VKsturm’s blog

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なぜユダヤ教・イスラム教で豚肉は禁止されるのか─ハリスの説から

 1.はじめに

世界各国の宗教には色々なタブーがある。例えばユダヤ教イスラム教では豚が禁じられた食材となっている。このようなタブーについてインターネット上では「豚は寄生虫繊毛虫)がいるので食べてはならないと定められた」という言説が見られる。一方人類学者のマーヴィン・ハリスは全く別の理由で食べないのだとその著書で述べている。ここではハリスの意見を簡単に紹介し、豚のタブーについて説明していきたい。

 

2.豚について

豚は飼うのに実に合理的な生き物である。豚は餌に含まれるエネルギーの35%を肉に変えることができる。一方羊は13%、牛に至ってはわずか6.5%である。雌牛は一頭の仔牛を産むのに九ヶ月の妊娠期間が必要であり、また仔牛は400ポンド(180kg)に達するのに四ヶ月かかる、つまり合計13ヶ月かかる。一方雌豚は受胎後四ヶ月で8匹以上の子豚を産め、その後六ヶ月間で400ポンドを超える─つまり10ヶ月間で達することが可能である。明らかに豚というものは人間のために肉を生産する存在なのである。

 

3.宗教的戒律と豚

この豚に対して、聖書とコーランではどのような扱いになっているだろうか。紹介すると

「その肉(豚肉)をお前たちは食べてはならない。またその死体に触れてはならない。それらはお前たちにとって不浄のものである。(レビ記11・24)」

「次のものについては神がお前たちに禁じた。すなわち、豚の死体、血、肉。(コーラン2・168)」

となっている。

豚のタブーについて、いくつか説明を試みた者たちがいた。例えば11世紀のエジプトイスラム王朝サラディン王に仕えた宮廷医ラビ・モーゼス・マイモニデスは「律法が豚肉を禁じている第一の理由は、その習性と食べるものがきたなく不潔であるという豚の生態にある」と説明した。彼に言わせれば、豚を飼うことを許可すればカイロの街はヨーロッパの街のように不潔になるというのである。なぜなら、豚の口はその糞とおなじくらいきたないからだと。しかし、それは一面的な説明にすぎない。豚が人糞を食らうのは、悪しき本性からではなく他に食べるのものがないからだ。*1豚は本来穀物やナッツなどの種実類を好むし、ヨーロッパでは村の近くの森に豚を放って実際そのように飼育していた。同様に、豚が汚いところで転げ回るのも身体を涼しく保つためで、本当は尿や糞で汚れた泥より、きれいで清潔な場所のほうが好きなのだ。

また、豚だけが糞を食べるのではない。例えば鶏やヤギも糞を食べることがある。犬も糞を食べることが知られている。だが神は犬の肉も、犬に触れることも禁じなかった。

近代に入ると豚肉のタブーを「寄生虫」に結びつける考え方が現れ始めた。1859年、寄生虫繊毛虫と生の豚肉の関係が医学的に実証された。この発見は神学者や科学者を熱狂させることになった。合理的に科学的に豚のタブーを説明できたからだ。

ハリスはこの豚肉が禁止されているのは寄生虫理論では豚のタブーは説明できないとする。なぜなら、豚肉だけが特別に食べるのが危険な食材ではないのだ。例えば、生煮えの牛肉は、サナダムシをうつす危険がある。サナダムシは人間の消化器の中で非常に大型になり、ひどい貧血を起こさせ、免疫力を低下させる。牛、ヤギ、羊は炭疽病を伝染する。これは非常に恐ろしい病気で、1881年にパストゥールがワクチンを開発するまで、世界中で猛威を奮った。豚の繊毛虫の場合、感染した場合でも大多数は発病しないが、炭疽病の場合、初めにできものができ、きわめて短時間で死んでしまう。

もし、豚肉のタブーを繊毛虫に求めるならば、同様に他の動物についてもタブーを作らねければならないはずだ。生煮えの豚肉は危険というならば、それは牛や羊、ヤギにも毛刻しなければならない。だが神はこれらを禁止しなかった。

 

4.反芻動物と豚

ここでもう一度聖書に立ち返ってみよう。レビ記ではこうある。

「動物のうち、すべて蹄のわかれた、偶蹄のもの、そして反芻するもの、それは食べることができる(レビ記11・1)」

まず神はなぜ食用可能な動物は反芻動物であってほしかったのかを考える必要がある。古代イスラエルで飼われていた動物の中には三種類の反芻動物がいた。牛、羊、ヤギである。これらは古代の中東ではもっとも重要な食料生産動物であった。牛、羊、ヤギは反芻することができる。つまり高セルロース質食物の餌─ワラ、干し草、木の葉─など人間が食べられないものを食べることができる。人間と動物の間で食べ物を取り合わなくて済む。人間はどんなによく煮ても、高セルロース質食物は食べることができないのである。これらの動物は人間が食べないものを食べると同時に、糞は肥料になるし、鋤を引く労働力にもなった。これによって更に農業の効率は高まった。まさにWin-Winの関係であった。

ここで私は最初に豚は効率の良い太り方をする合理的な動物だと言ったが、豚は小麦やトウモロコシ、じゃがいも、大豆その他人間が食べられる低セルロース質の食物で育て場合のみ、奇跡的な体重増加を示すのである。もし、牛などと同じようにワラや干し草しか与えられなかったら豚は体重を減らしてしまうのである。

豚は雑食動物だが反芻動物ではない。ヨーロッパにおいては広大な森のなかで豚を放し飼いにできたが、中東ではそうはいかなかった。豚を育てる場合は自らの食事を差し出すしかなかった。また、中東で豚が禁じられたのはもう一つの理由があった。豚は中東の気候にあってないのである。豚の祖先は水の豊かな谷間や川岸の木陰を住処としていた。豚の体温調節機能は中東の熱くて、日差しであぶられるような環境には全く適していない。熱帯種の牛、羊、ヤギは水なしで長期間の間生きられ、発汗作用によって余分な熱を放出することも、明るい色の短い毛の生えた外皮によって身を守ることができた。*2豚は汗をかけない。汗腺を持っていないからである。豚は涼しくいるためには泥の中で転げ回り、冷たい地面からの伝導作用で熱を発散するしかない。体温が30度を超えると、きれいな泥たまりを取り上げられた豚は、熱にやられるのを回避しようと自分の糞便や尿の中で転げ回り始める。豚は身体が大きくなるほど、熱に耐えられなくなる。

したがって、中東で豚を飼うのは反芻動物を飼う以上にコストがかかることであった。豚を飼うには人工的に影を作ったり、転げ回る用の泥たまりを用意してやらねばならなかった。またその餌は人間自身が食べられる穀物その他の植物性食物を与えてやらばならなかった。

 

5.中東で豚を飼うベネフィット

こうして考えてみると、豚は反芻動物に比べてベネフィットが少ない。豚は農耕に使えず(鋤が引けない)、その毛は繊維や布にむかず、乳用にも適さない。「豚は、肉以外ほとんど役立たない唯一の大型家畜である」*3

中東のような環境では豚を飼うことは難しい。どんなに食べたいと願ってもほとんど食べられなかったはずだ。そのような歴史的経緯から豚を慣れ親しまない食べ物として忌み嫌う伝統が作られ、それが宗教的タブーにも取り入れられたとハリスは考える。宗教的タブーは新たなタブーを創るのではなく、元から民族にあったタブーを取り入れているのだ。

しかし、中東で全く豚が飼われていなかったとするのも間違いである。ヨルダンのイェリコ、イラクのジャルモからは飼育された豚の骨が出土している。聖書にも豚が登場する。しかし、当初から飼われていた豚の数は少なかったとハリスは言う。しかもその規模は(おそらく先に述べた飼育の難しさから)どんどん縮小していったと考えられている。

