VKsturm’s blog

Twitterの@Kohler_volntの長文用

高校生のあなたに向けて─選挙にあたって知っておいてほしい「民主主義」のあれこれ

まえがき 

これから書く文は高校生に、つまりこれから選挙権を獲得し、投票活動、その他政治活動に本格参加する権利を得るあなた達に書くものである。なるべく、簡潔に、民主主義という「理想」に参入するための心構えや知っておいてほしいことを書きたいと思う。そのために、かなり端折って、ある意味では極論じみた記事になることと思う。かかる文で出た疑問点等はツイッターの垢(@teslamk2t)などで質問していただけると幸いである。

 

 

 

1.投票は本当に「あなたの意思」なのか?─扇動に気をつけろ!

各国の歴史を紐解くと、個人の場合と同様、国全体が浮かれ、常軌を逸し、興奮に身を委ね、分別を失うという事例にぶつかります。共同体の全ての構成員が狂ったように一つの目標に向かって猛進したり、何百万という人間が集団幻想にとらわれたりすることがあります。血や感嘆の涙をながすことがなく、軍事的栄光や、狂信的な宗教的禁忌の呪縛から理性を取り戻すことができないのです。(・・・)悪名高い幻想は長い間、滅びることがなかったばかりか、ますます広く文明国の人の心を捉えています。例えば、知識の進歩によっても、決闘・オーメン・占いといった野蛮な慣習が人々の心から駆逐されることはありません。お金もまたしばしば集団幻想の原因となりました。平和な国が投機に夢中になり、国の存在を一片の紙切れのために危うくしました。  byチャールズ・マッケイ

 誤解を恐れずに民主主義を言うならば、それは投票活動などの政治活動を通して国民の意見を代弁する代議士(国会議員)を国会に送り出し、彼らに我々の意見の体現者となってもらうものである。代議士の意味の通り、国会議員は君たちの意見を「代理で議論する者」だ。

さて、この国会議員であるが、「一般人」が国会議員になったことは少ない。親が政治家(いわゆる二世)だとか元タレントだとかが多いのはなんとなく知っているだろう。しかし別に一般人が─例えばそこら辺で働いている非常に利発で高潔な精神を持つサラリーマンが─国会議員になっていけないわけではない。だが実際なれない。なぜだろうか。

それは投票活動が国民の「自由意志」だけではなく、外部要因でも決定されていること、そしてもはや国民が投票活動に何らかの精力的エネルギーをつぎ込んで、「熟考」することが不可能になっているからだ。

君たち高校生はネットを使いこなしているだろう。「マスゴミは糞」「テレビは扇動ばかり」・・・こういった言説を聞いたことがあると思う。そしてそれは部分的に正しい。例えばテレビで何度も何度も好意的に取り上げられ、それがまるで国民の総意のように扱われるとき、人はその人に好意を持ち─もっといえば「持たされる」─、結果として彼に投票してしまうのだ。*1

とはいえ、私は今の高校生がテレビで真に影響を受けると私は思っていない。そして、よく批判される「まとめブログ」からも影響を受けるとは思っていない。むしろラインやツイッターなどで君たちは印象操作されてしまうだろう。ツイッターの偉そうで、さも学がありそうなアルファを見たことがあるか?君はフォローしてないか?奴らは政治の話題に敏感で、マスゴミやまとめブログを批判し、更に毎日何らかの政治的ツイートで左翼or右翼を批判し、そして「私は良識派である」という顔をしてるだろう。そして多くの取り巻きは、彼らの「ありがたい説法」を聞き、影響を受けている。ここで重要なのは、彼らが全く正しいことはなく、彼らを信じれば「俺は情強」という態度はやめなければならないことだ。

