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ヴィクトリア朝庶民の暮らし

 

1.はじめに

一般的に優雅で安泰のイメージが持たれる─『シャーロック・ホームズ』や漫画の『エマ』などがいい例である─ヴィクトリア朝イギリス(19世紀-20世紀初頭)であるが、その実庶民の暮らしは過酷そのものであった。我々はどうしてもメイドや執事、そして貴族などの華やかなイメージを持ってしまうが、その裏腹に食品偽装は横行し、産業革命によって花開いた近代的労働は殺人的領域まで達していた。本稿ではヴィクトリア朝イギリスにおける庶民の暮らしにスポットライトを当て、簡潔に解説していきたい。

 

2.横行した食品偽装について

食品を保護する法律などがなかった当時、食品偽装は大変大規模に行われていた。代表的なのがコーヒーや紅茶などであるが、その他の食品の偽装も盛んであり、高い安全な商品を買えない労働者は常に食品から有害物質を摂取する危険性にさらされていた。

a.コーヒー

コーヒーにおける食品偽装の大半はチコリーによるものであった。我々の身近ではコカ・コーラ社の爽健美茶に含まれている。つまり、コレ自体は有害なものではなかったが、多くの店で「コーヒー」として売られている製品のうち、本物のコーヒー豆は1/2以下であり、また混ぜ者入りの表記はなされていなかった。中には炒った小麦が混入されている場合もあった。

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(チコリー入りのコーヒー)

b.紅茶

イギリスが誇る紅茶にも不正が行われていた。多くがグラファイト、プルシアンブルー色の顔料、ウコン粉、およびチャイナ粘土であって着色されており、これらは人体に有害なものもあった。「着色に使われる物質はしばしば高度に有毒であって、多くの場合にシナ人が使っているものよりもより反対すべきであるし有害である。」*1また、「紅茶」自体が。お茶の葉からできているのではなく身近で手に入る雑草などの場合さえあった。

c.黒砂糖

砂糖は多くの製品がダニ、カビの胞子、石、砂で汚染されていた。穀物の粉が混入されている製品もあり、これはかさ増しのためであった。

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(砂糖中のダニ)

d.野菜

大半の野菜が銅で汚染されていた。「(検査した野菜のうち)27標品は多かれ少なかれ銅が沁み込んでいた」*2。加えてこれらの銅汚染は深刻なものもあった。これらの銅は野菜を新鮮で「いい色」にするために使われていた。

e.砂糖菓子

多くの菓子が有害な金属による無機顔料で着色されていた。多く使われていた色は黄色、ピンクと緋色を含む赤、褐色、紫、青色、および緑色であった。加えて、砂糖のかさ増しのために硫酸カルシウムが広く用いられていた。

f.ビール

ビールの不正の多くは水を加える水増しであった。この処理のために風味がビールから損なわれる事となるが、それを隠すために粗悪な砂糖(粗糖)を混入している例が多かった。この処理でビールの度数は約半分となっていた。

g.たばこ

タバコの不正はタバコ以外の葉を混ぜることで行われていた。また、嗅ぎたばこの場合は鉛を加えている場合もあった。鉛の混入は非常に悪質かつ広範囲で行われており、鉛中毒を発症する場合さえあった。

 

3.過酷な労働環境

労働者階級は閉鎖的で堅固な社会構造のように見えるものの、独自の排他的な世界を構築していた。これらの試みの意味は一部は、現実世界の過酷さからの脱出であり、一部は工業都市の匿名コミュニティを作り出すものだった。究極的には、教育と民主主義の発展、生活水準の向上、労働条件、住居、食べ物や服装によって、労働者階級は社会の参加者になったが、ほとんどの期間[1820 -1920]彼らは政府が高らかに謳う「公的生活」から除外されていた。

a.ストリートセラー

ストリートセラーは路上で何かを売る人たちを指した言葉である。1800年代後半には、おそらく約30,000人のストリートセラーがロンドンにいて、それぞれが手押し車やカートから商品を売っていた。売っているものはカキ、ウナギ、エンドウ豆のスープ、揚げた魚、パイとプリン、ピクルス、ジンジャーブレッド、焼き芋、クランチ、咳止め、アイス、ビール、ココア、ペパーミント水だけでなく、衣類、中古の楽器、本、生きている鳥などでさえあった。破損した金属、ボトル、骨や水切り、壊れたろうそく、シルバースプーンなどの「台所用品」などの廃棄物を購入する業者も存在した。

