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『けものフレンズ』7話から見る火と調理の神話学

1.はじめに

最近ネットでけものフレンズというアニメが流行っている。私もDアニメストアで視聴しているが、ユーモラスで可愛いキャラ、そのキャラ同士のやりとり、ほのぼのした(それでいてポストアポカリプスを匂わせる)世界観…いいところを上げればキリがないのだが、ともかくハマっている。そして、先日視聴した7話では料理がテーマの回でそ、の中で火の扱いが出てきた。この描写に私は深く感動し、その感動と解説をここに書き記すものである(大袈裟)。

2.火の意味するところ

まず火なるものの意味を考えたい。たいていの文化圏では火の神話が存在する。古代ギリシャにおいて火はプロメテウスが天から盗んだ火である。北米インディアンのダコタ族では最初の火は太陽であり、原始の闇にいた神々が太陽に火をつけたのだという。クック諸島では、マウイ神が地中深くに降りて火を齎した。オーストラリアのある原住民は、神聖なるトーテムの動物のペニスに火が隠されているのを見つけた。

つまり、火とは神や聖なるものからもたらされるものなのである。神話学では「誰にでもその人だけのプロメテウスがいる」という格言があるくらいのように、火とは恩寵的なものである。このように火は一種神聖なものであると同時に、貴重なものである。神話学者であるフレイザーはこのように言う。

ヴィクトリアの原住民族のいくつかは、一つの伝承をもっている。――火はできるだけ用心して使われなければならないが、それはグランピア山脈に住むカラスに独占されていた。そして、カラスは、火を非常に貴重なものに思っていたので、ほかの動物は、それを手に入れることが許されなかった。しかし、ユーロイン・キーアという一羽の小鳥――火の尾をもったミソサザイ――は、カラスがつけ木を振りまわして楽しんでいるのを見て、その一つをくちばしにくわえて逃げた。タラクックという一羽のタカが、ミソサザイからそのつけ木をとりあげ、国のあちこちに火をつけた。その時以来、火は常に、燃えつづけており、その火から、人間はあかりを得ている。*1

このように火は非常に大事なもので、神話には「火を盗む」というストーリーが数多く有る。具体例をあげればヴィクトリアの最南東部にあるギプスランドの神話などであるが、とにかく火は貴重であり、独占するほどの大事なものであり、神から与えられ、そして人の持つ火はその独占する何者からか奪取したものである。加えて、独占していたとされる動物は引用した事例のようにカラス、ミソサザイや雀など鳥類が多いのである。

では7話ではどうだったであろうか。サーバルちゃんは「火ってみつかった?」とかばんちゃんに尋ねる。「教授」と「助手」のミミズクたちは「火はおいそれと渡せない」という。つまりけものフレンズの世界において火は「探す」もの、「授けられるもの」であり、それを独占するのがミミズク=鳥たちなのである。これは神話における火を独占する鳥たちの構図をそのまま描いている。加えて、サーバルちゃんが火を探したように、けものフレンズ世界では火とは「着ける」ものではなく「既に授けられたものを使う」のであり、これは神からもたらされた火を使う(神話における)人類と同様である。彼女らにとって火は神のような存在から齎される神聖なものであり、自ら着火するという概念がないのである。「(彼らにとって)火はとても神聖なものだから、自分で起こすことなど考えられない」*2のである。実際、タスマニアアンダマン諸島ニューギニアの部族は火が消えると近くの部族を訪ねていき火を分けてもらう。神聖な火は起こすものではなく、「授かる」ものなのだ。

そして、動物たちは「神」たる自然から齎された火で調理する。

 多くの動物は自然発火の残り火に集まり、焼けて食べられるようになった種や豆を探す。(…)充分な知能を持つ器用な動物にとっては、焼き尽くされた森林に特有の灰の山や燃え残った倒木の幹は天然のかまどのようなもので、噛み砕けない豆やかたくて噛めない肉を調理できたと思われる。*3

 動物が火を恐れるというのは一種の空想もあるのだが、実際は自然発生した=神からの火を彼らは利用して、食べ物を食べるのに役立てている。

かばんちゃんは火を独占するという意地悪をする鳥(ミミズク)たちから火を奪うのではなく、自ら虫眼鏡を用いて着火することに成功する。

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けものフレンズの中では火を起こしたことでかばんちゃんは神話における神と同一の地位にまで上り詰めた。神話においては、動物が独占する火を奪ったり、神から齎されるものであるが、かばんちゃんは自ら火をおこし、「ヒト」としての器用さを見せると同時に、神話的構造に組み込まれたのである。けものフレンズ世界において、かばんちゃんの立ち位置は神話における神々と同様の位置であるのだ。

まとめると、火とは神話において神々や聖なるものから齎される恩寵であった。そしてそれらはしばしば一部の動物たちに独占されていた。それを奪うことで人類は火を手に入れた。神聖な火を自分で起こすなどフレンズは考えられなかった。一方かばんちゃんは鳥たちが独占する火を奪うのではなく、自ら火をつけることで自分自身が神話構造における神や聖なるものの地位まで上り詰めたのと同時に、火を利用する人間としての叡智を見せつけたのであった。かばんちゃんはけものフレンズの世界では神でもあり人でもある。この構造を丹念に描いたけものフレンズ7話は非常に興味深い回であった。

3.調理の意味するところ

先に述べたように動物も自然発生した火を用いて一種の調理をする。しかし、「煮る」行為をするのは人間だけである。そしてうまく火を自由自在に使いこなせるのも人間だけである。

かばんちゃんはカレーを製作していたが、その材料にじゃがいもも存在した。じゃがいも=デンプンの調理は、調理の本質をよく物語っている。デンプンは有史以来ほとんどの時代で人類のエネルギー源であったが加熱調理しないと効率が悪い。加熱すると、デンプンは糖に分解される。じゃがいもを煮るというデンプンの調理は素朴なものに見えて、人類における叡智たる科学的歴史の一分野を飾っているのである。

火はこのようにヒトの持つ叡智を語るのと同時に、社会的なものである。火は原始的な道具では起こすのが大変なので、一度起こした火は大事に保管される(まさしく聖火のように)。このために人は火の番を交代にするようになった。また火には社会的磁力が有る。火は食事をするために必要なので、必然的に人間は決まった時間に決まった場所で(=火の周りで)食事をするようになった。「(火を獲得する前は)集団で食事をする理由はほとんどなかったと考えていいだろう。集めた食べ物はその場で食べることもできたし、隠しておいて好きなときに食べることもできただろう。」*4火は火の周りに共同体を作り上げる機能を齎した。火=調理を中心に人は生活するのである。火による調理は食べ物の価値を押し上げ、食事は犠牲の共有、親睦、儀式の場となった。Focus(フォーカス、中心)という言葉のもともとの意味は「炉」である。人は炉の周りに集うようになったのだ。

 

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焚き火を囲む人々

peoplesstorm.hatenablog.com

 また、上記に上げた記事で述べる通り、火を用いて発展した食事は食の魔術を生み出した。多くの食べ物は火と結びつき魔術的意味を持った。ガストン・パシュラールはこう回想する。

火は、自然の存在というよりも社会的な存在だ。私は火を食べた。その黄金色を食べ、香りを食べ、ぱちぱちするその音さえも食べていた。(…)火はその人間性を証明する。火はただ焼くだけではなく、ビスケットをさくさくとした食感にし、黄金色にする。火は人間の祝い事に具体的な形を与える。

火と調理は密接に結びついている。 火をうまく扱えるのは人間だけである。調理という集団で行う社会活動は人の特徴である─実際かばんちゃんはサーバルちゃんと共同して調理をした。劇中、鳥たちは調理をかばんちゃんにせがんだ。当たり前であろう、調理とその付随する多くの意味をうまくこなせるのは人の特権なのだ。レヴィ=ストロースは調理には「容器、つまり文化的なものを使う必要がある」と考えた。鍋一つにとっても人間特有の調理の証であり、それは文化的なものなのである。

ここまでを約言すると、火を調理に結びつけてうまく扱えるのは人間だけである。調理は科学的でもあり、また魔術的な意味までを持つ。調理は文化的なものであり、人間の証明でもある。鳥たちがかばんちゃんに調理をお願いしたのも無理がない。調理とは人間性の極限の発露でもあるのだ。

4.おわりに

火と調理という究極的に人間的なものを描いたけものフレンズ7話は傑作であった。かばんちゃんは火を自ら起こし、神となるのと同時に人間であることを証明した。また調理という科学及び文化活動を通して、人間的なものとはいかなるべきかを視聴者に刻みつけた。けものフレンズ7話はこの意味で歴史に残る名作となるであろう。

けものフレンズをまだ見てない皆さんはこちらをどうぞ

 

 