つまり、君は政治に関して、いやもっと言えばこの世のあらゆる物事に対して「自分の意見」を持つことが大事なのだ。君たちの親世代はテレビに親しみを持ち、テレビである候補者が絶賛されれば、彼らに思考停止状態のまま投票するかもしれない。マスコミ全体が持ち上げて、そのとおりに選挙結果が進んだ民主党政権の例を上げれば容易いだろうし、自民党55年体制のもとで長期政権を保てたのも「自民党に入れてきたのだから今回も自民党で…」という思考停止状態の君の親、いやもっとそれより上の世代がいたからという事情がある。*2君はテレビで、ネットで、多くの情報を目にするだろう。しかもそれらの情報は多くが相互に矛盾・反発しており、「完全に正しい情報」などというものはこの世に存在しないと理解せねばならない。多くの情報は扇動するのを狙っている。さも自分は良識派だという顔をしたあらゆるメディアが扇動に躍起になっている。まとめブログなどもその一つだし、ツイッターにおいても数多く見られる。だから、「テレビを批判し、ネットを信じる」だとか「ネットに真実がある」だとかはやめて、「テレビもネットも一部にしか真実はない。俺はテレビもネットもやって、その中から真実を探りだしてやる」という意気込みが重要なのだ。*3

さて、私は多くの情報から真実だと自分で判断しうるものを探り出せ、といった。しかしこれができる「オトナ」は実に少ない。多くの理由がある。ラズウェルという政治学者が政治的無関心を研究した。その結果の幾つかをかいつまんでいうと、現代の国民には「政治に注ぎこむリソースが残っていない」のである。長時間労働、介護問題、その他数多くの問題が国民を蝕み、もはや息も絶え絶えだ。そんな状況で政治なるものに対して精力を注げるだろうか?毎日深夜まで残業しているおじさんが、あらゆる候補者のマニフェストを読み、人柄を調べ、その人が出した論文などで思想をチェック、そのうえで日本が置かれている各種問題と政治家の主張を比べ合わせて比較衡量する…本当にそんな時間はあるのだろうか?

もちろん、そんな時間はない。よって国民は政治家を調べることはできず、政治家を選ぶ基準は「知名度」*4になってしまうか、投票に行く元気すらなく、無投票になってしまうかだ。この知名度はメディアの露出時間などで左右されるだろう。昔はテレビが、今はネットで。私は20年後にはSNSの知名度を活かし、政治家になるものが出ると予想している。人はテレビ・マスコミで扇動され、労働でくたくたになり、ろくに考える間もないまま投票せざるを得ない。

これが君たちの教師が偉そうに語る「民主主義」の置かれた状況である。理想では、合理的な者たちが国の将来や社会的弱者などをも見据えて合理的な投票を行うのが良い。*5だがそうでないのが現実だ。君も気を抜けば即座に、君が嫌うような「オトナ」になってしまうだろう。ぜひとも投票する際、そして投票のために情報を集める際は注意してもらいたい。君たち世代がもし「理想」のように投票できれば、国は変わるはずだ。我々「オトナ」は合理的ではない。水素水に踊らされ、放射能に踊らされ…他にも多くのデマを発信し続けているのだ。私は君たちが合理性を持って投票することを願っている。扇動に負けてはならない。自分の投票活動を外部要因に左右されてはならない。自分の意志で、自分の利益を代弁してくれる投票者に投票するんだ。長時間労働に苦しむ労働者が、大企業が支持母体の自民党を支持するという皮肉な状況を見てみろ、こんな有様はいやだろう?

 

2.民主主義における「責任」について─民主主義は完璧な制度ではない!

さて、一章ではひたすら扇動に気をつけろという旨を話してきた。よし、君が合理性を持って、自分の利益を代表してくれる代議士(国会議員や知事)を選出したとしよう。例えば選挙前に「埋蔵金があるので増税せずに社会保障は充実できる」と唱えていた代議士が国会議員になった。君は社会保障の充実を期待する。しかし、実は埋蔵金などは存在せず、社会保障充実は叶わなかった。けれどもその代議士はのうのうと国会議員をやっている…。

逆に君は「派遣労働を推進する」と唱える代議士に投票した。彼は見事国会議員になり、派遣労働拡大政策を推し進めた。非正規雇用は増え、低所得者は増え、国は大混乱に陥った。格差は拡大し、低所得者は子供が産めず、労働は過酷になった。数十年後、この政策は誤りだったと多くの学者が批判し、今では派遣労働拡大政策は悪政だったとされている…。