カールトン・クーンによれば、豚飼育の全般的衰退は森の減少だとした。新石器時代のはじめには、豚はカシとブナの森で餌を漁って生きられた。それらの森は食べ物だけではなく日陰をも提供してくれる場所だった。しかし人口密度が増えるに従って、農耕地が拡大し、森は農耕地として伐採され、その結果豚の住処が奪われた。例えばアナトリアでは紀元前5000年から最近までに森林は全面積の70%から13%に減少したという。一方ヨーロッパでは深い森は近世に入るまで保たれたため、豚を森で飼育することができた。

豚はヨーロッパでも中東でも肉のためだけに生産された。農耕には役立たないため、どうしても欲しいということはなくなる。それならば、森林地域の減少と共に豚を飼うのが難しくなると─森林破壊、土地の侵食、砂漠化─豚は無用どころか、触るのも、目にするのも汚らわしい動物、最低最悪な動物となった。

豚のタブーがユダヤ教徒だけではなく、中東の異なる文化(イスラム教)で行われていることがこの説明を裏付ける。中東では豚を飼育するベネフィットは少ないが、牛や羊やヤギを飼育するベネフィットがあった。そのために、イスラム教のタブー成立の前に豚を忌避する傾向が既にあったのだ。豚のタブーは中東においては経済学的に正しい決定を示すのである。もし豚を意地でも中東で飼育していたら、得られる肉の量や農耕としての労働力は減少し、今よりも発展が望めなかっただろう。イスラム教のような厳格な宗教でも、神の定めた戒律をただ振りかざすだけでは豚を禁止することができない。豚を経済学的に考えて飼育していなかったからこそ、宗教的戒律を受け入れることができたのだ。宗教的タブーは実は経済学的ベネフィットに基いており、だからこそ受け入れることも可能なのである。

 

6.終わりに

ハリスは豚のタブーについて生産のコスト・ベネフィットから説明を試みている。宗教的タブーは闇雲に設定されたのではなく、その地に生きる者にとっては合理的なタブーでもあったのだ。私がここまで述べてきた内容は、ハリスの『食と文化の謎』からの引用であり、興味があったらぜひ全文を読んでもらいたい。豚のタブー以外にもインドにおける牛のタブーも扱っており、大変面白い内容である。文庫本で入手も容易なのでぜひどうぞ。

 

参考文献

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

 

 

 

*1:当時、豚に人糞を食わせて飼育する方法があったのである

*2:熱を貯める構造の多量の毛じゃ寒冷地種の動物の特徴である

*3:マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

「異世界転生モノ」についてのエッセイ─19世紀植民地ロマンスとの対比から

作品のアニメ化などで話題になっているサイト、『小説家になろう』では多くの「異世界転生モノ」が見られる。これらのテンプレートは、「異世界転生して現代知識で『チート』をし、異世界を発展させるとともに現地の少女たちと恋愛をする」といった具合だ。

私は、この「異世界でチートをする」という構造は現実の植民地主義の比喩であると私は考えている。文明の劣ると考えられたアフリカその他で自国の文化や文明を伝えて、「啓蒙」する。この図式は実に爽快である。何と言っても自国の優位性が明白であり、愛国心─愛する自国の優位性から来る圧倒的満足も含め─を満たせるのだ。そして現地の少女─彼ら植民地支配を行う側からしたら絶対的に弱者である─を手篭めにする。まさしく植民地政策真っ只中の西洋諸国の夢やロマンス願望を煮詰めたものであるのだ。

 

日本は朝鮮半島を植民地支配したが、「西洋の植民地の本場」であるアフリカ大陸ではそれは叶わなかった。まるで(果たせなかったアフリカ大陸での)植民地願望を異世界で充足するといった具合だが、とにかく異世界でチートものはこのような構造を感じてしまう。

  

ところで、このような植民地支配と関連する恋愛ものは英語圏では「colonial romance(植民地ロマンス)」と言われて一定の需要がある。文字通り植民地での恋愛を描くものであり、現地人と(あるいは現地人同士が)恋愛するものである。この植民地ロマンスの日本版が異世界でチートものなのだ、という直接的な考えは宜しくない。なぜなら欧米の植民地ロマンスは当初から反キリスト的要素を持っていたからだ。どういうことかというと、かつてキリスト教規範が強かった時代、恋愛自体が社会ではタブー化されていた。恋愛結婚の誕生はごく浅い歴史なのである。恋愛結婚は社会から禁止されたタブーであり、実際好まれなかった。このような閉塞感の中、植民地というキリスト教規範が完全には到達されていない地を理想化し、そこで恋愛させるという小説が流行ったのだ。

(19世紀)恋愛は教会と結婚の制度に対立するものであった。つまり、反社会的なものであった。反社会的なものであるために、恋人たちはあるいは逃亡を余儀なくされ、あるいは避難所を求める。*1

反社会的な恋愛を唯一満たせるのが植民地であった。植民地で現地の男女と恋愛し、キリスト教規範に縛られずに自由にロマンスに満ちた生活が送れる。そこにタブーなどはない。このような結果として、植民地ロマンス小説は大流行したのだった。

 

さて、日本ではどうだろうか。確かに日本でも恋愛結婚は稀だったが、キリスト教規範という宗教的タブーがあった西洋よりもそのタブーの度合いは低かったのではないか。結論を先に言うと、日本で流行りの異世界転生モノは「植民地での恋愛」を描く点では古くからある植民地ロマンスと同じであるが、反社会的・反教会的要素を持ち合わせていないのである。どこか背徳的要素があったかつての植民地ロマンスと違い、異世界転生ものでは実に恋愛に積極的である。

 

現代における異世界転生はタブーなき植民地ロマンスと捉えることができる。植民地ロマンスの要であったタブー要素は異世界転生には見当たらない。21世紀という、植民地ロマンス全盛期から数百年経った現在ではもはや背徳感や反社会的要素という要は不要どころか害悪なのかもしれない。恋愛結婚というのはごく最近生まれた概念だが、もはや当たり前のように我々の生活に根付いている。もはや恋愛結婚という概念自体が、そこまで持て囃されるものではなく、「当たり前」であり、殊更それを大袈裟に騒いだり作品のテーマに据える必要が無いのであろう。

 

ここまでをまとめると、異世界転生で「異世界」で「チート行為」をしたり現地で恋愛するのは植民地ロマンスと同様(この場合「異世界」が「植民地」になる)だが、その要のタブー要素がないのである。それは21世紀という恋愛結婚の幻想が支配的になった現代では必然なのかもしれない。異世界転生モノの話題を聞くたびに私はこのような植民地との構造や植民地ロマンスを思い出してしまう。皆さんもたまには世界転生モノを、植民地ロマンスの懐かしい時代を創造しながら読むと面白いかもしれない。古今東西、人類は異世界(植民地)でチート行為をし自らの愛国心を満足させ、女性を手篭めにし、更には(西洋においては)恋愛という反社会的行為への背徳感を味わったものなのだから。

 

※作品を晒し上げる意図はないため、具体的作品名を出さずに語りましたが、そのせいで分かりにくくなっており、申し訳ないです。

 

*1:柳原孝敦著『恋愛、植民地、小説 : 十九世紀イスパノアメリカ恋愛小説』

イギリス料理はなぜ「まずい」のか─産業革命と二度の大戦から

 

このブログ記事は下記のエントリーの補足ですので、ぜひ下記のエントリーもお読みください

peoplesstorm.hatenablog.com

1.はじめに

イギリス料理=まずいというステレオタイプは日本において根強く有る。ツイッターmixi2ちゃんねる…あらゆるところで毎日のようにネタにされる。しかしなぜイギリス料理はまずいのだろうか。ここではイギリス料理がなぜまずいと言われるようになったかを簡単に論及していきたい。