5.参考文献

・J.G.フレイザー著『火の起源の神話』

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌』

*1:J.G.フレイザー著『火の起源の神話』

*2:フェリペ・フェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌』

*3:同上

*4:同上

ミリタリーを主題にしたロック・メタル五選

 

1.はじめに

ロックやメタルには戦争をテーマにした曲が昔からあります。その中でも代表的(と勝手に私が思っている)曲を5つ紹介したいと思います。ミリタリーが好きな方で、ロックやメタルの糸口がわからないという方は好きな戦争をモチーフにした曲から入るのも有りかと思いますので、ぜひ聞いてみてください。

 

2.戦争をテーマにした曲

Iron Maiden/Aces High


Iron Maiden - Aces High (Official Video)

イギリスの誇るバンド、Iron Maidenの楽曲です。テーマは第2次世界大戦のBoB(バトル・オブ・ブリテン)で、スピットファイアがドイツ軍の機体と戦闘を繰り広げるさまを歌っている。メタルの中でも割りと聞きやすい曲だと思います。

8時方向の敵機は俺達の背後を取った
10機のMe109が太陽から出て来やがる
俺達のスピットファイヤを敵機と反航戦にするため上昇旋回だ
敵機へまっすぐ向かって射撃ボタンを押すんだ

と空戦の熱い戦いを描いていて、テンションがあがる曲なので ぜひ聞いてみてください。『空軍大戦略』を見た後だと更にテンションがぶちあがりますね。

 

Blue Oyster Cult/ME 262


Blue Oyster Cult: ME 262

Blue Oyster Cultは1967年結成のアメリカのハードロックバンド。この曲は曲名を見ればわかるようにドイツ空軍のMe262をテーマにした曲で第三帝国最後の日々のMe262の活躍を歌っています。

ME262はターボジェットの王子
ユンカースJumo004エンジン
機首から放たれるR4Mロケット弾のカルテットの群れ
そして、英語野郎共の飛行機が炎上するのを見るんだ
ああ、お前は私の目撃者。赤色なのは空で
B-17が最後に飛んだとき
それはウェストファーレン上空で、あたりは暗かった
45年4月のことさ

戦争最末期の45年4月の空で戦うMe262の勇姿をこの曲で是非聞きましょう。大戦略などで最終ステージの「ドイツ」などで無限に沸いてくるB-17を相手にした時、または松本零士の『ベルリンの黒騎士』を読んだ時などに聞くと最高です。

 

Beneth/MG42


Beneth - MG42

Benethハンガリーブラックメタルバンドで、ドイツ軍に関する曲を幾つか作成しており、その中の一つです。ヒトラーの電動ノコギリとあだ名されたMG42の連射速度の速さを駆け抜けるようなブラストビートで再現しています。

MG42、狂気の武器

群がる敵兵をなぎ倒す、悪魔の武器

どんな奴らも弾の雨には無力

死に物狂いで逃げ惑う奴らに死の鉄槌を 

プライベートライアン』の冒頭の陣地から発射されるMG42の勇姿を見た後に聞くと 最高ですね。みなさんもMG42が敵兵をなぎ倒すシーンを想像しながら聞きましょう。

 

 

Sabaton/Screaming Eagles


Sabaton - Screaming Eagles

Sabatonはスウェーデンのメタルバンドで、戦争をテーマにした曲で有名です。どれを選ぶかは悩んだのですが、テーマとして有名なバルジの戦いの中の一つ、バストーニュ包囲戦をテーマにしたこれをチョイスしました。

アーネムへの激しい敗北
彼らは1本の橋を伸ばしすぎている
潮の変わり目だ、敗北しかけている

勢いを失い、後退する

バストーニュ地方へ行き、十字路は保持しなければならない
寒い中で一人で歩哨する

地面を割る稲妻
砲撃─雷鳴が鳴り響く
バストーニュのナチスの怒り
彼らの力に直面する 

曲も歌詞もシンプルなものなので聞きやすいと思います。この曲の他にもSabatonはWW2をモチーフとした多くの曲を作っているので興味があったらぜひ聞いてみてください。個人的には東部戦線での独ソの決戦を描いたPanzerkampfなどがおすすめです。

 

Marduk/502


Marduk - 502 (Video)

Mardukは90年代初頭に結成されたスウェーデンブラックメタルバンドで時たま戦争を舞台にしたアルバムを作っています。その中の『Panzer Division Marduk』という─アルバム名からミリタリー色が強いのだ─アルバムからの一曲です。

彼らの戦いは永遠に何の記念碑も立たない

そして、ついに彼らの無信仰の幸運は自身を救うことができなかった

弾丸が彼らを殺した時、彼らの運命が決まり
その後、彼らの戦車は彼らの墓になった

502 - 餌食の野獣
第502重戦車大隊が撃破した2000の敵戦車
502 - そのツケを払う
502 - 彼らが呼んだ機甲戦で

歌詞を見ればわかるように502はドイツ軍の第502重戦車大隊のことで、歌詞でも彼らの活躍が歌われています。ブラックメタルなので聞きにくいとは思いますが、戦争の狂気さをブラックメタルという荒々しい形で表現する彼らのスタイルはとても好きなので紹介しました。

 

3.おわりに

ここで紹介したのはほんの一部で他にもあらゆる地域のあらゆる戦闘をテーマにした曲がたくさんあるので、気になった方はいろいろ聞いてみるといいですね。「俺はロックやメタルは聞かない!」という方に少しでもロックやメタルの良さが伝わったらよいのですが、私の文才の無さでそれが全うできるか…ともかく、みなさんも興味があった曲を聞いてみてくださると幸いです。

オカルティズムと「思考の節約」─現代社会におけるステレオタイプの活用

「聞け、驕り高ぶれるアジアとヨーロッパの民よ、
 大いなるかたの蜜の声響かせる口を通して、
 われわれのことから始めて、わたしが預言せんとするかぎりの全ての真実を。
 わたしは虚偽を託宣するフォイボスではない。その者を、愚かな人間どもは神と云い、預言者と詐称したのだ。」


新約聖書の外典『シビュラの託宣』第四巻の有名な出だしであるが、
この外典は一時期、311の予言ではないかと話題になった巻である。

それはこの記述だ。

地震のために激しく揺れ、諸々の都市がたちまちに倒れる時に。
ロードス人たちにも、最後の、しかし最大の悪がやってくるだろう。
(中略)
おお、リュキアの美しいミュラよ、揺れ動く大地は決しておまえを立たせておきはしない。
まっさかさまに大地に倒れ、寄留者のように、他の地に逃れたいと願うだろう。
それはパタラの不敬虔の上に、ある日、雷霆と地震とともに、海の黒い水が騒乱をまき散らす時である。」

これは直接的には聖書の中の話であるが、いわゆるオカルト信奉者が言うように、聖書は一種抽象的な世界の話であって、アジアに適用することも間違ってはいないかもしれない。

実際、311とこの記述に「類似」している点はある。そしてオカルト信奉者はかかる論を摘出し、文脈をはぎ取ってすぐさま論拠として提示する。
(もちろん、選択的思考と自己欺瞞(self-deception)で脚色されたこれらが論拠とは言えないのは明らかなのだが…。)

しかしここで注目したいのはオカルト野郎はクレイジーだ、という結論ではない。
彼らがオカルトをステレオタイプへの典型的防御手段として使用している点である。

ステレオタイプはWリップマンの指摘以降、悪い風に取られがちだが、
彼は同時に「ステレオタイプは、理解に役立つ」とも述べている。

教養も詰んでこずに、また知識を「得る時間」がないような私のような人間にとって現代社会は甚だ複雑怪奇である。

なぜ飛行機が空を飛ぶのか? これは航空力学を学べば容易に説明できる。

しかしこれを知らないものは「クマバチがなぜ飛ぶかは明らかにされていない。よって飛行機の飛行原理も明らかではない。だから危ない」などという古い論を取り出し、飛行機におびえるのである。

これは未開人が銃を持った西洋人(コンキスタドール)を見て、あいつらは魔術師だ!火を操っている!
などといって恐怖にやられ、国を滅ぼされたのと同じである。

そしてかの311ではかかる未開人的思想とステレオタイプによって防護されている人間が「<自称>情報強者」の中にもい大勢いると実証されてしまった。


先の例を再び取り上げると、彼らは飛行機が飛ぶのは科学で実証できない魔術的なものだと決めつけ、そこで思考停止を起こす。彼らにとって航空力学を学ぶ時間はない。そして私もそうなのだが、学ぶだけの知能もない。

彼らにとって「飛行機が飛ぶ」という現実の出来事を理解する「手助け」となるのがステレオタイプであり、
彼らは一種のステレオタイプ─飛ぶ理由がわかっていないという─を用いて、物事を理解したのである。