これは誇張や予測も含んでいるが、事実を元にしている。このことからわかることは、代議士は君がせっかく選出したのに期待通りの活躍をしてくれないこと、そして国民が選んだ代議士がもし悪政を行っても国民自体はなんの責任を負わないということだ。

かつて、例えば近代以前、悪政を行った王は武装蜂起した民衆に、悪政の責任を取らされて罰を受けた。親族全員処刑されたり、監禁されたり、国外追放されたり…等々だ(革命である)。これらの王は民衆により選ばれたものではなく、多くが世襲制であった。

今の我々の「王」は─代議士や知事は─我々が選んでいる。先に述べたように扇動があろうが、プロセスは実に合法的で彼の地位にケチを付けられるものはいない。例えばいま話題の舛添(元)都知事も合法的なプロセスで、都民の信任を得てその職についたのだ。

彼は政治資金に関するゴタゴタで結果として辞任することになった。*6彼は辞任することで責任を取ったのだ。だが、彼を選んだ都民はなんの責任も負わない。

極端な例を出そう。例えば「障害者と高齢者は役立たずである。彼らに医療や社会保障を提供するのは国にとってよくない。彼らはあらゆる制度の枠外に置くべきである」と唱える政治家が誕生し、彼はこの政策を実行した。会社の激務で鬱になった元会社員は精神医学による医療も受けられず自殺した。高齢者は医療保険が使えず病院に行けず病死した。しかしこれによって確かに国の赤字は減少した。これらの政策が批判されたのは数十年後であった。この政策を唱えた政治家はすでに死没していた…。

この場合、この悪質極まりない政策を実行した代議士は、国民の期待に答えただけである。なぜなら彼に投票さえしなかったならば、彼はその政策を実行できなかった。つまり、この政策を選んだ責任は投票した国民にもあるはずだ。しかし民主主義においてはこの責任を国民が負うことはない。多くの障害者を間接的に死に追いやった国民たちは今日も誰かに投票している…*7

この話は極端であるが、この超縮小版と言える現象は常に発生している。政府の規制緩和政策や派遣労働拡大政策などである。そしてそれらの責任を国民が負ったことはない。私がここで言いたいのは国民に責任を負わせろ、等ではない。それは民主主義ではない。自由な投票ができなくなる。ここで重要なのは代議士とはそもそも何をすべきか、なのだ。

代議士の立場は大雑把にわけて2つの学説がある。

1.代議士は国民によって選出されたのであり、その国民たちの意思を実行する義務を負う。

2.代議士は国民によっていわば抽象的観念的な権利の移譲によって誕生したのであり、必ずしも国民の意思を実行する義務を持たない。

1の場合、極端だが、国民が核戦争を望んで彼に投票したなら、代議士は核戦争へ至る政策を実行しなければならない。2の場合、この代議士が「核戦争なんて起こしてはならない」と思えば、その政策を実行しなくても良いだろう。

これらの代議士の立場が本質的にどうであるかは今でも明確な答えが出ていない。例えば「あまりにひどい政策は実行せず、それ以外では実行すべき」だとか「代議士は国民の意思に拘束されず、自身の信念によって行動すべき」だとかだ。学校や一部の「オトナ」は「あなたの意見を実現するために投票しましょう」というが、実際のところ、あなたの意見を代議士に投票しても実現できる保証は一切ないのである。

我々は代議士を選んだ責任を負わない。また代議士も、もし何かを追求されたならば「辞職」すれば責任の追求は放棄される。内閣総辞職などがその典型だ。では民主主義において「責任」だとかはどこにあるのだろうか?悪政に繋がるような政策をマニフェストで唱え、それを支持した国民を縛り首にでもすればいいのだろうか?いや、そんなことは許されないのは当たり前だ。