 

2.産業革命以前の料理

14世紀に書かれたイギリス料理のレシピ集『The Forme of Cury』を見れば数多くの料理がいきいきと書かれているのに気づくはずだ。当時まだ貴重品だった砂糖も1/3の料理に使われるなど非常に豪華なメニューが載っている。加えてナツメグクローブなどの香辛料もふんだんに使われているなど「先進的」なレシピも多数あった。また、イギリスには中世以前から続く豊かな食文化があった。800年頃に開発されたブラック・プディングは血を入れたソーセージで独特の味わいがある。13世紀年頃のパスティは牛肉や玉ねぎを入れたいわばパイで、具材から出るエキスの香ばしさとサクサクとした生地を楽しめる。スコッティーケーキはケーキという名前に反して、重量感のあるパンだが、中に色々な具材を入れることで多様な味を生み出している。シチューはどの国にも有る伝統料だがイギリスにも存在し、うさぎの肉を使い香辛料で臭みを消したスパイシーな料理方法が残されている。

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(伝統的パスティ)

 

このようにイギリス料理は決してネットで吹聴されるような「ただ茹でただけの野菜」を出すような貧相な食文化ではなく、気候故に取れる野菜は少ないものの、現地で入手できる様々な食材と輸入される希少な香辛料などを使って豊かな食文化を作り出していたのがわかる。

この食文化の拡充は18世紀まで順調に続く。17世紀の料理本『Cooks Guide』ではフランス料理の影響も垣間見え、フランス料理の命とも言える「ソース」のレシピをイギリス流にアレンジしたものが乗っている。18世紀になってもジェームス・ウッドフォードの『Diary of a Country Parson 』によれば、チキン煮や甘いケーキにブラン・マンジェ、アーティチョークを大いに食べ、加えて食後に果物を食べたという旨が乗っている。つまり確実にここまではイギリス料理は順調に発展を遂げていたことがわかる。この時期、伝統的料理にフランスなどの大陸に影響を受けた料理まで様々な料理が存在した。もちろん、庶民は新しい料理(特に香辛料を使ったものなど)は気軽に楽しめなかっただろう。彼らは身近にある素材で作れる中世以来の伝統的料理が主だったのは忘れてはならない。いくつかの旅行記に「イギリス料理はまずかった」という記載*1があるにしろ、この時点では順調に発達してしてきていたのだ。庶民の伝統的料理にも胡椒が使われるなどささやかな変化があっただろう。しかしこの図式が崩れるのが産業革命期、そうヴィクトリア朝である。

 

3.ヴィクトリア朝による料理の衰退

産業革命期はイギリス料理のその後を決定づけた。一体何が起こったのだろうか?

まず産業革命期と同時に起きたエンクロージャー(囲い込み運動)*2である。この動きは大きく第一次と第二次に分けられる。特に第二次エンクロージャーは食糧増産のために行われたが、この結果イギリスの穀物生産量は増大した。一方農民は農地から追い払われて都市生活者となりこれらが工場労働者の母体となった。かつて農民は農地と隣接してある森林を使って様々な生産活動を行えた。例えばヨーロッパ全域で広く行われた共有地である森林に豚を放して豚に落ちているどんぐりなどを食わせて肥え太らせ、冬前に解体することで冬季の食料にするなどである。また、森林では野鳥などを捕まえることもできた。加えて農村に流れる川、または海からは魚介類を得ることもできただろう。エンクロージャーによって無理やり都市部に追い払われた農民はかつてのように無料で畜肉を手に入れるのが不可能になった。このため僅かな金銭しか得られない下層市民達は肉を食べるのは非常に稀な機会となってしまった。

産業革命はこのような農村から出てきた農民を工場労働者として働くことでなりたっていたが、前述したようにこのような市民は僅かな銭しか得られなかった。彼らが買えるのは低価格なじゃがいも、ストリートセラーが売る低価格の出し物であって、ここで伝統的な農村(=森林からの恵みを得られる)と密接して成り立っていた料理は崩壊した。例えばブラック・プディングなどはかつては自家製で各村で作られていたが、ヴィクトリア朝期には購入するしかなくなり、次第に市民は口にする機会が減ったことだろう。また、ヴィクトリア朝期には生きていくためには家庭全員で働く必要があった。彼らは十分な初等教育も受けぬまま、また今で言う「家庭科の知識」=料理の知識を得られぬまま育っていった。加えて当時薪の枯渇から燃料費は増大の一歩となっていた。このために調理方法も凝った方法はできずに、沸かした湯で短時間じゃがいもを茹でる、などのシンプルな料理方法にならざるを得なかった。このような結果として、産業革命の到来とともに中世以来の豊かなイギリス食文化は崩壊を迎えたのであった。

ここまでを約言するとエンクロージャーによって農村を負われた農民は都市の工場労働者となった。彼らは幼いうちから働く必要があったたために充分な料理の教養を得られなかった。加えて森林からの恵みを得られないことによる食糧費の増大は家計を圧迫し食材の品質や品数を低減させ、燃料費の増大は調理方法までシンプルなものにせざるを得なくなった。これらの事情からイギリス料理は我々がステレオタイプで知っているような「ただ茹でる」「ただ焼く」だけとなっていったのである。

このような「茹でるだけ・焼くだけ」の極地がネットで盛んに話題にされるウナギのゼリー寄せである。そもそも魚のゼラチンを利用したゼリー寄せは世界各国にあり、ことさらイギリスにおけるウナギのゼリー寄せだけをネタにするインターネットの動向はどうかと思うのだが、とにかくウナギのゼリー寄せはうなぎをただ茹でただけの料理であった。私見であるが、この料理は「意図的に固まらせた」というよりストリートセラーなどが道端でうなぎを茹でたのを売っている内に、冷えて勝手にうなぎとその煮汁がゼリーのように固まってしまったのが本当の例だと思われる。ストリートセラーが売る「ただ茹でた」「ただ焼いた」ものは他にも有り、牡蠣やじゃがいも、魚介類などを茹でたり焼いたりして売っていた。

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(ウナギのゼリー寄せ)

これらの事情の他にも食材の偽装も食文化の衰退に拍車をかけた。先述したブログに書いてあるように当時のイギリスは食品偽装のオンパレードであり、あらゆる食材が有害な化学物質、あるいは無害だが不衛生的な混ぜものに汚染されていた。これらの食材は低価格だったため、労働者が必然的に頼るようになりこれも料理の味の低下を齎したであろう。

これらのヴィクトリア朝期の食文化衰退は、中流階級までもを襲った。そもそもイギリスの上流階級はフランスなどの料理人を雇って、フランス流の料理を熱心に食べていたが、新興した中流階級も上流階級の真似事として料理人を雇ってその料理を食べるようになった。しかし中流階級が雇える使用人というのは労働者階級の出の貧しい少女や少年であって、今まで述べてきたように彼らは料理の教育を受けてこなかった。彼らが作れる料理というのは労働者階級の料理─ただ茹でる・ただ焼く─だけであって、結果として中流階級も我々から見たら貧しく・美味しくない料理を食べていたことになる。いずれにしろ、農民などの口伝でつたわってきた豊かなイギリス食文化はここで一度の崩壊を迎えることになった。