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(アイスを売るストリートセラー)

 

b.マッドラーク

「Mudlark」と呼ばれる人たちはテムズ川の汚泥の中から物品を回収し、売る仕事である。金品はもちろんそのまま売ることができたし、他の一見役に立たなそうなものも買い取る専門業者が存在した。より良いものを求めるために深いところまで足を踏み入れ溺死する者もいた。また、テムズ川は大変汚染されており、これも危険な職業であった。

 

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(Mudlarkを描いた絵)

c.ワークハウス(救貧院)

救貧法発令から特にそうだが、救貧院は貧困者を収容するいわば「貧困層の収容所」であった。ここでは単純労働を主に収容者に課していたが、それらは花崗石を砕く、糸を紡ぎ続けるなどの「技能もいらない仕事」であって、収容者の自立には繋がらなかった。家族が救貧院に収容された場合、もう一度会う手段はなく、陸の孤島と化していた。職場の食事は、飢えから守るだけの程度のものしか出されなかった。衣服もときどき洗われる程度のものだった。子どもたちは何らかの初頭教育を受ける権利があったが、これはしばしば職場の看守によって無視された。

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(「棺のベッド(coffin bed)」で寝る救貧院の収容者たち。キリスト教圏であるイギリスでこのような棺で眠るという行為は、非キリスト教圏の我々が想像する以上に悪い意味があった。)

d.港湾労働

造船所やロンドンと北東部の新しい港湾では巨大な労働力が必要だったが、需要は予測できなかった。毎朝、数ペンスで1日の作業を行うために集まる男性達が見られた。需要が不規則なため、造船所が注文不足や苦しい天候によってたびたび閉鎖され、慈善団体もなかったため、労働は不規則でこれだけで食べていくのは不可能であった。

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(日雇い労働のために集まる労働者)

e.売春

多くの女性が売春をしていたのは驚くべきことではなかった。ロンドンのスラム街の通りには売春婦が住んでいた。売春を行う少女らは性感染症によって早死していった。大きな病院のいくつかは性病治療専門の病棟があったことからその規模が窺い知れる。しかし当時最も恐ろしい性感染症の梅毒の治療法は知られていなかった。W.T.ステッドが13歳の処女を簡単に路上で買えたという報告をしており、売春がいかに低年齢で、広範に行われていたかを物語っている。

 f.児童労働

ヴィクトリア朝の「一家族」は子沢山であり(その分多くの子供が餓死や病死した。多産多死であったのだ。)、その分「要らない子」も数多く発生した。そんな彼らを「雇用」したのが児童労働であった。Climbing boyと呼ばれた子供の煙突掃除夫は、子供というサイズを活かして煙突に潜り込んだが、煙突から燻る煙で焼死・窒息死することも多くあった。Crossing-sweeperと呼ばれた子供の路上掃除夫は路上に溢れるゴミ、汚物を掃除する仕事であった。子供ゆえの小ささを活かして、鉱山の小さな洞穴でトロッコ引きをする子供らもいた。彼らはこれらの労働で貧しい家計を支えたが、児童故に得られるのは僅かな小銭であり、仕事によっては死亡率が大人の数倍にも登った。

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(業者に子供を売り渡す貧困家庭を描いた図)