理想論で言えば、悪政を行った代議士を支持した国民は「自発的に」反省し、次の選挙では合理的な投票を行うべきだろう。(代議士が本当にそのマニフェストを実行できるか、するかも判断して)そしてもし代議士が、投票した者の利益に反するような行動を起こしたらデモ活動などを通して─つまりロックの言うところの抵抗権である─代議士に対抗せねばらない。もちろんデモ活動で収まらず、ウクライナのように指導者VS国民の暴動状態に、革命状態になったところもあるのだが。

君たちは代議士を選出しなければならないが、以上のように多くの矛盾や問題を含んでいるのである。この問題は非常に難しい。監査制度や監視制度を設けるなどが現実的話だし、実際各国は行っているが日本においては有効に活用しているとは言いがたいし、これも結局「民主主義の理想」と「現実」の大きな溝を多少埋め合わせてくれる効果しか持たない。君たちが教科書で習った「完全無欠な民主主義制度」と「現実の民主主義制度」の大きな溝を知っておくのは、いずれにしろ、君の人生で役に立つだろう。*8

 

3.まとめ─理性的な君が国を救う

民主主義は不完全な制度であり、大量の問題点や改善点があること、そしてそれなのに民主主義以外の政治制度は問題があり、民主主義を運用していかねばならない。扇動、政治的無関心、代議士と国民の責任の所在…多くの問題を抱えながらも、我々は民主主義に頼るしかない。君たち高校生は「オトナ」は馬鹿に見えるだろう。実際、民主主義と喉が潰れるまで叫ぶ割に民主主義の問題や矛盾について理解していない者もいる。だが、この記事を読んだならばそのような「オトナ」より君は理性的な投票活動が行えるだろう。(と私は勝手に思っている)君たちの一票が日本を変える。私は君たち若者に期待している。どうか、君たちでこの国を救ってくれ。

 

さて長々と書いてきたが…もちろんこの記事自体が悪質な扇動の可能性もある。この記事を読んで、どう判断するかは君が決めることなのはお忘れなく!判断の練習にでもつかってください。

 

この記事の参考文献(と君たちが大学生になったら読んで欲しい本)

 ・政治学に関する包括的なもの(初学者におすすめ、これから読もう)

政治学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)

政治学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)

 

 

 

現代政治学 第4版 (有斐閣アルマ)

現代政治学 第4版 (有斐閣アルマ)

 

 

ロールズの正義論(無知のベール) /平等を実現するにはどうしたらいい?

正義論

正義論

 

 

 ・友敵理論について/政治の本質って何?「政治」ってなんだよ(哲学)

政治的なものの概念

政治的なものの概念

 

 

・マスコミ、ネットの扇動に対する深い考察(注:大学4年くらいになったらでいいです、ちょっと難解なので) 

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

 

他にもたくさんあるけども、ツイッターで聞いてください。そして …あなたがもし大学生ならこんな記事読まないでさっさと教養の単位でもいいから政治学の教授の講義をとるんだ!てすらの話よりはるかにいいぞ!

*1:詳しく話すと古典的政治学における弾丸注射理論などが当てはまる

*2:自民党の長期政権は多くの「土俗的」利権や慣習も関わっているが、ここでは省略する

*3:真実なるものは相対的で絶対的ではないためこの世に存在しない。しかれども、君が扇動を退け、多くの情報から真実だと判断したものを信じるのは大事なことだ

*4:この知名度は「政党の知名度」も含まれる。例えば君は自民党と新参のよく知らない党だったならば、自民党に投票するだろう

*5:ロールズの無知のベールなどにつながっていく話である

*6:この政治資金に関するマスコミの報道、そして国民の受容態度は舛添氏の善悪をおいておいて、扇動そのものであったことは特筆に値する

*7:この話を詳しく説明するとカール・シュミットの議会制民主主義批判に繋がる

*8:この問題について政治学者ダールはポリアーキーという概念を提唱した。民主主義は現実に存在しない制度であり、ポリアーキーという「民主主義のようなもの」が存在するのみだというのだ。ダールによれば我々はポリアーキーを目指すべきだという。