このステレオタイプによる理解は、脳の労力的観点から言うとひどく効率がよい。
何か嫌なことがあったら「ユダヤの陰謀」と決めつけたり、何か不思議なことが起きると「魔術だ」などと決めつける。つまり、ステレオタイプによる理解は思考の節約と言っていい現象なのである。

もしここでステレオタイプなき学者が同じ現象を「理解」しようとすればデータの収集、実証など多くの過程を必要とする。
先の飛行機でいえば、飛行機が飛ぶのはまだ解明されていない!と決めつけるのは一瞬だが、「この機体が飛ぶのはエンジンの出力、翼の断面系から計算して求められる揚力、また翼の長さ、そして翼重比を求めだして・・・」などとステレオタイプなしに理解するのは実に時間がかかるし、脳の労力も甚だ大きいものだ。つまり、ひどく労力を使うのだ。

この現象はそのまま311以降広まったデマにも当てはめることができる。地盤などのデータを収集し、計算するのではなしに、「地震兵器の仕業だ!」とステレオタイプで決めつけ、脳を「疲れさせずに」物事を理解した彼ら。
新約聖書の外典に書かれているから311が起きるのは必然だったと決めつける彼ら。

彼らはまさにステレオタイプの奴隷である。しかし、一方で彼らは偉い学者たちがするように脳を「疲れさせることなしに」、思考の節約によって物事を理解できる、ある意味賢い人間だということもできる。

これらの現象はオカルト以外にも数多く現れている。

例えば福島の放射線量に対するステレオタイプ、外国に対するステレオタイプ等々、数を上げれば限りないのだ。

自ら考えることなしに、ステレオタイプで物事を理解しようとする彼らは実は「時代に適した」人間なのかもしれない。

なぜならば、複雑化した現代社会で全てを把握するのは不可能だ。思考の節約により、なるべく頭を働かせずに理解することで我々はなんとか毎日を送っている。もし、君があらゆる現象を理解して行動しようと思えば脳科学から理論物理学まで、ありとあらゆる学問が必要になるのは目に見えている。それを必要としなくて済むのは、我々の見る世界がステレオタイプで塗り固められており、そして思考の節約により考えなくて済むようになっているからだ。もし、君がステレオタイプなしに生きていると思うのならば、それは誤りである。人は必ずステレオタイプの中で生きているのだ。例えば、あの国は◯◯だ、という際に思い浮かぶ「国」はステレオタイプの中の国であることが多い。台湾であれば、台湾という国の実際を知らずに人は「親日」というステレオタイプで見る。もしステレオタイプなしに台湾を見れば、君は台湾がどのような国かに対する処理する情報の多さに苦戦するだろう。このように我々は常にステレオタイプとともにあるのだ。

我々は─それが偉い学者であっても─常に思考の節約により思考をしないように、脳を使わないように生活するようにできている。それがあるからこそ、現代社会で生きていけるのだが、一方でそれは弊害にもなる。少なくとも「我々はステレオタイプの中に生きている」という自覚だけは忘れないほうがいいだろう。

 

 

 

 

 

カニバリズムとその意味─栄養摂取と食の魔術

 

 

1.はじめに

「ネーコってコーモリ食べる? ネーコって、コーモリ、食べる?」そのうちどっちがどっち食べるのかわからなくなって。まあほらどちらにしても答えはわからないから、どっちになっても大して変わりないけど。*1

猫はコウモリを、あるいはコウモリは猫を食べないかもしれないが、人は人を食べる。中世末から今に至るまで我々は「食人(カニバリズム)」*2に強い興味を持っている。ウィキペディアに項目があり、事象が列挙されているのもその一例であるし、現代でも食人が絡んだ事件が有ると大騒ぎになる。また、フィクションでも食人にフォーカスされた作品は多い。マルキ・ド・サドエドガー・アラン・ポーなどがこのような作品を残している。では食人とはいったいなんだったのであろうか。また、食人の意義とはなんなのだろうか。ここでは簡潔に食人について考察したい。

 

2.四種類の食人

食人と一言に言ってもその内容は単一ではない。具体的には四種類の食事があるだろう。

a.食人をする者たちが組織的に動き、システムとして食人を行う。集団として敵の村などを襲い(戦争を起こし)、その結果「戦利品」としてその肉を食べる。積極的カニバリズムであり、戦争カニバリズムである。具体例としてはアステカ文明における食人が挙げられる。この場合、食人はその民族の文化に組み込まれているといえるだろう。

b.病死した親族などの死体を儀礼的に食べる。この場合、敵の村を襲うなどの積極的な行動は見られずに受動的・平和的なカニバリズムであるといえるし、社会的慣習であり、文化体系の一部分である。

c.特殊状態─飢餓状態─などに陥った場合、発作的にカニバリズムを起こす。具体例ではウルグアイ空軍機571便遭難事故*3が挙げられる。

d.個人がカニバリズムという行為そのものに性的快感を覚え、または人肉を美味しいものと考え、実効する。佐川一政によるパリ人肉事件*4が挙げられる。

 

この四種類のうち、cとdは考察から省きたい。なぜならcは飢餓状態という特殊状態で突発的に食人を行ったのであり、一回きりの特殊的な行為であり、そこに「文化」はないからだ。彼らにあったのは飢餓感を満たそうとする動物的本能だけであり、個別具体的な検証はできても、総体としての食人文化に迫れるものではない。dも同じく個別的検証は可能であろうが、個人の行った行為であり、文化体系の中の一行為でなく、文化の中の行動として行われた食人としての実態に迫れるものではない。

ここで扱うaとbであるが、これは文化に組み込まれた社会的慣習による行動である。個人の意志ではなく、集団が何回にも渡って行ってきた食人なのである。そこには一定の儀式や儀礼が存在し、集団はそれに則って行う。いわば統制された食人であり、だからこそ探求が可能になるのである。

 

3.戦争におけるカニバリズム(aの場合)とその消失

先に上げたaのような場合におけるカニバリズムを探求する。戦争において勝利した場合得られるのは捕虜である。この捕虜を食人する文化は数多く有る。トゥビナンバ族*5では、捕虜の肉は余禄の動物性食物として尊ばれた。これらの民族では特に「戦士」となる男と違って動物性食物の分配が少なかった女性にとって食人は重要な栄養摂取源であったことが伺われる。

然れども、戦争カニバリズムにおいて重要なのは食人は第一目的でなかったことだ。つまり、食人を積極的に行うものの、それは第二目的であってあくまで戦争が第一目的であった。これらのカニバリズムマーヴィン・ハリスによれば「戦争カニバリズムをおこなうひとびとは、人肉を目的とする狩人ではない。かれらは戦士であり、集団間の政治の一表現として、同類の人間を追跡し、殺し、虐待する一連の行為にかかわるのである」。とのことだ。

イロコイ族*6やヒューロン族*7は戦争は男女の捕虜を得るという利益以外に、彼らを村へ連れ帰って虐待するという利益を齎していた。虐待行為は政治的な意味もあるが、実利的な意味もあった。若者の「戦闘訓練」に捕虜を利用したのである。つまり、槍や剣の訓練の標的として彼らを利用していたのだ。木や革でできた「的」とちがって、生きた人間を的に使う訓練はどれほど効率的であったかは想像に難くない。また、もし戦争で捕虜になったら、相手に自分が施したような「仕打ち」を受けることを想像させて戦士としての強度を高めた。捕虜になれば死ぬと教えられた日本兵と同じ構造である。

イロコイ族やヒューロン族が村に連れ帰って拷問し、食人した数はあまりわかっていないが、マーヴィンによれば「それほど多くはなかった」という。理由は、彼らの住んでいた地域は大型狩猟動物が豊富におり、動物性食物に困っていなかったと考えられる身からだ。一方、トゥビナンバ族は状況が間逆であり、動物性食物は不足しており、重要な栄養源の一つであった。しかし動物性食物が不足する状況に置かれれば─つまり遠征して戦っている場合など─イロコイ族やヒューロン族も旺盛な食人欲求を示した。1693年1月19日にスケネクタディー近郊で行われたフランス軍との戦いの後、アルバニー市長のピーター・スカイラーは、味方のイロコイ族が「かれらのもって生まれた野蛮さのゆえに、敵の死体を細切れにして食べた」と報告している。わざわざ味方の野蛮な振る舞いをでっちあげて、ことさらに嘘をつく必要がないため、これは少なくとも部分的に事実であると考えられる。この報告は、事件についてスカイラーにインタビューした、歴史家でニューヨーク州知事キャドワラダー・コルデンによって確認され、文章化されている。

インディアンたちはみつけたフランス兵の死骸を食べた……スカイラーがその時彼らの中に入っていくと、一緒に肉スープを飲まないかと誘われた。何人かが煮ていた。彼は飲んだ。しかし、インディアンが、おかわりを掬おうとして鍋に柄杓を入れると、フランス人の腕が出てきた。その途端、彼の食欲はなくなった。*8