ここで疑問が浮かぶ方も多いのではないか。「なぜ産業革命をした国でイギリスだけが食文化の崩壊に至ったのでは」と。ここで、『エコノミスト』のコラムではこう答えている。「工業化の前に、彼はイギリスの料理はヨーロッパで最高だったと主張する。しかし、英国が工業化する最初の国であったため、冷蔵庫はまだ発明されていなかった。このように、英国人は現代の食料保存技術の恩恵を受けずに農場を去ることになったのだ。彼らは食材の策源から遠く離れて、缶詰の野菜、保存された肉、根野菜などに頼って、少なくともこれらを魅力的なものにするために揚げたのだった。技術によって新鮮な果物や野菜が利用可能になった後でさえ、英国人の口の中は軽くて脂っこい食事に設定されていた。」*3つまり、イギリスは産業革命が最初の国だったために発達した食料保存技術の恩恵を受けられずに、缶詰の野菜や干し肉などしか手に入れられなかったとしているのである。もし食品保存技術でより安価により質のいい食材がイギリスより遅れて産業革命が到達した各国で手に入ったのならば、その分だけ食文化の崩壊は避けられることになる。加えて、イギリスのように深刻な燃料不足が併発して起こっていなければ更に食文化崩壊の危険性は低くなるのである。「産業化の時代には、世界が持てるものと持たざるものにはっきりと分かれていた。工業化社会では食料供給の問題は解決された」*4というようにイギリスより後発に産業革命を迎えた国は食料供給の問題を解決していたのである。もっとも、個人的にはどの国も産業革命によって農村から切り離されたことで食文化の少なからぬ崩壊は訪れていると思われる。程度問題というわけである。

 

 

4.さらなる苦難─第一次世界大戦第二次世界大戦

ヴィクトリア朝期に食文化の崩壊が始まったとは言え、徐々に労働者の地位や給与が増大してくるに従っていくらかの改善が見られるようになった。それは1845年に初版が刷られ、ベストセラーとして20世紀まで重版が重なった『Modern Cookery for Private Families』などでも伺える(もっともこの本が刷られた当時の労働者にはこのような本を読む技術も、買うお金もなかったのだが。この本が労働者階級に流行りだすのは20世紀にはいってからである。)。

20世紀に入ると、労働者の待遇も改善され、燃料費の増大も落ち着き、また食品保存技術の拡大で新鮮な野菜や肉や魚が簡単に手に入るようになっていった。これに伴って、多くの料理本が発売されるなど食文化の崩壊は一旦歯止めがかかったに見えた。

しかし、そんなイギリスを待っていたのは第一次世界大戦第二次世界大戦であった。第一次世界大戦はドイツの食糧不足が有名だがイギリスも少なくない食糧不足に悩まされた。かつて食卓を彩っていた様々な野菜や果物、肉類などは姿を消して再び粗雑で簡単な料理─さながらヴィクトリア朝期のように─にならざるを得なかった。この苦難は第一次世界大戦終了後の戦間期には改善されるが、すぐに第二次世界大戦がやってくるのである。第二次世界大戦ではバナナ、タマネギ、チョコレートなどの食べ物は市場から消え、乾燥卵、乾燥ジャガイモ、クジラの肉、スパム(缶詰)、snoekと呼ばれる「嫌な」輸入魚などの珍しいものが食卓に現れた。バター、砂糖、卵、小麦粉は欠乏し、パイやケーキなどの英国料理は伝統的なレシピで作ることが難しくなった。結論として、この時期は我が国で太平洋戦争中に代用食材が流行ったように代用品が横行し、著しく料理のクオリティは下がることになった。この時期にイギリスに駐留したアメリカ兵などはイギリス料理はまずいと感じ、本国に帰ってそれを広めたであろう。現代的な「イギリス料理はまずい」というステレオタイプは根源的にはこの時代の料理から来ているのだと予想される。

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(WW2中イギリスで配給された缶詰の中でも最も有名なスパム缶)

結果的に、イギリス料理は何度も崩壊を迎えた。まずはじめにヴィクトリア朝期、次に第一次世界大戦、最後に第二次世界大戦である。この期間にイギリスを訪れた者たちが口にした料理は今の我々が偏見抜きに食べたとしてもまずかったに違いない。このときの風評が今になってもステレオタイプとして保存されているのである。

 

5.イギリス料理の再生と進展─第二次世界大戦終結

第二次世界大戦後、しばらく経つとまた食文化は再生をし始めた。手に入らなかった新鮮な肉や魚、卵などは輸入品を取り入れたこともあって市場に流れ始め、イギリスは再び伝統的な料理を作れるようになった。それだけではない。世界中が流通網で密接に結ばれ、新たなイギリス料理も誕生し始めた。今までは自国で生産できなかった数々の野菜や魚などを利用した新しい料理である。もともと植民地を通じて得ていた多文化主義的料理も更に飛躍を遂げ、多くのバリエーションを生み出している。もはや我々が知る「まずい」とされるイギリス料理は過去のものとなりつつ有る。海外のフォーラムに寄せられたコメントを引用して言えば「(イギリス料理の)ステレオタイプを受け入れないでください。英国に行き、料理を自分で試してみてください。あなたは失望しませんよ」*5ということだ。食文化は常に発展する。逆風によって挫けようと時が経てば、また逆風が止めば、また回復・進展するのである。現代のイギリス料理の美味しさはまさにこれを物語っているのである。

 

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(現代的イギリス料理、「ホワイトハート」。各国から輸入される食材で構成されている。)

6.おわりに

ここではイギリス料理の簡単な歴史となぜ美味しくなくなったかを簡潔に論じた。産業革命期に衰退したイギリス食文化であるが、他国の食文化も産業革命期にどのようになったかは気になるところであるが、私は外国語の才がなく、ドイツ語やフランス語を理解できる方にぜひ研究してほしいところである。日本の食文化も戦後一旦崩壊しているので(そばなどがいい例である)、そこと比べてみるのも興味深いだろう。

この短い論考でぜひイギリス料理への偏見がなくなれば嬉しいところである。料理はアイデンティティであり、民族の誇りである。その誇りやアイデンティティをステレオタイプで雑に語って言いわけがない。みなさんもぜひイギリスに飛んで、または日本の専門料理店で現代の、または伝統的なイギリス料理を味わってみてください。

 

*1:『生活の歴史10 産業革命と民衆』にもそのような文が記載されている

*2:囲い込み運動とは農民の解放農地を取り上げ、そこに柵を立てて=囲い込みし、羊などを放すことである。第一次は地主によって行われたが、第二次は政府や議会主体で行われた。

*3:http://www.economist.com/blogs/freeexchange/2006/12/british_food

*4:フェリペ・フェルナンデス=アルメスト著『食べる人類誌』

*5:Why is British food often perceived to be terrible? - Quora

ヴィクトリア朝庶民の暮らし

 

1.はじめに

一般的に優雅で安泰のイメージが持たれる─『シャーロック・ホームズ』や漫画の『エマ』などがいい例である─ヴィクトリア朝イギリス(19世紀-20世紀初頭)であるが、その実庶民の暮らしは過酷そのものであった。我々はどうしてもメイドや執事、そして貴族などの華やかなイメージを持ってしまうが、その裏腹に食品偽装は横行し、産業革命によって花開いた近代的労働は殺人的領域まで達していた。本稿ではヴィクトリア朝イギリスにおける庶民の暮らしにスポットライトを当て、簡潔に解説していきたい。

 

2.横行した食品偽装について

食品を保護する法律などがなかった当時、食品偽装は大変大規模に行われていた。代表的なのがコーヒーや紅茶などであるが、その他の食品の偽装も盛んであり、高い安全な商品を買えない労働者は常に食品から有害物質を摂取する危険性にさらされていた。

a.コーヒー

コーヒーにおける食品偽装の大半はチコリーによるものであった。我々の身近ではコカ・コーラ社の爽健美茶に含まれている。つまり、コレ自体は有害なものではなかったが、多くの店で「コーヒー」として売られている製品のうち、本物のコーヒー豆は1/2以下であり、また混ぜ者入りの表記はなされていなかった。中には炒った小麦が混入されている場合もあった。

