VKsturm’s blog

Twitterの@Kohler_volntの長文用

ツイッターにおける「議論」に関して─アリストテレスとプラトンの論より

ツイッターでは毎日「議論」が行われている。例えば右翼と左翼の対立。原発推進派と反原発派の戦い。他にも私が見たのは「かけ算の順序問題」などもあった。かけ算は交換法則が働くので入れ替えれてもいいはずなのに小学校では順番が強制されているというものだ。

 

これらはほんの一例であり、例えばけもフレなどのアニメ作品でも対立があるし、ほぼ全界隈が日夜敵と大戦争・大議論していると言っていいだろう。

 

これらの議論は見ていると面白い。たいていツイッターの界隈には「ご意見番」がいる。社会学で言えばオピニオンリーダーだ。このご意見番が議論の方針を決めている。これは無意識の行動かもしれない。しかしご意見番に扇動された社会学における「フォロワー(オピニオンリーダーの影響を受ける者)」─皮肉なことにツイッターでもフォロワーという言葉が使われる─がまるでガンダム世界のファンネルのように敵に攻撃(リプライ)していくのだ。

 

ところで、これらのツイッターでの議論を見ていて思うことはないだろうか?なぜ常に議論は平行線で交わらないのか、と。実際毎日行われる議論だが、相手を論理的に論破しても相手の主張を変えさせられたことは見たことがない。例えば右翼が左翼を、左翼が右翼を論破する光景は多く見られるが、それで相手が右翼から左翼に、左翼から右翼になった例はなかなか見たことがない。結果としてこれらの戦いは相互ブロックで終わり、議論は平行線のまま、各人が自らの主張を翻意することはない。

さて、これらについてアリストテレスはこう述べている。

 

議論そのものが人を善良にするのであれば、彼らが多大な報酬を得るのも正当なことだ。(…)しかし現実には、多くの者を高潔さや善良さにいざなうことはできない。(…)どんな議論であれば、そのような人々を更生させることができるのか?長い時間をかけて人格にすりこまれた特性を、議論によって取り去ることは不可能とは言わないまでも困難である。

*1

 つまり、古代ギリシアの偉人アリストテレスが指摘しているように、議論をしても相手を変えさせるのは「不可能とは言わないまでも困難」なのだ。

 

また、プラトン

それでは魂を、一組の翼ある馬たちとその御者との自然な集合体にたとえよう。馬のうち一頭は名誉を重んじ、口頭の指示だけで動く。もう一頭はとんでもないほら吹きで行いが悪く、御者の突き棒にもなかなか屈しない。*2

 

 とも述べている。つまり人間の魂には理性と感情という2つの性質の異なるものがあるということを馬に例えたのだが、我々のこの「とんでもないほら吹きで行いが悪い」馬=感情に振り回されている。プラトンは理性を大事にしろという旨を言ったのだが、近代的理性主義がフロイトなどに否定され、またポストモダンなどでも攻撃されている今、理性をうまく操れる人間はそうはいないのがわかっている(それでも私は理性を重んじていきたいが)。

 

 ツイッターでの議論は感情論が多い。ムカつくから批判する。「キモイ」から叩く。これは先に述べたように、感情に振り回されているからである。アリストテレスが言うように議論は何ももたらさず、またプラトンが言うような感情に、理性が屈服しているのかもしれない。

 

というようにここまで述べてきたが、これがツイッターで議論が成り立たない理由である。アリストテレス的な、そもそも議論で考えを覆すのは難しいこと。プラトン的な、議論が感情任せになること。この2つの理由でツイッターの毎日行われる議論は平行線で決して交わらない。

 

ここまでをみるとツイッターでの議論は無駄なのかもしれない。もちろん、アリストテレスが「不可能とは言わないまでも」というように僅かな可能性だが相手の持論を変えさせることができるかもしれない。しかしツイッターに人生をかけているわけではない我々が、ツイッターに費やす1日1-2時間程度の時間(もしかしたらそれ以下の方も多いと思う)ではなかなか困難だろう。相手が暇人で何時間にも渡って、しかもフォロワーをガンダムのファンネルのように使い、ひどい言葉のリプライを大量にしかけてきたら、我々は論理的に正しくとも屈服してしまうだろう。「もういい!わかった!私の負けだ!」と。下手をしたら精神を病むかもしれない。

 

私が言いたいのは、我々がツイッターで取りうるべきは議論に巻き込まれないようにミュートやブロックを駆使せよということだ。嫌な意見はミュートして見ない。嫌な人からは見られないようにブロックする。シンプルだがこれが最も効果的だと思う。相手の攻撃的な、議論を挑んでくるようなリプライに反応したら負けだ。メンタル不調を起こさないSNSツイッターSNSでないという意見もあるが)の使い方はこれなのである。これを読む諸君もミュートやブロックをうまく使いこなして健全なツイッターライフを送ってほしい。私は切にそう望むのである。

 

…しかし私は(フォロワーならわかるように)日夜議論をしてしまっている。これはまずい。メンタルは痛むし、時間は使うし、いいことがない。この記事はそんな私への自戒を込めて作ったものである。偉そうにみなさんに説教する前に自分を変えなくては…この記事を読むみんな、一緒に議論を避けながら楽しくツイッターをしていきましょう。私、がんばります!絶対ネット論客みたいのにはならない!

 

参考文献

アリストテレス著『ニコマコス倫理学

プラント著『パイドロス

*1:アリストテレス著『ニコマコス倫理学

*2:プラント著『パイドロス