戦死した敵兵を戦地糧食に使うことは、世界各地の村落社会でよく行われていたとマーヴィンは言う。例えばニュージランドのマオリ族の事例から、重要部分について詳しく知ることができる。マオリ族の戦士隊は機動性を高めるために行軍中に人肉を利用した。マオリ族は戦闘が終わるとすぐに、戦死者と、捕まえた捕虜の大部分の両方を(少なからず)食べた。マオリ族の場合、食人は「普段」(非戦争時)はほとんど活用していなかったかもしれないが、戦争中においては貴重な栄養摂取とされていたのは確かだ。

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(1577年に描かれたブラジル地域における食人の様子)

さて、ここで述べていた戦争カニバリズムであるが、この実態というのは戦死者を食べる以外には小規模の部族が小規模の部族を襲うにとどまっていた。*9なぜなら彼らは輜重が貧弱で大量の捕虜(あるいは大量の人肉)を拠点まで連れ帰るのは容易ではなかったと考えられるからである。当たり前であるが捕虜の輸送には莫大なコストがかかるのである。大規模な会戦などで敵を打倒した場合などは安心してその場で「調理」を始められるかもしれないが、実際のところ小規模な部族であった彼らの戦争様式というのは村を奇襲で襲い、そして襲われた村の部族は一目散に森へ─おそらく避難地点や結集地点があったのだろう─逃げ込むことだった。うかうかしていれば、このように結集して兵力を立て直した敵部族に反撃される可能性があった。大量の捕虜や人肉は機動力を活かしてヒットアンドアウェイをするに従って最も大事となる機動力を大幅に削ぐことになる。そのため獲得できる捕虜=人肉としても少量であったことが伺われる。

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(16世紀に描かれたネイティブ・アメリカンによる食人行為)

この考えで行けば大規模な会戦を行えるだけの兵力を持つ「国家」は食人を更に推し進めるかもしれない、と考えられる。しかし食人行動は国家が大規模になるほど現れなくなってくるのは世界史を学んだ諸君らにはわかるだろう。これはどういうことだろうか。

これらに関してマーヴィンはある予想をしている。それによれば部族社会は大量の余剰生産物を生産できないため、捕虜を養えない。また、環境から捕虜を活かせる労働などがない。国家の人口が多くなればなるほど、余剰生産物は増え、捕虜を活かせる労働が─例えば大規模な農業など─発生してくる。部族社会では得た捕虜(活用のしようがない)を殺して食べるのは合理的である。しかし国家ともなれば、得た捕虜を労働させて生産物を生み出し、それを消費するほうが長期的に利益となる……彼はそう予想している。また、食料の補給に関しても、「戦闘に勝って初めてできる食人」より、一定の水準を必ず確保できる後方からの輸送・豊かな村での徴発に頼るのが当然効果的である。これらの要因から国家が大きくなればなるほど食人行動は─儀礼的な意味を大きく持つ食人を除いて─減ったのだと考えられる。

また、食人を禁止することは別のベネフィットを生み出した。敵国家に降伏しても食人されないという安心である。「お前たちを食うためにやってきた」と自称する国家よりも「お前たちを文明化するためにやってきた」と自称する国家のほうが大義名分として帝国主義的な政策は取りやすいし支配地域にも受け入れられやすい。ローマ帝国がそうだが、文明化の旗印の下、蛮族を討つのである。このような図式は野蛮な民族を教化するという大正義の下行われるのであり、兵士たちの士気も「食人のため」より高まることとなった。そうとなれば、この「食人をしない」という大前提を守るために食人を禁止に追いやることの意味がわかるだろう。なぜ今の我々は近親者の死体でも食人をしないか。

人肉食の禁止から外れることは、どんなことでもあろうと、国家の戦争カニバリズム撲滅の公約をあやうくするものとのなる。国家は、人民に死んだ敵を食べるのを禁じながら、死んだ近親者を食べるのは許すなど、どうしてできよう。旧世界では、馬がそうであるように、人間はそれが生きていようと死んでいようと、味方であろうと敵であろうと、どんなに殺すに良いものであっても、食べるにはよくないものとみなされるようになったのである。*10

つまり、総体的に見れば、我々は食人をするより、食人をしないほうが利益を得られるようになった、ということになる。捕虜の肉を食べるより、その捕虜を納税者・農民・労働者としたほうが価値があるようになったのであり、また国家のモラルと言った面でも食人をしないのが有利となったのである。

逆に言えば、国家が政治的・経済的に捕虜を取るより食人に回したほうがベネフィットを得られると判断したらその国では食人が行われる可能性がある。強大な帝国を築いていながらも、食人を行ったアステカ文明がこの例である。「(アステカ文明の)一人あたりの獣肉、魚、鶏肉摂取量は、一日に数グラムにもならなかった」。極度の動物性食物の不足はより強い食人欲求を生み出し、国家の司令官が部下に食人をやめるようにいうのは、大型狩猟動物や家畜がいた旧世界よりも遥かに困難だっただろう。このような状況では、食人は直接的に「栄養摂取」の欲求を満たすただひとつの解決方法だったのである。このような場合、食人を禁止する政治的利点は薄れ、結果としてトゥビナンバ族やイロコイ族のような社会に近い結果となった。これと似たようなものとして「海の慣習」がある。遭難したり難破した際に乗組員の死体を食べて良いとする慣習であり、1710年にノッティンガム・ガレー号の遭難では実際に食人は行われた。船といういわば「小国家」の中では食人を禁止して政治的利点─モラルの崩壊を防ぐ─より実利的な栄養摂取の利点が勝ったということである。

ただし、アステカ文明の食人は後述する「儀礼的な意味」を他の部族より遥かに多く残していたのは考慮すべきである。約言すれば、彼らは肉がないから人を食べた、と一言で言うことはできない。もちろんそれも一つの要因であるのだが、そこには魔術的・儀礼的意味も多分に含まれていたのである。

 

4.平和的なカニバリズム(bの場合)と食の魔術

パプア高地のギミ族の女性はかつて、男たちが死ぬとその死体を食べていた。この風習は1960年代までつづき、いまでも人形を死体に見立てて食べるふりをすることで再現されている。また、南アメリカオリノコ川に村を作るギアカ族でも死者を火葬し、その骨、半ば炭化した骨を集めて木製の臼でひき、それを近親者がバナナのスープに入れて、儀式の際に飲むとされている。

さて、これらのカニバリズムは栄養摂取以外の目的があるのが明らかだ。炭化した骨で動物性食物を摂取したことにならない。なにか別の目的が有るのだ。ここで出てくるのが私が先にブログで書いた「食の魔術」である(詳しくは下記参照のこと)

peoplesstorm.hatenablog.com

食の魔術とは食べ物に栄養摂取以外の目的を求めることだ。例えば水素水は合理的に考えれば、水分摂取以外の「栄養学的意味」を持たない。しかし人々は健康を願って飲む。そこに科学的なものは存在しない。あるのは食に栄養摂取以外の─しばしば非科学的な─意味を求めるという行為である。食とは生きるためだけに食べているのではない。食べることは魔術的な意味を持つのである。それは水素水の謳う科学的ではない効果を見ればわかるだろう。食とは多くの(ともすれば魔術的な)意味を秘めているのである。

食人はこの食の魔術に大きく影響を受けている。例えば、パプアのオロカイバ族は、食人は死んだ戦士の代償として霊魂を捉える方法だとされている。オナバスル族にとって食人対象は魔女とされた人間だけであった。先に述べたアステカ文明では食人は栄養摂取以外に、「勇敢な敵戦士の魂を得る」方法とされていた。フィジーでも食人は行われ、食べた分だけその記録として石をおいていった。だがそうやって石をおいて「記念する」という行為自体が、カニバリズムが通常の家畜を食べる行為と一線を画す行為なのがわかる。フィジーでは食人は支配を象徴するものであって、食べることで自らの地位を誇っていたのだ。また、フィクションでは食人種の食べ物(人肉)を味見したシンドバッドの仲間たちは(食人によって)狂ったのである。これも非科学的な、魔術的な食の魔術の存在を感じさせる。

食人とは栄養摂取の意味だけではなかった。そこに食の魔術があったのだ。死んだ戦士の力を取り入れ、悪魔を遠ざけ、肉をみんなで食らうことで絆を作り、また自らの支配体系を示す。これは今の食事にも当てはまることだ。フェリペ・フェルナンデス=アルメストによれば「食人種からホメオパシー支持者や健康食品愛好家に至るまで、みな自分の人格を磨き、力を伸ばし、寿命を伸ばすのに役立つと思われる食べ物を食べているのである」。戦争カニバリズムにおいてもこれらは変わらない。敵兵士の肉を食べるのは魂を取り入れる儀礼・儀式でもあったのだ。これらは表裏一体で切り離すことができない。一方ではタンパク質摂取のためであり、一方では食の魔術のためであった。これらを切り離して一方的な考えで物事を見ることはできない。