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(チコリー入りのコーヒー)

b.紅茶

イギリスが誇る紅茶にも不正が行われていた。多くがグラファイト、プルシアンブルー色の顔料、ウコン粉、およびチャイナ粘土であって着色されており、これらは人体に有害なものもあった。「着色に使われる物質はしばしば高度に有毒であって、多くの場合にシナ人が使っているものよりもより反対すべきであるし有害である。」*1また、「紅茶」自体が。お茶の葉からできているのではなく身近で手に入る雑草などの場合さえあった。

c.黒砂糖

砂糖は多くの製品がダニ、カビの胞子、石、砂で汚染されていた。穀物の粉が混入されている製品もあり、これはかさ増しのためであった。

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(砂糖中のダニ)

d.野菜

大半の野菜が銅で汚染されていた。「(検査した野菜のうち)27標品は多かれ少なかれ銅が沁み込んでいた」*2。加えてこれらの銅汚染は深刻なものもあった。これらの銅は野菜を新鮮で「いい色」にするために使われていた。

e.砂糖菓子

多くの菓子が有害な金属による無機顔料で着色されていた。多く使われていた色は黄色、ピンクと緋色を含む赤、褐色、紫、青色、および緑色であった。加えて、砂糖のかさ増しのために硫酸カルシウムが広く用いられていた。

f.ビール

ビールの不正の多くは水を加える水増しであった。この処理のために風味がビールから損なわれる事となるが、それを隠すために粗悪な砂糖(粗糖)を混入している例が多かった。この処理でビールの度数は約半分となっていた。

g.たばこ

タバコの不正はタバコ以外の葉を混ぜることで行われていた。また、嗅ぎたばこの場合は鉛を加えている場合もあった。鉛の混入は非常に悪質かつ広範囲で行われており、鉛中毒を発症する場合さえあった。

 

3.過酷な労働環境

労働者階級は閉鎖的で堅固な社会構造のように見えるものの、独自の排他的な世界を構築していた。これらの試みの意味は一部は、現実世界の過酷さからの脱出であり、一部は工業都市の匿名コミュニティを作り出すものだった。究極的には、教育と民主主義の発展、生活水準の向上、労働条件、住居、食べ物や服装によって、労働者階級は社会の参加者になったが、ほとんどの期間[1820 -1920]彼らは政府が高らかに謳う「公的生活」から除外されていた。

a.ストリートセラー

ストリートセラーは路上で何かを売る人たちを指した言葉である。1800年代後半には、おそらく約30,000人のストリートセラーがロンドンにいて、それぞれが手押し車やカートから商品を売っていた。売っているものはカキ、ウナギ、エンドウ豆のスープ、揚げた魚、パイとプリン、ピクルス、ジンジャーブレッド、焼き芋、クランチ、咳止め、アイス、ビール、ココア、ペパーミント水だけでなく、衣類、中古の楽器、本、生きている鳥などでさえあった。破損した金属、ボトル、骨や水切り、壊れたろうそく、シルバースプーンなどの「台所用品」などの廃棄物を購入する業者も存在した。

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(アイスを売るストリートセラー)

 

b.マッドラーク

「Mudlark」と呼ばれる人たちはテムズ川の汚泥の中から物品を回収し、売る仕事である。金品はもちろんそのまま売ることができたし、他の一見役に立たなそうなものも買い取る専門業者が存在した。より良いものを求めるために深いところまで足を踏み入れ溺死する者もいた。また、テムズ川は大変汚染されており、これも危険な職業であった。

 

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(Mudlarkを描いた絵)

c.ワークハウス(救貧院)

救貧法発令から特にそうだが、救貧院は貧困者を収容するいわば「貧困層の収容所」であった。ここでは単純労働を主に収容者に課していたが、それらは花崗石を砕く、糸を紡ぎ続けるなどの「技能もいらない仕事」であって、収容者の自立には繋がらなかった。家族が救貧院に収容された場合、もう一度会う手段はなく、陸の孤島と化していた。職場の食事は、飢えから守るだけの程度のものしか出されなかった。衣服もときどき洗われる程度のものだった。子どもたちは何らかの初頭教育を受ける権利があったが、これはしばしば職場の看守によって無視された。

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(「棺のベッド(coffin bed)」で寝る救貧院の収容者たち。キリスト教圏であるイギリスでこのような棺で眠るという行為は、非キリスト教圏の我々が想像する以上に悪い意味があった。)

d.港湾労働

造船所やロンドンと北東部の新しい港湾では巨大な労働力が必要だったが、需要は予測できなかった。毎朝、数ペンスで1日の作業を行うために集まる男性達が見られた。需要が不規則なため、造船所が注文不足や苦しい天候によってたびたび閉鎖され、慈善団体もなかったため、労働は不規則でこれだけで食べていくのは不可能であった。

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(日雇い労働のために集まる労働者)

e.売春

多くの女性が売春をしていたのは驚くべきことではなかった。ロンドンのスラム街の通りには売春婦が住んでいた。売春を行う少女らは性感染症によって早死していった。大きな病院のいくつかは性病治療専門の病棟があったことからその規模が窺い知れる。しかし当時最も恐ろしい性感染症の梅毒の治療法は知られていなかった。W.T.ステッドが13歳の処女を簡単に路上で買えたという報告をしており、売春がいかに低年齢で、広範に行われていたかを物語っている。

 f.児童労働

ヴィクトリア朝の「一家族」は子沢山であり(その分多くの子供が餓死や病死した。多産多死であったのだ。)、その分「要らない子」も数多く発生した。そんな彼らを「雇用」したのが児童労働であった。Climbing boyと呼ばれた子供の煙突掃除夫は、子供というサイズを活かして煙突に潜り込んだが、煙突から燻る煙で焼死・窒息死することも多くあった。Crossing-sweeperと呼ばれた子供の路上掃除夫は路上に溢れるゴミ、汚物を掃除する仕事であった。子供ゆえの小ささを活かして、鉱山の小さな洞穴でトロッコ引きをする子供らもいた。彼らはこれらの労働で貧しい家計を支えたが、児童故に得られるのは僅かな小銭であり、仕事によっては死亡率が大人の数倍にも登った。

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(業者に子供を売り渡す貧困家庭を描いた図)

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(鉱山でトロッコ引きをする少女)

g.社会保障

労働者が雇用を失ったとき、彼らは友好的な社会、労働組合労働組合、地元の店主、その隣人や友人、牧畜業者、または貧困者の法律に基づく信用組合による補填があり、これは現在「社会保障」と呼ばれている唯一あった 。彼らが老後になったときや虚弱になったときには、先の信用組合は生活費の一部しかカバーしていなかったため、子供の助けがなければ生活していけなかった。政府の社会保障が事実上完全に欠如しているという事実は、今の我々から見たら理解不能であると思われる。

 

この他にも数多くの労働が存在したが、労働規制などない時代故にどれも過酷な労働であることは変わりなかった。搾取労働も盛んであり、女性を「お針子」として長時間拘束し、たった数ペンスの稼ぎだけで労働させるような「搾取工場(sweatshop)」が存在するなど、労働者の身分はいまと比べて著しく低かった。

 