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(鉱山でトロッコ引きをする少女)

g.社会保障

労働者が雇用を失ったとき、彼らは友好的な社会、労働組合労働組合、地元の店主、その隣人や友人、牧畜業者、または貧困者の法律に基づく信用組合による補填があり、これは現在「社会保障」と呼ばれている唯一あった 。彼らが老後になったときや虚弱になったときには、先の信用組合は生活費の一部しかカバーしていなかったため、子供の助けがなければ生活していけなかった。政府の社会保障が事実上完全に欠如しているという事実は、今の我々から見たら理解不能であると思われる。

 

この他にも数多くの労働が存在したが、労働規制などない時代故にどれも過酷な労働であることは変わりなかった。搾取労働も盛んであり、女性を「お針子」として長時間拘束し、たった数ペンスの稼ぎだけで労働させるような「搾取工場(sweatshop)」が存在するなど、労働者の身分はいまと比べて著しく低かった。

 

4.ヴィクトリア朝の生活

a.家庭での食事

ヴィクトリア朝は英国の伝統の食事が破壊された時期であった。農村社会から切り離された労働者達は子供の頃から働き、料理を覚える暇など無く、かつ燃料が高騰していたのもあって凝った調理法はできず、単純な「茹でる」「焼く」程度しかできなかった。調味料の値段も高く、必然的に塩味だけの茹でたじゃがいもだけという料理が横行し、英国伝統の食事は労働者たちからは失われた。

b.医療・衛生

医療は19世紀に多く邁進したが、その恩恵に預かれるのは医者にかかることができ、その時間も有る中流階級以上のものだった。下流階級では多くの民間医療が残っており、「バターと蜘蛛を一緒に食べる」などの根拠不明な医療が行われていた。衛生状態も悪くジョン・スノウの調査によれば、下水道が流入したテムズ川下流の企業から水を購入した家庭が、下水道が流入してない上流にある会社の水を買う人より14倍も(コレラによる)死亡率が高いなど、汚染は深刻なレベルであり、一般庶民は食生活のみならずあらゆる面で危険に接していた。加えて1875年の公衆衛生法で衛生状態を改善する試みが試されたが、初期の段階で恩恵を受けれたのはやはり中流階級以上であった。

 

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(当時市販されていたランベス社の水の微生物を描いた図)

この当時の「医療」による麻薬汚染もひどかったが、それについては下記の記事を参照のこと。

peoplesstorm.hatenablog.com

c.余暇

悪いことばかりを述べてきたヴィクトリア朝であるが、そんななかでも庶民に娯楽は存在した。オルガンライダーと呼ばれた人たちはオルガンによって路上で演奏し、チップを貰っていた。このようなストリート・ミュージシャンは数多くおり、写真も残されている。また、鉄道の発達は庶民でも気軽に遠出ができることを意味しており、比較的裕福な労働者は夏の間海に行って遊ぶなどの行為もできた。

しかし、多くの貧しい子供たちはおもちゃや余暇のためのお金はなかった。彼らは路地を除いて遊ぶ場所はなかったし、仕事をしなければならなかった。だけれども、貧しい子供たちは幾つか楽しいことができた。彼らは見つけられたものは何でも活用し、川で遊んだり、樹木やランプポストに登るなどの「お金の掛からない」遊びをしていたと考えられている。

 

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(1870年代に撮影されたストリート・ミュージシャン)

 

5.終わりに

本記事ではヴィクトリア朝の庶民の生活を紹介したが、この他にも多く語らなければならないことがある。それらはまた別の記事で紹介したい。メイドや執事のイメージで語られるヴィクトリア朝であるが、このように庶民にとっては非常に厳しい時代でもあった。その辛い暮らしの一部でも紹介できたらならば幸いである。

この時代にもっと興味があるならば、下記に上げたWebサイトは無料で閲覧できるのでおすすめです。

 

参考文献

ハッサル・アーサー・ヒル『食品の混ぜ物処理』

BBC - Primary History - Victorian Britain

Victorian Occupations: Life and Labor in the Victorian Period

・ヘンリー・メイヒュー『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌〈上〉〈下〉』

*1:ハッサル・アーサー・ヒル『食品の混ぜ物処理』

*2:同上