 

5.終わりに

これまで述べてきたように、カニバリズムとは動物性食物の摂取と食の魔術の二本柱によって成り立っていた行為であった。現代の我々から見ると食人行為はおぞましく、大変恐ろしいものに思える。しかし、食人種が恐れをなすほどの大戦争を繰り広げ、食人種が食べてきた人間より多くの人間を砲弾・銃弾・爆弾で殺してきた我々と比べてどこがおぞましいのだろうか。捕虜の首を切り落とすのと、WW2東部戦線でよく見られたように捕虜をその場で銃殺したり、または収容所でおぞましく餓死・病死させる行為のどちらが恐ろしいのだろうか。カニバリズムは確かに実在した。しかしそれをことさら大げさに取り扱って、我々「近代人」がその近代に何をしてきたかを考えないのは語るに落ちるのである。

ここまで著述した食人に関する考察はかなり断片的で曖昧なものだというのをご容赦していただきたい。もっと食人を行っていた部族は存在するし(例えばニューギニアにおける食人などが有名である)、その意味(食の魔術)も様々である。しかし私の知識不足でかなり限定的な考察になったのは否めない。誰か知識の有る方がこのテーマについてもっと詳しく研究してくださるといいのだが……。

余談になるが、イラク戦争において米軍兵士が食人を行ったと『History Today』においてリチャード・サッグ氏は述べている。これによれば敵兵士の死体を食べることは「復讐」として行われたそうだが、これも食の魔術の一環と言えるだろう。死体を食べて復讐をするという意味を食人に見出していたのだから。これと似た事例で中国の文化大革命において復讐として(政治的な)敵の死体を食べた事例もあげられるのである。現在でも我々は食の魔術とその極地たる食人から逃れることはできなそうだ……。

 

参考文献

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト著『食べる人類誌』

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

・同上『ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源』

*1:ルイス・キャロル著『ふしぎの国のアリス

*2:ここで先に述べておきたいのだが、カニバリズムは実在した。しかしその実態というのは多くが誇張されているということだ。植民地拡大期に未開の国の部族を全て食人種にすることは多々あった。Man Eating Mythとも言うがとにかくその時代に書かれたのは虚偽だらけの文献も多い。

*3:ウルグアイ空軍571便が墜落し生存者たちが飢えを満たすために食人を行った事件

*4:1981年、パリに留学していた佐川一政が友人の女性を射殺し、死姦した上で食した事件

*5:南アメリカ、ブラジルのアマゾン河口からサン・パウロ州までの海岸部と内陸部に広く住んでいたトゥピ系の先住民

*6:1570年頃、現在のニューヨーク州中央部に住んでいた5つのインディアンの民族が結成した連盟組織の部族を指す言葉

*7:北アメリカ,五大湖の一つヒューロン湖周辺に居住するアメリカインディアンの一民族。ヒューロンはフランス語で剛毛の頭,ないし悪漢の意。自称ベンダットまたはワンダット

*8:マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』より

*9:これらの戦争形態は当時の状況に依存する。当時、彼らは村単位の小規模部族であり、狩猟に生活を頼っていた。このような状況で最も多くの「食」を得られるのは狩猟場における人口圧をなるべく削減することであった。競争者がいなくなれば、その分多くの食料を得られるのである。そのために相手の人口圧を減らすことができる小規模な戦争は実利的な意味合いを持っていた

*10:同上

現代の菜食主義の根源─肉食は悪!とする主張について

 

1.はじめに

最近、ネット上でにわかにベジタリアニズムやヴィーガニズム*1についての話題が盛り上がっている。例を上げれば下記のまとめがあろう。このまとめでは猫にまで菜食主義を強要することが非難の的になっていた。

togetter.com

「肉食禁止」という言葉を聞くと人々は古典的な宗教のタブーを思い出すだろう。しかし現在の─西洋的な─菜食主義(それがベジタリアンであれヴィーガンであれ)の根底は実は近代に入ってからのものなのである。この記事では簡潔にこれを書いていきたい。

 

2.食の魔術性

 食に対する問題を論じる前に「食の魔術性」について述べる必要がある。これはフェリペ・フェルナンデス=アルメストが詳しく論じているが、要するに食事をする際に栄養摂取以上の意味を食に見出すことである。日本で言えば戦国武将たちが勝ち栗や打ち鮑などで験担ぎをしていたのを思い出すことができるだろう。食に栄養摂取以上の意味を求めることは世界中で行われており、何かの儀式の際の食事などで普遍的に見ることができる。食事に自己の変容、力の獲得、品行を良くする、縁起を良くする、身体を清浄にする…これらの意味を我々は求めている。この思想が極限に達したのが、現代の「健康食品」であり、効果不明な水素水や効果不明な薬草を溶いたペーストなどが今でも大量に消費されている。これは、明らかに食事に栄養摂取以上の意味を求めている。西洋ではトリュフは性欲を高める(媚薬)というフォークロアがある。マンナやナツメヤシにも媚薬の効果があるとされてきた。ピタゴラスは豆を食べると身体が崩壊すると信じていて豆を食べなかった。このように根拠不明の「食の魔術性」を我々は持ち続けてきたのであり、それが今の健康食品にもつながっている。

 また、食はアイデンティティにもなっている。「米を食べるのは日本人の特徴」「日本人は米を食う」などの文脈で語られる米は明らかにアイデンティティの一部をになっている。菜食主義も「私は菜食主義であり、他の人とは違う」というアイデンティティ形成の一部分になっているのは間違いない。またこれらの食は味方と敵を分ける作用にもなる。戦時中、パンは敵性食とされた地域があるが、これはパン=西洋=敵という図式であり、これはまた米=日本=味方という作用が含まれている。

 食の魔術性は栄養学的にも根拠不明なものが多いが、次第に洗練化された。有名なのが壊血病と新鮮や野菜・果実の関係である。フェリペによると「壊血病の治療に成功したことで、食べ物の役割を見直して、単に栄養を与えるものというだけでなく、治療効果のあるものという位置づけに格上げしてもいいのではないかという考えが強まった。食べ物による健康が探求され始めると、新興の科学が永遠の宗教と出会うことになった」とのことである。食べ物による健康は、エセ科学であると同時に神秘主義的でもあった。古代の学者たちは、根拠不明にある物を食べると精神が汚れるなどと言ったが、身体の影響は精神への影響という理論を振りかざして、新たな食の魔術を説くものたちが現れたということだ。ここで菜食主義が再び登場することになる。

 

3.菜食主義の再誕

 フェリペは前提として「夢物語の世界を除けば、菜食主義が社会全体あるいは宗教の伝統全体に浸透したのは、宗教的制裁によってうながされるタブーの体系の一部にすぎなかった」としている。現代の菜食主義とは違うのである。

 現代の菜食主義運動は、その起源を18世紀末に求めることができる。その着想の根源の一つは古代ギリシャ・ローマ時代と中世につくられた菜食主義を訴える小冊子の積もり積もった影響が、次第に活発になる出版業によって広まり、その結果18世紀と19世紀のヨーロッパで菜食主義の作家の作品が次々と出版されるようになっていったのである。新しい菜食主義を提唱した人の多くは、現実主義者ではなかった。ジョン・オズワルドは自ら改宗しヒンドゥー教徒になった後、『自然の叫び』(1791年)を出版。動物の領域を侵してはならぬと主張した。ジョージ・ニコルソンは肉が「堕落の時代」の象徴だと主張した。

 初期の頃の菜食主義の信奉者たちは、食べ物は人格を養うと信じていた。イギリスの菜食主義の最初の聖典の一つである『道徳的義務として動物性食品を食べないことについての小論』(1802年)のなかで、ジョセフ・リットリトンは肉を食べる人は怒りっぽくて残忍で気難しいと主張した。この聖典の信奉者達は戦争、奴隷制度、あらゆる負の側面は肉食から来ていると盛んに述べ立てた。ツイッターヴィーガンの中には未だにこれを信奉している者もいるが、それはさておき、菜食主義は道徳分野の中では一画を占めることはできなかった。19世紀には伝統的な宗教(肉食を許可する)と張り合っていたのだから無理だった。だが善行を売ることは無理でも、健康を売ることはできた。

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ジョセフ・リットリトン著『An essay on abstinence from animal food, as a moral duty(道徳的義務として動物性食品を食べないことについての小論)』復刻版