4.ヴィクトリア朝の生活

a.家庭での食事

ヴィクトリア朝は英国の伝統の食事が破壊された時期であった。農村社会から切り離された労働者達は子供の頃から働き、料理を覚える暇など無く、かつ燃料が高騰していたのもあって凝った調理法はできず、単純な「茹でる」「焼く」程度しかできなかった。調味料の値段も高く、必然的に塩味だけの茹でたじゃがいもだけという料理が横行し、英国伝統の食事は労働者たちからは失われた。

b.医療・衛生

医療は19世紀に多く邁進したが、その恩恵に預かれるのは医者にかかることができ、その時間も有る中流階級以上のものだった。下流階級では多くの民間医療が残っており、「バターと蜘蛛を一緒に食べる」などの根拠不明な医療が行われていた。衛生状態も悪くジョン・スノウの調査によれば、下水道が流入したテムズ川下流の企業から水を購入した家庭が、下水道が流入してない上流にある会社の水を買う人より14倍も(コレラによる)死亡率が高いなど、汚染は深刻なレベルであり、一般庶民は食生活のみならずあらゆる面で危険に接していた。加えて1875年の公衆衛生法で衛生状態を改善する試みが試されたが、初期の段階で恩恵を受けれたのはやはり中流階級以上であった。

 

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(当時市販されていたランベス社の水の微生物を描いた図)

この当時の「医療」による麻薬汚染もひどかったが、それについては下記の記事を参照のこと。

peoplesstorm.hatenablog.com

c.余暇

悪いことばかりを述べてきたヴィクトリア朝であるが、そんななかでも庶民に娯楽は存在した。オルガンライダーと呼ばれた人たちはオルガンによって路上で演奏し、チップを貰っていた。このようなストリート・ミュージシャンは数多くおり、写真も残されている。また、鉄道の発達は庶民でも気軽に遠出ができることを意味しており、比較的裕福な労働者は夏の間海に行って遊ぶなどの行為もできた。

しかし、多くの貧しい子供たちはおもちゃや余暇のためのお金はなかった。彼らは路地を除いて遊ぶ場所はなかったし、仕事をしなければならなかった。だけれども、貧しい子供たちは幾つか楽しいことができた。彼らは見つけられたものは何でも活用し、川で遊んだり、樹木やランプポストに登るなどの「お金の掛からない」遊びをしていたと考えられている。

 

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(1870年代に撮影されたストリート・ミュージシャン)

 

5.終わりに

本記事ではヴィクトリア朝の庶民の生活を紹介したが、この他にも多く語らなければならないことがある。それらはまた別の記事で紹介したい。メイドや執事のイメージで語られるヴィクトリア朝であるが、このように庶民にとっては非常に厳しい時代でもあった。その辛い暮らしの一部でも紹介できたらならば幸いである。

この時代にもっと興味があるならば、下記に上げたWebサイトは無料で閲覧できるのでおすすめです。

 

参考文献

ハッサル・アーサー・ヒル『食品の混ぜ物処理』

BBC - Primary History - Victorian Britain

Victorian Occupations: Life and Labor in the Victorian Period

・ヘンリー・メイヒュー『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌〈上〉〈下〉』

*1:ハッサル・アーサー・ヒル『食品の混ぜ物処理』

*2:同上

『けものフレンズ』7話から見る火と調理の神話学

1.はじめに

最近ネットでけものフレンズというアニメが流行っている。私もDアニメストアで視聴しているが、ユーモラスで可愛いキャラ、そのキャラ同士のやりとり、ほのぼのした(それでいてポストアポカリプスを匂わせる)世界観…いいところを上げればキリがないのだが、ともかくハマっている。そして、先日視聴した7話では料理がテーマの回でそ、の中で火の扱いが出てきた。この描写に私は深く感動し、その感動と解説をここに書き記すものである(大袈裟)。

2.火の意味するところ

まず火なるものの意味を考えたい。たいていの文化圏では火の神話が存在する。古代ギリシャにおいて火はプロメテウスが天から盗んだ火である。北米インディアンのダコタ族では最初の火は太陽であり、原始の闇にいた神々が太陽に火をつけたのだという。クック諸島では、マウイ神が地中深くに降りて火を齎した。オーストラリアのある原住民は、神聖なるトーテムの動物のペニスに火が隠されているのを見つけた。

つまり、火とは神や聖なるものからもたらされるものなのである。神話学では「誰にでもその人だけのプロメテウスがいる」という格言があるくらいのように、火とは恩寵的なものである。このように火は一種神聖なものであると同時に、貴重なものである。神話学者であるフレイザーはこのように言う。

ヴィクトリアの原住民族のいくつかは、一つの伝承をもっている。――火はできるだけ用心して使われなければならないが、それはグランピア山脈に住むカラスに独占されていた。そして、カラスは、火を非常に貴重なものに思っていたので、ほかの動物は、それを手に入れることが許されなかった。しかし、ユーロイン・キーアという一羽の小鳥――火の尾をもったミソサザイ――は、カラスがつけ木を振りまわして楽しんでいるのを見て、その一つをくちばしにくわえて逃げた。タラクックという一羽のタカが、ミソサザイからそのつけ木をとりあげ、国のあちこちに火をつけた。その時以来、火は常に、燃えつづけており、その火から、人間はあかりを得ている。*1

このように火は非常に大事なもので、神話には「火を盗む」というストーリーが数多く有る。具体例をあげればヴィクトリアの最南東部にあるギプスランドの神話などであるが、とにかく火は貴重であり、独占するほどの大事なものであり、神から与えられ、そして人の持つ火はその独占する何者からか奪取したものである。加えて、独占していたとされる動物は引用した事例のようにカラス、ミソサザイや雀など鳥類が多いのである。

では7話ではどうだったであろうか。サーバルちゃんは「火ってみつかった?」とかばんちゃんに尋ねる。「教授」と「助手」のミミズクたちは「火はおいそれと渡せない」という。つまりけものフレンズの世界において火は「探す」もの、「授けられるもの」であり、それを独占するのがミミズク=鳥たちなのである。これは神話における火を独占する鳥たちの構図をそのまま描いている。加えて、サーバルちゃんが火を探したように、けものフレンズ世界では火とは「着ける」ものではなく「既に授けられたものを使う」のであり、これは神からもたらされた火を使う(神話における)人類と同様である。彼女らにとって火は神のような存在から齎される神聖なものであり、自ら着火するという概念がないのである。「(彼らにとって)火はとても神聖なものだから、自分で起こすことなど考えられない」*2のである。実際、タスマニアアンダマン諸島ニューギニアの部族は火が消えると近くの部族を訪ねていき火を分けてもらう。神聖な火は起こすものではなく、「授かる」ものなのだ。

そして、動物たちは「神」たる自然から齎された火で調理する。

 多くの動物は自然発火の残り火に集まり、焼けて食べられるようになった種や豆を探す。(…)充分な知能を持つ器用な動物にとっては、焼き尽くされた森林に特有の灰の山や燃え残った倒木の幹は天然のかまどのようなもので、噛み砕けない豆やかたくて噛めない肉を調理できたと思われる。*3

 動物が火を恐れるというのは一種の空想もあるのだが、実際は自然発生した=神からの火を彼らは利用して、食べ物を食べるのに役立てている。

かばんちゃんは火を独占するという意地悪をする鳥(ミミズク)たちから火を奪うのではなく、自ら虫眼鏡を用いて着火することに成功する。

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けものフレンズの中では火を起こしたことでかばんちゃんは神話における神と同一の地位にまで上り詰めた。神話においては、動物が独占する火を奪ったり、神から齎されるものであるが、かばんちゃんは自ら火をおこし、「ヒト」としての器用さを見せると同時に、神話的構造に組み込まれたのである。けものフレンズ世界において、かばんちゃんの立ち位置は神話における神々と同様の位置であるのだ。

まとめると、火とは神話において神々や聖なるものから齎される恩寵であった。そしてそれらはしばしば一部の動物たちに独占されていた。それを奪うことで人類は火を手に入れた。神聖な火を自分で起こすなどフレンズは考えられなかった。一方かばんちゃんは鳥たちが独占する火を奪うのではなく、自ら火をつけることで自分自身が神話構造における神や聖なるものの地位まで上り詰めたのと同時に、火を利用する人間としての叡智を見せつけたのであった。かばんちゃんはけものフレンズの世界では神でもあり人でもある。この構造を丹念に描いたけものフレンズ7話は非常に興味深い回であった。

