での最悪の結末である。

 

4.終わりに

行動経済学の社会規範と市場規範の概念を当てはめて東京オリンピックのボランティアを見ると、ボランティア(=無償)というのは正解だろう。高い給与を出せないのならば、社会規範に頼るのが最善手である。もちろん本当は、コンピュータの実験結果のように十分な給与を出すのが最も成果が上がるのであるが、財政的にそれは難しいだろう。

余談であるが、ブラック企業が「アットホームな職場」と盛んに訴えるのは低い給与を社会規範で覆い隠そうとしているからだろう。もし、うまく行けばだが社会規範に訴えることができれば低い給与でも社員は必死に働くだろう。だが、先に述べたようにお金の話がでれば人は社会規範に移っていく、となれば給与が絡む労働という場面ではなかなか社会規範に訴求するのは難しいと思われる。

とにかく・・・結論としてはボランティアを無償で頼るのは行動経済学から見ると正しいということがこの記事の結論である。

 

参考文献

ダン・アエリー著『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(当記事はこの本の引用です。興味があったら買おう!)