 道徳と市場性が結びついたのは、1830年代に聖職者シルベスター・グレアムが全粒粉ブームを興したときだった。グレアムは肉を食べる人は横暴で気性が激しく、短気であるという前時代の菜食主義戦士の主張に同意するとともに、セックスを菜食主義と結びつけ、性的逸脱行為は肉食によって起こるのだから、肉食と最も無縁な全粒粉を食べるように指導した。またグレアムは当時進展していた工業主義に反対する田園主義─「鋤に帰る」─ことを主張した。この菜食主義と反セックス、そして反工業主義は多くの時代精神に訴えることに成功した。グレアムの信奉者らが作った製品のなかには「グラニューラ」と名付けられた朝食用シリアルもあった。

 グレアムの信奉者らの勢いは凄まじいものだった。熱狂的に低たんぱく食を勧める人たちである。彼らの素朴な、それでいてまちがいだらけの哲学は科学を駆逐し、一世紀に渡って栄養に関する思想の主流を占めることになる。1890年代にはグレアムの信奉者たちと、それにあやかったイカサマ師たちがシリアル食品の利権を巡って争った。有名な「ケロッグ」のJ.H.ケロッグの最初のシリアルは丸パクリの「グラニューラ」という名前だった。彼は肉を食べると数億個の細菌が結腸に入ると考え、なんとかその退治をしたいと思っていた。考えられる方法はヨーグルトで撲滅するか、食物繊維で排出するかだった。最終的にこの誤りだらけの主張で生産された「ケロッグ」は朝食用シリアルの頂点に立つことになった。

 菜食主義は次第に「哲学」から「エセ科学」としての側面を強めていった。意味不明な「一見科学的だがよく考えると非科学的理論」を盾に菜食主義は世界を席巻した。そしてエセ科学と結びついた「現代的菜食主義」は今に至っている。

 菜食主義達が科学を振りかざして言うように、心臓病の発生率は脂肪の消費量が多い文化ほど高い。しかしエスキモーの食事は100%肉と魚であり、そのほとんどは脂肪である。ブッシュマンやピグミーの食事の三分の一が脂身の肉である。にも関わらず彼らの血圧やコレステロール値、心臓病発生率は正常の範囲である。マーヴィン・ハリスも肉食に関する科学的データの杜撰さに苦言を呈しており、「肉食が原因」というゴールが決まった上で取られたデータであると述べている。「現代の健康ブームが生み出した先入観は、科学的であると同時に─おそらくは科学的というよりも─社会的なものである。そうした先入観がアイデンティティの輪郭をつくり、共通の信条となっている」。

 「食べものにまつわる強迫観念は文化の歴史のうねりであり、現代病であって、どんな健康食品でも治すことはできない」。フェリペが言うように、我々が食に関して「魔術性」を意識する限り、あらゆる食に関する問題は本質的には解決しない。食には馬の合う人を結びつけ、絆を強くし、またタブーを無視するものを排斥する…つまり敵と味方に分別する作用を持つ。我々が菜食主義者にいくら彼らの行いは非科学的だと述べ立てても溝が深まるだけである。我々が分かり合える日はおそらく…来ないであろう。

 

4.まとめ

 現代の菜食主義ブームは近代的なものであり、古典的な宗教タブーとは違うものである。それ自体が「新興宗教」の衣を被っていても、だ。ツイッターなどを見ていると、未だにジョセフ・リットリトンのような菜食主義者の伝統が受け継がれているのをみると驚くばかりである。彼らの大半はこれらの菜食主義の流れを理解せずに、「スピリチュアル」にハマった人たちであろうが、彼らがそれでも18世紀末からの菜食主義の流れを受け継いでいることには感動を覚えるのである。しかし、忘れてはならない。我々も食の魔術性の中に生きていることを。

 

参考文献

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト著『食べる人類誌』

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

・キトレイカ著『食の冒険』

 

 

*1:ベジタリアニズムは菜食主義を、ヴィーガニズムは動物の殺生禁止を説くが両者が肉食を避けることは同様である

戦争の中の覚醒剤─ドイツ軍における覚醒剤

一応、この記事の続きです。

peoplesstorm.hatenablog.com

 

 

1.はじめに

前回の記事では1950年代にまで市販されていた麻薬含有商品を紹介したが、今回の記事では戦争中に多用された覚醒剤*1を取り扱いたい。現在の軍隊でも「痛み止め」としてモルヒネは一部使用されるが、この他に覚醒剤(主にメタンフェタミンアンフェタミン)は士気高揚やその他の目的で各国で乱用されていた。それらを断片的にであるが紹介していきたい。

 

2.ドイツ軍における覚醒剤の概要

ドイツにおける覚醒剤の代表例がペルビチンである。

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1930年代末、ベルリンのTemmler製薬会社によって開発されたメタンフェタミン*2薬「ペルビチン(Pervitin)」は、すぐにドイツの市販覚醒剤の中でトップの売上となった。『Klinische Wochenschrift(「週刊臨床」)』のレポートによると、アンフェタミンメタンフェタミンの効果は体内で生成されるアドレナリンと同様とのことである。ほとんどの場合、覚醒剤は自信の向上、痛み、飢えと渇きに対して辛抱強さを増すことができ、睡眠の必要性を低減しながら、リスクを取る意欲を向上させるとのことだ。1939年9月には、Temmler製薬会社と軍部らは90の大学の学生に薬を配布し、ペルビチンはドイツが戦争に勝つのに役立つ可能性があると結論付けた。最初ペルビチンの配布は、ポーランド侵攻に参加した軍の運転手・操縦手らでテストされた。そして、犯罪学者ウルフ・ケンパーによれば、それは「無節操に前線で戦う部隊に配布。」され、大きな効果をもたらした。この効果というのは長時間の操縦に耐えうる集中力を運転手らに齎したという「わかりやすい効果」以外にも、戦意の高揚などの間接的効果もあったとされる。

1940年の4月から7月の短い期間の間に、ペルビチンとイソファン(Isophan)─ノール製薬会社によって生成されるペルビチンを僅かに修正した覚醒剤─は3500万錠剤、ドイツ陸軍と空軍に出荷された。錠剤はメタンフェタミン3mgを含んでいたという。これらの覚醒剤はコード名「OBM」の下、国防軍の医療部門に送られ、その後部隊に直接的に分配され、緊急に必要とされた場合には将校らは催促することもできた。パッケージには「覚醒剤」と標識され、指揮官の命令のもと、1〜2錠の用量を推奨した。当時の命令によるとこうだ─「眠らないために、必要なときにだけ摂取せよ。」

その後、覚醒剤の悪影響が頻繁に確認され始めた。孤立した症例では、使用者は過度の発汗や循環障害などの健康上の問題を経験し、さらにいくつかの死亡例があった。レオナルド・コンティ─健康と禁欲主義でアドルフ・ヒトラー政権下の医療部門の親玉─は覚醒剤の使用を制限しようとしたが、それはある程度は成功した。ペルビチンは1941年7月1日に「制限物質」と分類されたが、アヘン法の下で、1000万もの錠剤は同じ年に軍隊に出荷されていた。

ここまで覚醒剤が乱用されたのは効果が軍隊にとって魅惑的だったからだ。1942年1月には東部戦線に駐留した500人のドイツ兵が赤軍の包囲から脱出しようとした。気温はマイナス30度。部隊に割り当てられた軍医は真夜中に「より多くの兵士が、もう雪の上で横になり倒れ始めるほど疲れていた」ことを報告書で書いている。

「部隊の指揮官は部隊にペルビチンを与えることにしました!…半時間後、彼ら(兵士)は再び整然と行進し始めました!彼らが自身の体調について『より良い』と感じていることを報告し、彼らはより良い警戒状態に移行できたのです!」

報告書は、軍の上級医療指導部に到達するまでにほぼ6ヶ月かかった。しかし、その応答は、ペルビチンの新しいガイドラインが発行されるにとどまった。「一度摂取した2個の錠剤(=6mgのメタンフェタミン)は、通常3〜8時間眠る必要性を排除する」とのことだ。

戦争の終わりに向けて、ナチスも自分の軍隊のための「奇跡の丸薬」に取り組んでいた。北ドイツの港町キールでは1944年3月16日にヘルムート・ハイエの下で新しい薬剤が開発されていた。「(新しい薬に求められることは)兵士の自尊心を高めながら、兵士らが正常考えられる時間を超えて長時間戦い続けることだ」。

短い期間の後に、キールの薬理博士ゲルハルト・オジェホフスキーはコードネーム「D-IX」を発表した。これは、コカイン5mg、ペルビチン3mgとEukodal 5mg(モルヒネベースの鎮痛剤)を含有していた。今日では、この強力な薬の劣化コピーを乱用して刑務所送りになることが多いが、当時では薬物は、海軍の潜水艦乗組員でテストされて好成績を収めた。戦争中、覚醒剤はドイツにおいて次々と改良されていったが、結局は敗戦の後、ドイツが保有していた大量の覚醒剤のデータは散逸し、ドイツ軍における覚醒剤の歴史に(表向き)終止符が打たれたのであった。しかし、実際は東西ドイツ融合まで、西ドイツも東ドイツ覚醒剤を保有していたのが最近の暴露文書により明らかになっている。それほど覚醒剤というのは軍隊にとって魅力的なのである。