3.調理の意味するところ

先に述べたように動物も自然発生した火を用いて一種の調理をする。しかし、「煮る」行為をするのは人間だけである。そしてうまく火を自由自在に使いこなせるのも人間だけである。

かばんちゃんはカレーを製作していたが、その材料にじゃがいもも存在した。じゃがいも=デンプンの調理は、調理の本質をよく物語っている。デンプンは有史以来ほとんどの時代で人類のエネルギー源であったが加熱調理しないと効率が悪い。加熱すると、デンプンは糖に分解される。じゃがいもを煮るというデンプンの調理は素朴なものに見えて、人類における叡智たる科学的歴史の一分野を飾っているのである。

火はこのようにヒトの持つ叡智を語るのと同時に、社会的なものである。火は原始的な道具では起こすのが大変なので、一度起こした火は大事に保管される(まさしく聖火のように)。このために人は火の番を交代にするようになった。また火には社会的磁力が有る。火は食事をするために必要なので、必然的に人間は決まった時間に決まった場所で(=火の周りで)食事をするようになった。「(火を獲得する前は)集団で食事をする理由はほとんどなかったと考えていいだろう。集めた食べ物はその場で食べることもできたし、隠しておいて好きなときに食べることもできただろう。」*4火は火の周りに共同体を作り上げる機能を齎した。火=調理を中心に人は生活するのである。火による調理は食べ物の価値を押し上げ、食事は犠牲の共有、親睦、儀式の場となった。Focus(フォーカス、中心)という言葉のもともとの意味は「炉」である。人は炉の周りに集うようになったのだ。

 

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焚き火を囲む人々

peoplesstorm.hatenablog.com

 また、上記に上げた記事で述べる通り、火を用いて発展した食事は食の魔術を生み出した。多くの食べ物は火と結びつき魔術的意味を持った。ガストン・パシュラールはこう回想する。

火は、自然の存在というよりも社会的な存在だ。私は火を食べた。その黄金色を食べ、香りを食べ、ぱちぱちするその音さえも食べていた。(…)火はその人間性を証明する。火はただ焼くだけではなく、ビスケットをさくさくとした食感にし、黄金色にする。火は人間の祝い事に具体的な形を与える。

火と調理は密接に結びついている。 火をうまく扱えるのは人間だけである。調理という集団で行う社会活動は人の特徴である─実際かばんちゃんはサーバルちゃんと共同して調理をした。劇中、鳥たちは調理をかばんちゃんにせがんだ。当たり前であろう、調理とその付随する多くの意味をうまくこなせるのは人の特権なのだ。レヴィ=ストロースは調理には「容器、つまり文化的なものを使う必要がある」と考えた。鍋一つにとっても人間特有の調理の証であり、それは文化的なものなのである。

ここまでを約言すると、火を調理に結びつけてうまく扱えるのは人間だけである。調理は科学的でもあり、また魔術的な意味までを持つ。調理は文化的なものであり、人間の証明でもある。鳥たちがかばんちゃんに調理をお願いしたのも無理がない。調理とは人間性の極限の発露でもあるのだ。

4.おわりに

火と調理という究極的に人間的なものを描いたけものフレンズ7話は傑作であった。かばんちゃんは火を自ら起こし、神となるのと同時に人間であることを証明した。また調理という科学及び文化活動を通して、人間的なものとはいかなるべきかを視聴者に刻みつけた。けものフレンズ7話はこの意味で歴史に残る名作となるであろう。

けものフレンズをまだ見てない皆さんはこちらをどうぞ

 

 

5.参考文献

・J.G.フレイザー著『火の起源の神話』

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌』

*1:J.G.フレイザー著『火の起源の神話』

*2:フェリペ・フェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌』

*3:同上

*4:同上

ミリタリーを主題にしたロック・メタル五選

 

1.はじめに

ロックやメタルには戦争をテーマにした曲が昔からあります。その中でも代表的(と勝手に私が思っている)曲を5つ紹介したいと思います。ミリタリーが好きな方で、ロックやメタルの糸口がわからないという方は好きな戦争をモチーフにした曲から入るのも有りかと思いますので、ぜひ聞いてみてください。

 

2.戦争をテーマにした曲

Iron Maiden/Aces High


Iron Maiden - Aces High (Official Video)

イギリスの誇るバンド、Iron Maidenの楽曲です。テーマは第2次世界大戦のBoB(バトル・オブ・ブリテン)で、スピットファイアがドイツ軍の機体と戦闘を繰り広げるさまを歌っている。メタルの中でも割りと聞きやすい曲だと思います。

8時方向の敵機は俺達の背後を取った
10機のMe109が太陽から出て来やがる
俺達のスピットファイヤを敵機と反航戦にするため上昇旋回だ
敵機へまっすぐ向かって射撃ボタンを押すんだ

と空戦の熱い戦いを描いていて、テンションがあがる曲なので ぜひ聞いてみてください。『空軍大戦略』を見た後だと更にテンションがぶちあがりますね。

 

Blue Oyster Cult/ME 262


Blue Oyster Cult: ME 262

Blue Oyster Cultは1967年結成のアメリカのハードロックバンド。この曲は曲名を見ればわかるようにドイツ空軍のMe262をテーマにした曲で第三帝国最後の日々のMe262の活躍を歌っています。

ME262はターボジェットの王子
ユンカースJumo004エンジン
機首から放たれるR4Mロケット弾のカルテットの群れ
そして、英語野郎共の飛行機が炎上するのを見るんだ
ああ、お前は私の目撃者。赤色なのは空で
B-17が最後に飛んだとき
それはウェストファーレン上空で、あたりは暗かった
45年4月のことさ

戦争最末期の45年4月の空で戦うMe262の勇姿をこの曲で是非聞きましょう。大戦略などで最終ステージの「ドイツ」などで無限に沸いてくるB-17を相手にした時、または松本零士の『ベルリンの黒騎士』を読んだ時などに聞くと最高です。

 

Beneth/MG42


Beneth - MG42

Benethハンガリーブラックメタルバンドで、ドイツ軍に関する曲を幾つか作成しており、その中の一つです。ヒトラーの電動ノコギリとあだ名されたMG42の連射速度の速さを駆け抜けるようなブラストビートで再現しています。

MG42、狂気の武器

群がる敵兵をなぎ倒す、悪魔の武器

どんな奴らも弾の雨には無力

死に物狂いで逃げ惑う奴らに死の鉄槌を 

プライベートライアン』の冒頭の陣地から発射されるMG42の勇姿を見た後に聞くと 最高ですね。みなさんもMG42が敵兵をなぎ倒すシーンを想像しながら聞きましょう。

 

 

Sabaton/Screaming Eagles


Sabaton - Screaming Eagles

Sabatonはスウェーデンのメタルバンドで、戦争をテーマにした曲で有名です。どれを選ぶかは悩んだのですが、テーマとして有名なバルジの戦いの中の一つ、バストーニュ包囲戦をテーマにしたこれをチョイスしました。

アーネムへの激しい敗北
彼らは1本の橋を伸ばしすぎている
潮の変わり目だ、敗北しかけている

勢いを失い、後退する

バストーニュ地方へ行き、十字路は保持しなければならない
寒い中で一人で歩哨する

地面を割る稲妻
砲撃─雷鳴が鳴り響く
バストーニュのナチスの怒り
彼らの力に直面する 

曲も歌詞もシンプルなものなので聞きやすいと思います。この曲の他にもSabatonはWW2をモチーフとした多くの曲を作っているので興味があったらぜひ聞いてみてください。個人的には東部戦線での独ソの決戦を描いたPanzerkampfなどがおすすめです。

 

Marduk/502


Marduk - 502 (Video)

Mardukは90年代初頭に結成されたスウェーデンブラックメタルバンドで時たま戦争を舞台にしたアルバムを作っています。その中の『Panzer Division Marduk』という─アルバム名からミリタリー色が強いのだ─アルバムからの一曲です。

彼らの戦いは永遠に何の記念碑も立たない

そして、ついに彼らの無信仰の幸運は自身を救うことができなかった

弾丸が彼らを殺した時、彼らの運命が決まり
その後、彼らの戦車は彼らの墓になった

502 - 餌食の野獣
第502重戦車大隊が撃破した2000の敵戦車
502 - そのツケを払う
502 - 彼らが呼んだ機甲戦で

歌詞を見ればわかるように502はドイツ軍の第502重戦車大隊のことで、歌詞でも彼らの活躍が歌われています。ブラックメタルなので聞きにくいとは思いますが、戦争の狂気さをブラックメタルという荒々しい形で表現する彼らのスタイルはとても好きなので紹介しました。

 

3.おわりに

ここで紹介したのはほんの一部で他にもあらゆる地域のあらゆる戦闘をテーマにした曲がたくさんあるので、気になった方はいろいろ聞いてみるといいですね。「俺はロックやメタルは聞かない!」という方に少しでもロックやメタルの良さが伝わったらよいのですが、私の文才の無さでそれが全うできるか…ともかく、みなさんも興味があった曲を聞いてみてくださると幸いです。

オカルティズムと「思考の節約」─現代社会におけるステレオタイプの活用

「聞け、驕り高ぶれるアジアとヨーロッパの民よ、
 大いなるかたの蜜の声響かせる口を通して、
 われわれのことから始めて、わたしが預言せんとするかぎりの全ての真実を。
 わたしは虚偽を託宣するフォイボスではない。その者を、愚かな人間どもは神と云い、預言者と詐称したのだ。」


新約聖書の外典『シビュラの託宣』第四巻の有名な出だしであるが、
この外典は一時期、311の予言ではないかと話題になった巻である。

それはこの記述だ。

地震のために激しく揺れ、諸々の都市がたちまちに倒れる時に。
ロードス人たちにも、最後の、しかし最大の悪がやってくるだろう。
(中略)
おお、リュキアの美しいミュラよ、揺れ動く大地は決しておまえを立たせておきはしない。
まっさかさまに大地に倒れ、寄留者のように、他の地に逃れたいと願うだろう。
それはパタラの不敬虔の上に、ある日、雷霆と地震とともに、海の黒い水が騒乱をまき散らす時である。」

これは直接的には聖書の中の話であるが、いわゆるオカルト信奉者が言うように、聖書は一種抽象的な世界の話であって、アジアに適用することも間違ってはいないかもしれない。

実際、311とこの記述に「類似」している点はある。そしてオカルト信奉者はかかる論を摘出し、文脈をはぎ取ってすぐさま論拠として提示する。
(もちろん、選択的思考と自己欺瞞(self-deception)で脚色されたこれらが論拠とは言えないのは明らかなのだが…。)

しかしここで注目したいのはオカルト野郎はクレイジーだ、という結論ではない。
彼らがオカルトをステレオタイプへの典型的防御手段として使用している点である。

ステレオタイプはWリップマンの指摘以降、悪い風に取られがちだが、
彼は同時に「ステレオタイプは、理解に役立つ」とも述べている。

教養も詰んでこずに、また知識を「得る時間」がないような私のような人間にとって現代社会は甚だ複雑怪奇である。

なぜ飛行機が空を飛ぶのか? これは航空力学を学べば容易に説明できる。

しかしこれを知らないものは「クマバチがなぜ飛ぶかは明らかにされていない。よって飛行機の飛行原理も明らかではない。だから危ない」などという古い論を取り出し、飛行機におびえるのである。

これは未開人が銃を持った西洋人(コンキスタドール)を見て、あいつらは魔術師だ!火を操っている!
などといって恐怖にやられ、国を滅ぼされたのと同じである。

そしてかの311ではかかる未開人的思想とステレオタイプによって防護されている人間が「<自称>情報強者」の中にもい大勢いると実証されてしまった。


先の例を再び取り上げると、彼らは飛行機が飛ぶのは科学で実証できない魔術的なものだと決めつけ、そこで思考停止を起こす。彼らにとって航空力学を学ぶ時間はない。そして私もそうなのだが、学ぶだけの知能もない。

彼らにとって「飛行機が飛ぶ」という現実の出来事を理解する「手助け」となるのがステレオタイプであり、
彼らは一種のステレオタイプ─飛ぶ理由がわかっていないという─を用いて、物事を理解したのである。

このステレオタイプによる理解は、脳の労力的観点から言うとひどく効率がよい。
何か嫌なことがあったら「ユダヤの陰謀」と決めつけたり、何か不思議なことが起きると「魔術だ」などと決めつける。つまり、ステレオタイプによる理解は思考の節約と言っていい現象なのである。

もしここでステレオタイプなき学者が同じ現象を「理解」しようとすればデータの収集、実証など多くの過程を必要とする。
先の飛行機でいえば、飛行機が飛ぶのはまだ解明されていない!と決めつけるのは一瞬だが、「この機体が飛ぶのはエンジンの出力、翼の断面系から計算して求められる揚力、また翼の長さ、そして翼重比を求めだして・・・」などとステレオタイプなしに理解するのは実に時間がかかるし、脳の労力も甚だ大きいものだ。つまり、ひどく労力を使うのだ。

この現象はそのまま311以降広まったデマにも当てはめることができる。地盤などのデータを収集し、計算するのではなしに、「地震兵器の仕業だ!」とステレオタイプで決めつけ、脳を「疲れさせずに」物事を理解した彼ら。
新約聖書の外典に書かれているから311が起きるのは必然だったと決めつける彼ら。

彼らはまさにステレオタイプの奴隷である。しかし、一方で彼らは偉い学者たちがするように脳を「疲れさせることなしに」、思考の節約によって物事を理解できる、ある意味賢い人間だということもできる。

これらの現象はオカルト以外にも数多く現れている。

例えば福島の放射線量に対するステレオタイプ、外国に対するステレオタイプ等々、数を上げれば限りないのだ。

自ら考えることなしに、ステレオタイプで物事を理解しようとする彼らは実は「時代に適した」人間なのかもしれない。

なぜならば、複雑化した現代社会で全てを把握するのは不可能だ。思考の節約により、なるべく頭を働かせずに理解することで我々はなんとか毎日を送っている。もし、君があらゆる現象を理解して行動しようと思えば脳科学から理論物理学まで、ありとあらゆる学問が必要になるのは目に見えている。それを必要としなくて済むのは、我々の見る世界がステレオタイプで塗り固められており、そして思考の節約により考えなくて済むようになっているからだ。もし、君がステレオタイプなしに生きていると思うのならば、それは誤りである。人は必ずステレオタイプの中で生きているのだ。例えば、あの国は◯◯だ、という際に思い浮かぶ「国」はステレオタイプの中の国であることが多い。台湾であれば、台湾という国の実際を知らずに人は「親日」というステレオタイプで見る。もしステレオタイプなしに台湾を見れば、君は台湾がどのような国かに対する処理する情報の多さに苦戦するだろう。このように我々は常にステレオタイプとともにあるのだ。

我々は─それが偉い学者であっても─常に思考の節約により思考をしないように、脳を使わないように生活するようにできている。それがあるからこそ、現代社会で生きていけるのだが、一方でそれは弊害にもなる。少なくとも「我々はステレオタイプの中に生きている」という自覚だけは忘れないほうがいいだろう。