ドイツ軍における覚醒剤の歴史はこのようなものであるが、次は具体的な「製品」を紹介していきたい。

 

3.具体的覚醒剤製品

a.Panzerschokolade

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Panzerschokolade(戦車チョコレート)と名付けられたこのメタンフェタミン含有チョコレートは大戦中戦車兵、そしてそれ以外のあらゆる兵種に大量に配布された。戦車搭乗員はペルビチンの最初期の配布テストにも選ばれたように、非常に多くの苦痛を味わう。唸るエンジン音、嫌な音を立てる車体、乗り心地の悪さ、敵と接敵する緊張、主砲の発射音・ガス、着弾時の衝撃、死の恐怖…。これらを軽減するために盛んにメタンフェタミンは使用された。長時間の戦車戦においてこれらのメタンフェタミン含有チョコレートはかなりの成果を残した。「異常」とも言える戦車内のあの環境で戦車兵が勇ましく長時間戦えた要因の一つとして、これらのメタンフェタミンの効果があったのは忘れてはならない。もちろん、これらの処置はドイツ軍だけではなく、連合国側でも取られていた。

 

b.Stuka-Tabletten

メタンフェタミンの持つ集中力の増強は空軍兵士にも大きな利益をもたらす。長時間、空のあらゆる範囲に注意をめぐらし、緊張感を持って操縦を行わねばならないパイロットにとってメタンフェタミンの効果は望ましいものだった。ドイツにおいては「スツーカ錠剤」、英語圏では「パイロットの塩」とあだ名されるメタンフェタミン含有製品はあらゆる場面において兵士の心強い味方であった。戦車チョコレートと同じように、これらの処置は連合国側でも同様であり、連合国側では主にアンフェタミンが使用されていた。

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アンフェタミンを摂取せよ!』と述べ立てる連合国側のポスター

 

4.終わりに

メタンフェタミンアンフェタミンが軍隊で乱用されたのはその望ましい効果によるものだった。集中力を長時間維持させ、気分は高揚し、食事を必要としなくなり、眠らなくても精強に戦える…そのような夢のような効果が覚醒剤にはあった。もちろんその副作用は非常に重い。脳は萎縮し、死に至ることさえある。しかし、戦争中の兵士たちにとって、覚醒剤による「未来の死」より、「10分後の敵弾」のが怖かったのだろう。今回はドイツを取り上げたが、これらの覚醒剤はドイツ以外でもアメリカ、ソ連、日本…等でも大々的に使用されており、その後遺症は深い傷を残した。我々が第二次世界大戦を語るとき、軽視されがちな覚醒剤であるが、たまには思い出すのもいいだろう。風化させてはならない戦争の要素の一つだからである。戦争に覚醒剤がつきものなのは今も変わらない。アフリカの内戦地域では今も覚醒剤は軍公式で大量に使用されている。我々人類が覚醒剤を根絶できるのは戦争を根絶できたときなのかもしれない。それがいつくるかは誰もわからない…。

 

おまけ:覚醒剤の作用と副作用

覚せい剤アンフェタミン類)の作用機序は, シナプス前部でのモノアミン類(ドパミンノルアドレナリン)の放出を促進し、再取り込みを抑制することによって、神経伝達物質であるドパミンやノルエピネフリンの脳内シナプス間隙における濃度を上昇させ、その結果中枢神経系を興奮させると考えられている。

覚醒剤を使用すると、目が眩むような強烈な快感を体験し、やがてそれが、多幸感や高揚した気分に変わってゆく。摂取してから30分位は強烈な興奮と快感を覚えますが、その後は3時間から12時間位にわたって覚醒状態が持続し、その間、多くの場合、使用者は眠ることも物を食べることもできない(食べても吐いてしまう)。覚醒剤使用者は、多くの場合は、中枢神経興奮作用により一時的には気分が高揚し、自信が増し、疲労感がとれるように感じるが、効果が切れると激しい抑うつ、疲労倦怠感、焦燥感に襲われる。

また連用により、脳のドパミンニューロンが賦活され、幻覚や妄想などの精神病症状が出現します。覚醒剤は乱用によって攻撃的、暴力的傾向を起こしやすく、依存性が強く、長期の後遺症を残しやすいために、もっとも危険な薬物とされている。ツイッターで砂鉄と名乗るアルファが覚醒剤は危険ではないと述べたが大嘘で、多くは脳に回復不可能な損傷をもたらすのである。みんなは絶対にやめよう。覚醒剤と類似の効果をもたらす物質にリタリンエフェドリンがあるが、これらも脳に損傷をもたらす。

 

 

*1:覚醒剤とはドイツ語のWeckamin=覚醒アミンから来ているとされる

*2:メタンフェタミン覚醒剤の親玉と言っていい。現在でも「クリスタルメス」などと称されて各国で非合法に大量に乱用されている。日本において報道される覚醒剤の殆どはこのメタンフェタミンである。

「青学サンバゲーム」の民俗学的考察

 

1.はじめに

みなさんは今年の初夏にネットを騒がせたこの動画をご存知だろうか。

この動画に対するネットの反応はまさしく「炎上」というに等しかった。瞬く間に青山学院大学(青学)とこのサンバゲーム(通称「青学サンバ」)、そしてそれを踊ったAmiなるサークルが特定され、大学側が見解を述べる事態にまで発展した。

しかし、私はこの騒動を見ていて不満を持った。誰もこの「青学サンバ」に対する真面目な論考をしていないのである。彼らは青学に入れるだけの知能がある。ただ狂信的に踊り狂ったわけがない。何か理由があって、意図があって踊ったのだと考えるのが自然であり、むしろ必然ではないか。この記事では青学サンバに対する一つの考察を提供したい。

 

 2.動画より理解できること

このサンバゲームの動画に対して理解できることは2つである。

 

a)なにか規則があり、それに則って踊り狂うこと。

b)SEIYU店内で、しかも営業時間内に行っていること

 

まずaに対しては明確に何らかのルールがあることが読み取れる。すなわちこの踊りはただ闇雲に踊り食っているわけではなく、何か絶対の基準となるものが存在し、全員はそれに従って踊っているのである。加えてメンバーは赤色の服3人・黒色2人・白色1人であり、男女比は3:3で計6名である。この人数や男女比、服装の色も考慮する必要があるのは、先に上げたように彼らが明確なルールに従って踊っている以上当然であろう。

bに対してわかることは少ない。SEIYUは低価格路線のスーパーであり、ありふれたものだ。そして営業時間内に客が通行する通路で踊っている。動画からわかることはこの程度にすぎない。

 

以上わかったことを元に考察を進め、彼らの神聖な青学サンバの神秘に一歩でも近づくよう努力したい。

 

3.青学サンバの考察I─踊ることの意味

青学サンバは何か明確な規則に厳密に基づいて踊る行為だというのは2で述べたとおりだが、それを更に進めていく。

まず「踊る」ことは何を意味するのだろうか。柳田國男はこう述べている

祭に音楽を奏し又おもしろい舞を舞ふのは、大昔からの事であつた。その為には臨時に莚を敷き幕を張りめぐらし、又は社殿の傍に常設の舞台を建て、或は祭に奉仕する人の住宅を清めて使ふこともあるが、それは皆何処にその日の神を御迎へ申すかによつてきまることであつた。たゞその舞台を人が舁き、又は車を附けて曳きあるくやうになつたのは、昼間の御幸みゆきの路を賑はしくしようとした為で、是に氏子の者が出演するやうになつたのと共に、新らしい出来事と云つてよい。つまりはぢつとして神を御迎へ申す、小さな祭の方が古いのである。

柳田國男著『祭の様々』

ここで注目して欲しいのは祭で踊るのは昔からのことであり、神様をお迎えする場所で踊ることで、神様を歓迎していたということである。また、祭に付き物の「山車」などは実は後に出来たもので、少人数でごく簡素に踊ることこそが祭の原点だったということがわかる。ただし、柳田は「神様を歓迎」と一つに絞っているが、正確には神様を歓迎するような、つまり霊的な、呪術的な側面が踊りには備わっていたということである。踊りの呪術的な側面は世界共通であり、ネイティブ・アメリカンのゴーストダン*1も例として上げることができるだろう。

また、踊りといえば「歌垣(うたがき)」がある。これは日本古来の農民の間で行われてきた儀式的な集会である。地域差や解釈の違いはあるが、多くの場合、農民たちはこの場で歌い、踊り、食べ、飲み、アニミズム的な神様へ信仰を捧げ、豊穣を祈った。これらはもともといわゆる「収穫の儀式」「収穫の祈り」に密接に関連付けられており、これから派生して子宝祈願や男女の逢引の場にもなった。*2そして彼らは当時お酒を飲んでいたそうだが、これも古来からの儀式との関係性を伺わせる。古来から呪術的なものと酒による酩酊は切っても切れないものであったのだ。

なぜ踊ることがこのような呪術的な側面を持つかといえば、多くの学者が様々な解釈を述べているが、一心不乱に踊ることで一種のトランス状態に到達し─ランナーズ・ハイのようなものだ─それが霊的経験と結びついたのではないかと言われている。それが段々と儀礼化・洗練化されて(専門用語ではこれを「風流化」と呼ぶ)今の華やかなダンスに至るわけである。

さて、ここで青学サンバをもう一度見てみよう。男女が同数(3:3)で赤・黒・白の服で踊っている。この踊りが豊穣の儀式(作物の意味でも子宝的意味でも)なのは明白だ。*3が同数なのもそれを裏付けている。彼らはある程度儀礼化(ルール決め)された踊りを踊ることでアニミズム的神に祈りを捧げ豊穣を祈っているのである。

また、3:3にも意味がある。カバラ数秘術では3は子供を指す数字である。好奇心・行動力を示すとともに、軽率な行動・浅はかな考えも表す。そして3+3=6は美を示す数字だ。つまり子供のような好奇心と行動を踊りとその人数によって示すと共に、それを合わせることで6となり、美的なものまで昇華させているのである。この場合の好奇心や行動は豊穣の意味から見ても、男女同数な点から見てもセックスへ繋がることは明白であり、彼ら・彼女らは─もし神がいるとするならば─子宝に恵まれることは間違いない。

服装についても面白いことがわかる。赤3、黒2、白1であるが、カバラ数秘術において1は父、2は母なのである。つまりこの3:2:1という人数比自体が一種の家庭(父1人・母2人・子3人)を示している。母が2人?と疑問に思うかもしれないが古代社会においては一夫多妻制は広く見られたもので、彼らの踊りが呪術的な側面を重視した古代的なものである以上、ここまで配慮していたのだと思われる。彼らはサークルに属していたそうだが、サークルも部長が部員を指揮する一種の父系家族制度的なものであって、そうしたサークルという擬似家族で更に擬似的な集団(3:2:1)を作り、豊穣の踊りをするのは、よほど子宝を望んでいたのがわかる。なぜそこまで子宝を望んでいたのかはわからないが、とにかく彼らの豊穣への情熱は誰が見ても伝わってくるだろう。

 

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(参考画像:現在も残る豊穣祈願の踊り。ガーナにて)

ここまでを約言すれば踊りの持つ呪術的な側面を、彼らは豊穣へ振り向け、一種の擬似家族を形作り、カバラ数秘術の原理も利用し、酒と踊りでトランス状態に達することで、その祈りの強度を極度にさせているのである。彼らの踊りはおそらくサークル内で儀礼化・儀式化された豊穣の踊りであるのだろうが、ここまで数々の理論を取り入れて、洗練化された踊りはなかなか珍しい。

次の章ではなぜSEIYUで踊りを踊ったのかを考察したい。

 

4.青学サンバの考察II─SEIYUの意味

SEIYUで踊ったことに対して私はいくつかの仮説を立てているが、どれも決定打に乏しい。その中でもある程度受け入れられそうなものをここで取り上げたい。それは「SEIYU=豊穣の象徴であるとともに到達点である」という説だ。

先に引用した柳田の論のように、呪術的な側面を持つ踊りは神様をお迎えする場所で行った。つまりSEIYUのあの場所に神様をお迎えするような要素があった、または神様がいると考えられていたということになる。SEIYUはスーパーであり、多くの食品に溢れている。動画を見る限り精肉コーナーの前の通路で行ったとみられる。精肉コーナーには多数の肉が陳列されている…。

SEIYUは食品に満ち溢れた豊穣の象徴ではないか。SEIYUに行けば色とりどりの野菜や様々な魚や肉が置いてある。まさしく資本主義の極地であり食の豊かさの象徴だ。彼らはSEIYUを一種の霊場とみなして、豊穣の神様がいるところに見立てたのかもしれない。

また、精肉コーナーというのも意味がある。古来より儀式では「生け贄」が必要だった。旧約聖書のカインとアベルもそうだ。神には捧げ物をしなければならぬ。彼らは精肉コーナーで踊ることで、精肉コーナー全体にある大量の肉を神に捧げたのかもしれない。お墓にお酒や花を供えるように、現実で消費されていなくとも、神や霊は受け取ってくれているというのが世界共通の概念だ。イデア論や形而上学的な話のようだが、我々は普段お墓に故人が好きだったお酒を供えるなどの行為でかかる概念を実践しているのだ。彼らは精肉コーナー全体の肉を供物としたのであり、繰り返しになるがよほど強烈に豊穣(子宝)を祈っていたのがわかる。サークルで代々受け継がれている踊りらしいので、もしかしたらあのSEIYUの精肉コーナーも代々青学サンバという名の呪術的な踊りで使われる「霊場」なのかもしれない。

 

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(参考画像:SEIYUの精肉コーナー。様々な「生け贄」が並ぶ)

とにかく、私はこのようにSEIYUの意味を考えた。だが「スーパーなら他にもある。なぜSEIYUなのか?」という疑問に答えられはしない。これは本人たち、あるいはサークルOBに直接聞いてみるしかないと思われる。彼らの中では何か明白な、それでいて秩序だった規則があり、それがSEIYUにつながっているのだろう。

 

5.まとめ

今まで述べてきたように青学サンバとは高度に洗練・儀礼化された豊穣の祈りの「儀式」である。彼らは様々な要素を駆使し、SEIYUで踊ることでアニミズム的神に祈りを捧げているのだろう。彼らに祈り通りの、子宝が現れんことを。

彼らの世界観は「はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの のりのみちをば しる人ぞしる」*4のままであり、それ自体は悪いことではない。しかし、実際問題として精肉コーナーで踊られるのは店としても客としても厄介だ。

私は青学サンバは民俗学的に興味深いものであり、Amiというサークル含めて保護すべきだと考えている。彼らの踊りは伝統があるのだろうし、そこに豊穣の祈りがある。具体的にどうすればいい、とはいえないが、彼らの誇りある青学サンバという子宝祈願の文化は残っていてほしい。もう今では踊ることが祈りであることをみんな忘れてしまった。民俗学をやる学生が知るだけだ。そんな中、あのような踊りで祈りを現役で行う集団がいることは、しかも日本にいることは奇跡なのだ。どこか彼ら専用の霊場─青学サンバ専用のSEIYU─などができればいいのだが…。

そして、私は青学サンバについてもっと本格的に研究してみたい。もし青学に通う学生がいたらぜひ私に青学サンバについて教えを請いたい。かかる民俗学的事象は軽く扱ってはならない。そこには深い意味と伝統、そして豊穣の祈りが込められているのだから。教えてくれる方はツイッター(@teslamk2t)まで連絡をお願いします。(請願)

 

ザポロージェ人といえば、実に素晴らしいものでな! 立ちあがってシャンと身体を伸ばすと、雄々しい口髭を捻って、靴の踵鉄の音も勇ましく踊りだしたものだ!そのまた踊り方といつたら、両脚がまるで、女の手に廻される紡錘そっくりで、旋風のような速さでバンドゥーラの絃を掻き鳴らすかと思うと、直ぐさまその手を腰にあてがって、しゃがみ、踊りに移る、歌をうたう――心もそぞろに浮き立つばかりだ……ところが今ではもう時勢が変って、そうしたザポロージェ人の姿も滅多には見られなくなった……

ニコライ・ゴーゴリ著『ディカーニカ近郷夜話 紛失した国書』

 

ああ、青学サンバよ、ザポーロジェ人のように消えゆくことなかれ!

参考文献

柳田國男著『祭の様々』

・エルンスト・ミュラー著『ゾーハル―カバラーの聖典

日本学術会議文化人類学民俗学研究連絡委員会著『舞踊と身体表現』

・青学サンバの動画(URL前掲)

 

 

 

最後に一言

 

これはネタ記事です(一応言っとかないと誤解されそうなので…)ただし考察自体は文献読んでまじめにしてあります…

 

 

 

*1:精霊に祈りを捧げれば不死の肉体を手に入れ白人を駆逐できるとする信仰。しばしば名前の通りダンス=踊りによって祈りが捧げられた

*2:作物の豊穣と子宝が同様に結び付けられるのは世界各地にある概念で、男根崇拝=ファルスという形でしばしば現れる

*3:英語の豊穣=fertilityはラテン語由来だが、この言葉は土地の肥沃さと子宝、どちらも示す言葉なのである

*4:一遍聖絵